気が早い恋のゆくえ
心待ちにしていた結婚式を終え、穏やかな新婚生活が始まると思った矢先――。
リリスは毎日のように繰り広げられる、悪魔たちのやりとりに悩まされていた。
「あなたに娘はやれません!」
「どうか頼む! 彼女は俺の運命なんだ!」
「だとしても無理です!」
二人の悪魔の大声に、リリスは今日も頭を痛めている。
(このやりとりもう何十回目かしら……)
娘はやれないと繰り返しているのは、リリスの夫であるサマエルだ。そして彼に縋りついているのは、彼の友人である悪魔アモンだ。
彼らはこのところ、リリスたちの娘の件で毎日のように言い争っている。
「お前たちの娘は、俺のかつての恋人なんだ! ようやく生まれ変わってくれたからには、もう二度と手放せない」
「だとしても、あなたはだめです。女遊びがひどすぎるし」
「それは彼女がいなかったからだ! 転生してくる保証もなかったし、さみしさを埋めるために、その……」
「私だってリリスが転生するまでは寂しかったですが、女遊びはしていません」
「そっちは転生するのが決定事項だったからだろ! 俺の場合は可能性がゼロに近かったんだ、自暴自棄になって女に溺れたりもする!」
「その自暴自棄になるところも、不安材料です」
「彼女が側にいてくれれば、もう二度と自暴自棄にはならない」
などと言い争っている二人を見つめながら、リリスはそこで大きなため息をついた。
「ほら、リリスも嫌そうな顔をしているじゃないですか」
「これは嫌そうな顔じゃなくて、呆れた顔よ」
「アモンに呆れているんですね」
「というか、二人に呆れているの」
言いながら、リリスはようやく膨れ始めたおなかに手を当てる。
「こういう会話はね、娘が大きくなったらするものなの。なのに生まれる前からって、さすがに早すぎるわよ」
本来なら、子供の性別だってわからない時期だ。だが目の前の二人は、魂の色や形をその目で見ることができる。
そしてアモン曰く、リリスのおなかに宿る子供は彼がかつて愛した女性と同じ魂をしているらしい。
自身も転生を経験し、その結果サマエルとの愛を成就させたリリスとしては我が子とアモンの再開を叶えたいし、二人の恋が実ればいいと思っている。でもサマエルは、アモンに娘を取られるのが複雑なようだ。
(アモンはなんだかんだ優しいし頼りになるし、そこまで拒否しなくてもいいのに)
そんな思いでサマエルを見つめると、どこか不満げな顔を向けられる。
「リリスはアモンに甘すぎます」
「あなたが厳しすぎるのよ。それにね、もし娘がアモンと結婚したいって言ったらどうするつもり? それでも反対する」
「します」
「頑なすぎると、娘から嫌われちゃうわよ」
冗談半分の突っ込みのつもりだったが、そこでサマエルの顔からさぁっと血の気が引いた。
「嫌われる……娘に……」
「ち、ちょっと……、落ち込むのも早すぎるわよ」
「でも、嫌われるなんて耐えきれない……」
「だからもしもの話! もしも!」
などと言ってみるが、サマエルは凹んだままだ。
(しまった、言葉の選択間違えたかも……)
今更後悔するが、一度落ちるとサマエルは長い。それをアモンも知っているので、彼からも不満そうな表情を向けられる。
「お前、これ以上状況を拗らせてどうすんだよ」
「元はと言えば兄さんのせいなのに!」
アモンの呆れた声と顔に、リリスはむっとする。
けれどアモンはリリスが全て悪いという顔で、彼女の肩をとんとたたく。
「とりあえずこいつの機嫌直しとけよ。そうじゃないと、嫁にもらう話も進められないだろ」
「そもそも、その話題を出すのが早すぎるんだってば……」
「少しでも早く言質とっておかないと、お前のときみたいに『娘の婚約者を見つけてきました!』とか今すぐ言い出しかねないだろ」
「……それはまあ、否定できないけど」
なにせ、サマエルは突飛なことをしでかす天才だ。
子供が生まれてすぐ……いや今すぐにでも、「ふさわしい男を見つけてくる」と飛び出していきかねない。
「暴走したサマエルを止められるのはお前だけなんだから、しっかりしろ」
「サマエルが暴走するきっかけを作っているのは兄さんの気がするけど……」
恨めしい顔で言ってみるが、アモンは全く聞いていない。
