種
――この国の王は少々風変わりだ。
ジャン・ミルノヴァはきつく締めすぎたクラヴァットの結び目に指を入れながら、そんなことを思った。気慣れない礼服など着ているからか、身体が妙に強張っているし、あちこちから変な汗が湧き出ていて、立っているだけなのにもう疲労困憊だ。
(王妃様が気に入ったからって、俺みたいな、流れのみすぼらしい商人を王宮にあげちまうなんてなァ)
今ジャンが立っているのは、王宮の謁見の間だ。
王はまだ来ておらず、直立不動の衛兵たちがズラリと並ぶだだっ広い空間に、一人ポツンと立たされている。
正直言って、こんなおっかない場所からは早くずらかりたい。
胃はすっかり縮み上がって、痛いほどだ。
ジャンは国から国へと渡り歩いては、その土地では珍しい外国の商品を売って歩く、しがない商売人だ。ちなみに商売の規模はものすごく小さい。ジャンには家族もいなければ従業員もおらず、自分一人分の食い扶持を稼げればいいからだ。
だから王宮の謁見の間なんて大それた場所には縁がない人間のはずだった。
(そもそも、なんで俺がこんな場違いな所に来る羽目になっちまったのか……)
泣きたい気持ちになりながら、ジャンはこうなった経緯を振り返った。
***
その日の朝、ジャンはいつものように市場へ向かった。
新しい国に訪れて数日は、観光を楽しんだり情報収集をしたりして気ままに過ごすのだが、市場の立つ日は別である。仕事があるからだ。
ここで次の国へ行く旅費を稼がなくてはならないのだ。
この国は大きいだけあって、王都で立つ市場もなかなかの規模だ。
ジャンは多くの出店が集う大通りの片隅に陣取った。ポッと出のよそ者は、場所を借りさせていただく、といったていでいるのが一番なのだ。
人の往来は多く、出店の準備を整えている最中にも、客が物珍しそうに異国の商品を眺めていく。商品を並べながら客の相手をしている時に、その娘は現れた。
ちょっと良い所のお嬢さんといった装いだった。
ボンネットから見える鮮やかな赤い髪が印象的で、猫を象った置物を手にして微笑んだその表情が素朴で可愛らしかったので、思わず声をかけた。
『そこの赤い髪のお嬢さん! 何かお探しかい?』
よく通るように高い声音で、気安い口調――商いをする者特有の掛け声というやつだ。
ジャンの声に娘が気づき、こちらを見た。
その瞬間、彼女の周囲にいた数人の男たちの様子が一変した。
ザッと殺気立ち、威嚇するようにねめつけてきたので、ジャンはヒュッと息を呑んでしまった。
(な、なんだ? この男たちは……?)
ただの通りすがりの他人だと思ったが、もしかして彼女の護衛か何かだったのだろうか。この娘が声をかけることすら不敬になる、高貴な身分の女性だったとしたら、とんでもないことになってしまう。
仰天し、オロオロと男たちの鋭い視線に耐えていると、赤髪の娘が困ったように笑って片手を上げた。
『ああ、お願い。どうかやめてちょうだい。あなたたちがそんなに怖い顔をしていたら、私、お買い物もできないわ……』
やはり素朴に見えたその娘は、恐ろしげな雰囲気の男たちの主だったらしい。
(町娘にしか見えなかったぞ……!)