それどころか「じゃ後は任せた」と言って部屋を出て行ってしまう。
そしてリリスは、未だに落ち込んでいるサマエルに目を向けた。
「娘に嫌われたら……私はどうしたら……」
「だから、悩むのが早すぎるってば」
突っ込んではみるが、サマエルにはリリスの言葉が届いていないらしい。
仕方なく、リリスはしょげているサマエルを抱き寄せその背中を優しく叩く。
「大丈夫よ、サマエルならきっと良い父親になるから」
「……でも、良い父親というのがどういうものだか私にはわかりませんし」
しょげるサマエルを元気づけよう彼の頭を撫でながら、リリスは少し悩む。
「私も父親がいないから確かなことは言えないけど、子供のことを思い、一番に考えられるのが、きっと良い父親じゃないかしら」
「なら私は良い父親になれそうもない。これから生まれてくる娘はとても大事で愛おしいですが、私の一番はリリスだ」
不意打ちのように告白され、リリスは思わず赤面する。
「子供を一番に考えられない私は、悪い父親です」
「でも、サマエルなら二番目でも大丈夫よ!」
「本当に?」
「それに、一番は私なんでしょう? サマエルは私が大事なものもものすごく大事にするし、大丈夫かなって」
「では、リリスが一番のままでも平気ですか?」
「うん、きっと平気よ。あなたの愛は人よりずっと大きくて重いし、二番でも十分すぎるだと思うわ」
リリスの言葉に、サマエルはあからさまにほっとした顔をする。しかしまたそこで、サマエルははっと身を固くした。
「でも娘は、二番目だと知って私を嫌ったりしないでしょうか? それに、一番大事に思ってもらえないのはかわいそうでは?」
「二番でもいっぱい愛せば大丈夫よ。それに、親以上にこの子を一番に思ってくれそうな人もいるし」
「……もしかして、アモンがそうだと?」
「ええ。だって生まれる前から結婚したいっていうくらいだし」
「確かに、悪魔の執着はすさまじいから彼も愛だけは重そうです」
「ならアモンこと、認めてあげたら?」
認めたくない、とサマエルの顔には書かれていた。だがそれでも、先ほどまでの頑なさは消えたように見えた。
(まあ今すぐは無理でも、遠からず認める日は来そうかも)
それにほっとして笑うと、そこでサマエルがじっとリリスを見つめる。
「ん? どうかした?」
「あなたがアモンの肩ばかり持つから、ちょっと面白くないです」
「私はアモンじゃなくて、娘の肩を持っているのよ」
笑いながら、リリスは新しい命が宿るおなかをそっとなでる。
「なんとなくだけど、この子は私と同じって感じがするから」
「同じ?」
「この子もね、大好きな人にもう一度会うために生まれてくるんだと思う」
リリスの言葉に、サマエルもそっとリリスの腹部に触れる。
「そこが似ているから、応援してあげたいって思うのかも」
自分のように、我が子も二度目の恋を成就させてほしい。そんな気持ちで、リリスはサマエルに笑いかける。
「だから私は、アモンじゃなくてこの子の味方。万が一アモンが何かやらかしたらサマエル以上に怒ると思うし」
「じゃあそのときは、一緒に彼を殺しましょう」
「それは物騒すぎるってば」
思わず吹き出しながら、リリスは自分に身を寄せてくるサマエルにそっと口づける。
「でもまあ、半殺しくらいにはしちゃおうかしら」
「リリスも、だんだん悪魔らしくなってきましたね」
「あなたに似てきたのかも」
微笑みあい、そして今度はサマエルの方から口づけられる。
以前は悪魔になることが怖くもあったけれど、不思議とこういうやりとりは嫌ではない。むしろ幸せだと、今は感じている。
「リリスと話していたら、アモンのことを考えてみてもいい気がしてきました」
「本当?」
「ええ。……今のところは」
あえて一言付け加えるあたり、まだまだ納得はしていなさそうだがサマエルにとっては大きな一歩だろう。
「本当に過保護なんだから」
でもかつてリリスに向けた過保護さをも思えばまだましなほうかと考えつつ、リリスは自分の腹部に視線を落とす。
(あなたも、いろいろな意味で恋に苦労しそうね)
でも自分は、我が子とその恋の味方になろう。
そんな優しい気持ちを抱きながら、リリスは柔らかく微笑んだのだった。