ジャンは心の中で呻き声をあげる。
外国を渡り歩く職業柄、人を見る目をそれなりに養ってきたつもりだったが、自分もまだまだだったようだ。
『も、もうしわけございません。とんだご無礼を……!』
平謝りすると、娘は「とんでもない」と首を横に振る。
『こちらの方こそ、失礼しました。あなたは何も悪くありませんわ。異国の物をたくさん売っているのですね。とても素敵だったから、つい見惚れてしまったの』
娘がにこにことしながらそう言うので、ジャンは男たちの視線に怯えつつも、「ええ、そうなんです」と曖昧に相槌を打った。できればおっかない男たちを連れて早く遠ざかってほしいものだと思っていたが、もちろんそんなことは口にできようはずもない。
ジャンの心の裡を知らない娘は、無邪気に微笑んで店の商品を褒めた。
『ご店主の趣味がとてもいいのですね。ほら、そこの花柄の壺なんて、とても素敵』
娘が手袋をはめた細い指で示した先には、砂漠を越えた先の東の国で買った陶器の壺が置かれてあった。それはジャンもお気に入りの品だった。夕焼けのような橙色の花が描かれた白磁の壺だ。
『ああ、この芍薬の壺ですか』
何気ないジャンの呟きに、娘がパッと顔を輝かせる。
『まあ! それは芍薬なの?』
『え、ええ。芍薬がお好きですか?』
はしゃいだ声色に、ジャンが訊ねると、娘は少しはにかんだように頬を赤らめた。
『……ええ。とても……とても好きな花なの』
赤い睫毛を伏せてそう答える娘は、なにやら妙に艶っぽく見えて、ジャンは思わず見とれてしまう。
(素朴な娘だと思ったが、なんとまあ、こちらをハッとさせるような表情もするじゃないか)
などと感心していると、鋭い殺気を感じてギクリとなった。
案の定、護衛の男たちに射殺さんばかりの眼差しで睨みつけられていて、首を竦める。
『でも、これが芍薬だなんて分からなかったわ。だってこの花は一重でしょう? 芍薬は八重咲きなのではないの?』
周囲の緊張など我関せずと言った具合で、娘は無邪気に話を続けていた。
確かに、この辺りでは八重咲の派手な芍薬が主流で、この花瓶に描かれているような、清楚な一重咲きのものはあまり見ない。
目敏いな、とジャンは舌を巻きつつ頷いた。
『あ、え、ええ。これは東の国の品なんですがね。むこうでは、芍薬の品種改良が盛んらしくて、こういう一重のものもたくさんあるんだそうですよ』
ジャンの答えに、娘は翡翠色の目をキラキラとさせてこちらを見る。
『まあ、そうなの! 私の庭にもたくさん芍薬が植えられているけれど、一重のものはないの。一度見てみたいわ……』
これはよほど芍薬が好きらしい、とジャンは相好を崩した。護衛がつくくらいだから、それなりの身分のご令嬢だろうに、宝飾品ではなく花を喜ぶ姿は、庶民的で親近感が湧く。
(なんとも不思議な魅力の娘さんだ)
親しみを感じてしまいながら、ジャンはふと思い出して言った。
『ああ、それでしたら、種はいかがです? 今年の秋に植えても、花が見られるのは二、三年後になっちまいますが、芍薬は発芽率が良いそうで、種からでも根がつくそうですよ』
ジャンの言葉に、娘は嬉々として身を乗り出してくる。
『素敵! 一重の芍薬の種があるの?』
『ええ。残念ながら、今ここにはないんですが……。店じまいした後でよろしければ、お屋敷にお届けしますよ』
仕入れていた種は明日にでも得意先の大農家に行って、纏めて売ってこようと思っていたから、宿に置いてきてしまったのだ。
種は軽くて持ち運ぶのが便利な上、珍しいものは良い値が付くので、ジャンの定番の商品である。国を移る度に、数種類の種を仕入れるようにしている。あの国で珍しい花やら野菜やらの種もいくつか調達していて、その中に芍薬もあったはずだ。
ジャンの言葉に、娘は満面の笑みを浮かべて頷いた。
『是非お願いするわ! 私の屋敷は――』
***
――その屋敷がまさか、王宮だなんて、誰が想像しただろう。
ジャンは遠い目をしながら思う。
なんと、ジャンが相手にしていた素朴な赤毛娘の正体は、この国の王妃様だったのだ。
娘と護衛が去った後、呆然とするジャンの前に金ぴかの騎士服を着込んだ男たちが現れて、半ば拉致されるようにしてここに連れて来られた。
「王の御前に上がるのですから」と着替えまでさせられて、こうして王座の前に立たされているというわけだ。
(本当に、なんでこんなことに……!)
ジャンは泣きたい気持ちだった。
自分がもっと野心家で、大きな商いをするような商売人であったなら、これは願ってもない好機だったろうと思う。なにしろ、商売相手が王族だ。うまくいけば莫大な利益を上げられるし、そうでなくとも王族と繋がりを持てれば、あらゆる筋と商売ができるようになるのだから。
だが、非常に残念なことに、ジャンはそういう類の商売人ではない。気ままな風来坊で、金にも権力にもあまり興味がない。世界を旅して回れるだけの金があればそれでいいのだ。
だから、大きな責任がついてくるような大それた商いは、できればご免を被りたい。
(早く帰してくれ早く帰してくれ早く帰してくれ早く……)
頭の中で呪文のように切実な願いを唱えていると、その場の空気がピリッと緊張し、衛兵たちがザッと姿勢を正した。
王宮初心者のジャンでも分かる。
これは王様のおでましだろう。
緊張が極限まで高まり、悲鳴を上げたい気持ちになりながら、ジャンは焦って跪拝する。
王様に対する礼の取り方など知らないが、とりあえず膝を折って頭を下げておけば失礼にはあたらないだろう。
床と自分の爪先しか見えない状況で、シンと静まり返った部屋の中に、優雅な衣擦れの音がした。
(まさか衣服の擦れる音を優雅だと感じる日が来るなんて……)
だがもう、音が違う。王様だからなのか、手ぶり、足さばきのたびに鳴る音が、自分たち平民の動く時の雑音とまるで違う。丁寧で、無駄がなく、凪いだ湖面のように静謐なのだ。
一度、東の国で、神に捧げる舞というものを観たことがある。
その時の感じによく似ている気がした。
「面をあげよ」
艶やかな低音で命じられて、ジャンはビクリと肩を揺らす。
なんて声だ、と心の中で感嘆を上げた。
男の声を美しいと思う日が来るなんて、などと先ほどと似たようなことを考えつつ、おそるおそる頭を上げる。
そして、今度は目を剥くことになった。
王座に座ってこちらを見下ろしていたのは、この世の者とは思えないほどの美貌の主だった。
(ひ、ひぇええ……!)
この国の王の美しさは、確かに諸外国にも知れ渡るほど有名だ。
だがこれほどとは!
(ま、まるで、女神様か何かのようじゃないか……!)
月光のごとき白金の髪、白磁の肌に、左右対称の整ったかんばせ。知性的な瞳は、夕闇の空のごとき藍色。
この世の美を詰め込んだかのような美貌の王に、ジャンは言葉もなく呆然と見入った。
ジャンの不躾なまでの視線にも、王は慣れているのか咎めたりはしなかった。典雅な所作で王座の肘置きに腕を預け、おもむろに首を傾けて訊ねてくる。
「そなたが、我が妃が気に入ったという商人か」
王の美貌にぼうっと見惚れていたジャンは、その声でハッと我に返って、慌てて頭を下げて返事をした。
「……は、はい! あ、あの、ありがたいことに、市場で店を開いておりました時に、王妃様にお目をかけていただきまして……」
「……ほう、目をかけて、か。なるほど、なるほど……」
焦って早口になるジャンの台詞を、ゆったりとした口調で王が遮る。
微笑を湛える王は実に美しい。……美しいが、何故だかその藍色の目が怖い。青いせいか、底冷えするような冷たい光を放っているように見える。気のせいだろうか。
「あ、あの……、その、王妃様は、本当にお優しい方ですね……! わ、私のような下賤な商人にも、笑顔で接してくださって……!」
何か気づかぬうちに失態を犯したのだろうか、と気が動転したジャンは、なんとか挽回せねばと王妃のことを褒めまくる。
「ほう、笑顔で」
「は、はい! それはもう、お優しい微笑みで……!」
「我が妃は、そなたに優しく、微笑みかけたと、そういうわけか」
「は……」
わざわざ繰り返して確認するほどの内容だっただろうか。
「それで? 私の愛しい妃は、そなたに話しかけたか?」
ダラダラと冷や汗が背中を伝い落ちた。
何故そんなことを訊くのだろう、と真剣に思ったが、イヤイヤ、と思い直す。
王様なんて、自分とはかけ離れた身分のお方だ。自分なんかが理解できない思考をしていたとしても、不思議ではない。
「は、はい……」
「そうか、話しかけたのか。ではそなたは我が愛する妃と会話をしたのだな」
「…………」
そりゃそうだろう、という指摘は入れるべきだろうか。イヤもちろんそんな恐ろしいことはできやしないのだが、それにしても、何故そんな当たり前の質問をされるのだろう。商売人が客と話をせずにどうやって物を売るのか。
「我が妃の声は可愛らしいだろう? 涼やかな鈴の音のようだと、常々私は思っている」
「……は、はい……、さようで……」
王がにこやかな様子で喋るが、その内容にいまいちついていけない。
何を言っているのだろうかこの王は。
(の、惚気、なのだろうか……?)
どうやら王は己の妻の美点を語っているようだが、何故自分に言うのだろうか。
不可解過ぎて、どう反応すればいいのかさっぱり分からず、ジャンは助けを求めて周囲を見る。だがここにいる衛兵たちは直立不動のままピクリとも動かないので、視線すら合わせてもらえなかった。
どうしたらいいか皆目見当がつかない。
オロオロとしているジャンに追い打ちをかけるように、王が言った。
「そうか。そなたはその耳で、我が妃の可愛らしい声を聞いたのだな」
「え……そ、その、ええ、それは、その……はい」
嘘を吐くわけにもいかず、ジャンはしどろもどろになりながら肯定する。
「……………………」
王が笑顔を消して沈黙した。
恐ろしいまでの無表情に、ヒュッと尻の穴が窄まった。
(ヒィイイイイイイイ)
何も悪いことはしていないはずなのに、身体中から冷や汗が湧き出てきて止まらない。
泣きたい。誰か助けて。
「妬ましいな、そなた。どうしてやろうか」
ポツリと呟かれ、ザァッと頭から血の気が引く音が聞こえた。
(なんて……なんてこった……!)
この美貌の王は、己の妃を盲目的に愛しているのだろう。そして妃が他の男と接触することを厭っているのだ。商人と客という立場での他愛のない会話ですら許せないほどに。
(頭がおかしいだろう! なんて狭量な男だ!)
こんな狂人に愛されるあの娘が気の毒になってくるが、今は「なんで俺の店に入って来たんだ迷惑な!」という気持ちの方が断然強かった。巻き込まないでいただきたい、心から。
だが悲しいかな、この美しき狂人は、この国の王なのである。ジャンの今の状況は、下手をすれば打ち首だ。
(そりゃするでしょう、命乞い!)
ジャンはその場に崩れるように平伏し、悲鳴のような声で懇願する。
「ど……どうか! どうか、命ばかりは……! わ、私は、王妃様などと、存じ上げなかったのです! ご無礼を仕ってしまい、本当に反省しております! まさか、あのような庶民的な市場に、やんごとない身分のお方がいらっしゃるなど、夢にも思わず……!」
半分泣きながら哀願していると、王が無表情のまま言った。
「命など取らぬし、別に怒ってもおらぬ」
(嘘つき!)
心の裡で盛大に反論するも、もちろん声には出さない。
「そなたを殺せば、ピオニーが怒るだろうからな」
(やっぱり怒ってるだろう、それ!)
これまた盛大に心の中で突っ込んだ。王妃が怒らなければ、殺していたということではないか。
王はヤレヤレと溜息を吐くと、立ち上がって言った。
「我が王妃の所望した芍薬の種とやらを、そなたの言い値で買い取る。……また珍しい芍薬の種があれば、買い取るゆえ、持って参れ。宮務主官に黄証を手配させている。受け取って帰るといい」
「……は、はい! ありがとうございます……!」
黄証とは、この国の王宮門を通過するために必要な証書で、それを持っていることが、王宮ご用達商人の証となるのだ。
礼を言ったものの、正直言ってこんな怖い思いをするならそんなもの要らないと言いたかったジャンである。
王はもう一度ため息を吐くと、「では」と言って踵を返した。だがふと立ち止まり、顔だけをジャンの方に向けて、笑顔で付け加えた。
「ああ、そうだ。今後は妃ではなく、私を通せ。いいな?」
王妃には近づくな、という言外の脅しに、ジャンは鼻水を垂らしながらコクコクと頷いたのだった。
***
ザックが庭の中に足を踏み入れると、ガゼボにいた人がすぐに気づいてこちらを振り返る。結い上げた赤い髪から零れたひと房が、小さな白い顔の傍で揺れた。
「ザック!」
満面の笑みで名を呼ばれて、胸が幸福で膨らむのを感じ、ザックの表情もまた綻んだ。
自分の顔がこんなふうに自然に笑みを作るのは、彼女に対してだけだ。
「お疲れ様。もうお仕事はいいの?」
優しい声で自分を労わってくれる最愛の妃を抱き締めながら、ザックは頷く。
「ああ。一段落ついたのでね。愛しの妻の顔を見に来てみたんだ」
ザックの台詞に、腕の中でピオニーがクスクスと笑った。
「一段落ついていなくても、来ちゃうくせに」
正しい指摘だ。ザックは一瞬口を噤んで、それから吐息を零してピオニーの顔を見下ろした。
「それは忙しすぎて、疲労が溜まってしまった時だ。君との時間だけが、私を癒す唯一の薬なのだから、仕方ない」
「まあ」
ザックの言い訳に、ピオニーは忍び笑いを漏らす。
それからザックの頬を両手で包み込むと、優しく笑いかけてくれる。
「じゃあ、お疲れのあなたに、私の幸せを分けてあげなくちゃ」
それは二人だけに通じるお約束だった。
自分の幸せを分けるために、相手の頬に触れるのだ。
元々は彼女の母親が、幼い娘にやっていたおまじないのようなことだったらしい。
小さな手のあたたかさにうっとりと目を閉じて、ザックは呟いた。
「嬉しいね。……ああ、癒される……」
真面目に言ったのに、冗談だと思ったのか、またピオニーがクスクスと笑う。
「市場のお店の人が来ていたのでしょう? 芍薬の種は受け取った?」
問われ、ザックはパチリと目を開いた。
「市場の商人は男だったのだな」
出し抜けな質問に、ピオニーは翡翠色の瞳をキョトンとさせて頷く。
「ええ、そうよ」
「花の種を買ったと言うから女かと思っていた」
この王都では、何故なのか分からないが、花を売るのは娘であることが多い。昔、路上で花売りをしていたのが、年端もいかない少女たちであった名残りなのかもしれない。
「そのお店は異国の品ばかり売っている所だと説明したから……お花屋さんじゃないって、あなたは分かっているかと思っていたわ」
ピオニーの説明に、ザックは確かに、と納得する。
だが、それとこれとは別問題なのだ。
ザックはジロリとピオニーを睨んだ。
「知らない男と話してはいけないと言っただろう」
ピオニーは呆気に取られたように、パカリと口を開ける。
「そ……そんな、お店の人よ? 話さないで、どうやって買い物をするの?」
「そもそも君は王妃だ。君が自ら街に買い物になど行かなくても、王宮に商人を呼べばいいだろう」
「そ、それは、だって、たまにはお忍びで、外に出てみたかったのだもの! あなたにちゃんと許可も取ったし、護衛だってたくさん連れて行ったわ!」
確かに、自分は許可を出した。王宮に留まるだけの生活では、彼女の息も詰まるだろうから、渋々ではあったが、許可を出した。できれば籠の中に閉じ込めておきたいくらいだが、そんなことをすれば、彼女の心が病んでしまうだろう。ザックはのびのびとしたピオニーも愛しているのだ。できるだけ健やかであってほしい。
「外に出てもいいとは言ったが、知らない男と話していいとは言っていない」
「………………」
ピオニーは呆然とした表情で固まった。
それから片手を自分の額に当てて軽く目を閉じる。
「……ええと。知らない男と話してはいけないというのを、私は危険を避けるためだと理解していたのだけれど……もしかして、もっと違う意図だったりしたのかしら?」
「私が嫉妬するからだ」
キッパリと言い切ると、ピオニーはまじまじとこちらを眺めた後、プッと噴き出した。
「あなたって、本当にばかねぇ」
「ばかではない。ただ嫉妬深いだけだ」
訂正すると、ピオニーは更に笑う。
「嫉妬する必要なんて、これっぽっちもないのに。私が愛しているのは、あなただけよ。ザラカイア・ミリアンヌ」
優しくそう言う彼女の声が、じんわりとザックを満足感で満たしていく。
彼女にその名を呼ばれるたびに、自分が幸福を取り戻したのだと実感できた。
白く華奢な手を取って、その掌に口づける。
「愛しているよ、ピオニー」
君だけを。必要なのは、たった一人。彼女だけが、自分の世界なのだ。