情けない夫
「結婚してくださいいいいいいいい!」
弟――ラザロが、愛おしい妻に向かって求婚している。
それを見た瞬間、クレドは驚きと絶望で持っていたティーポットをガシャンと落とした。
「好きなんですううううううう」
ラザロの求婚は滑稽だった。――だが、必死だった。
並々ならぬ想いを感じ、クレドは戸惑い「だめだ!!!」と二人の間に割り込んでしまった。
「いくら大事なお前でも、ティナはやれない!」
言うなり、クレドはティナの身体を抱き締め持ち上げる。その姿は、まるでオモチャを取られないようにとあがく子供だ。
あまりに情けない有様に「あの……」と呆れた声を出したのは抱き上げられたティナだった。
「さすがに、この状況でその誤解をするのはどうかと思います」
ティナの声で、クレドはようやく我に返る。
「ご、誤解?」
「ラザロさんが、私に求婚するわけないでしょう」
あり得ない状況なのはわかっている。
でもティナを見つめていたラザロの表情は、未だかつてないほど真剣だった。告白の声も真に迫っていたし、何があっても結婚したいという意志を感じて、パニックになってしまったのだ。
「そもそも、ラザロさんが私を好きなわけないでしょう」
「だがあんな真剣なラザロは初めて見たんだ!」
「あの告白は、私に向けたわけものじゃありません。ラザロさんが誰を好きか、クレドだってわかっているでしょう?」
もちろん、相手のことはクレドも知っている。
ラザロが好きなのは、ティナの末の妹ルルだ。
クレドとティナの仲を取り持つために協力した縁で、ラザロはルルに恋をした。
だが問題は、二人の年齢差である。
「ルルはまだ十二歳だぞ! いきなり求婚なんてどうかしているだろう!」
「クレド、ご自分の求婚が唐突だったことを棚に上げましたね」
呆れた声を重ねられ、クレドはだんだんと冷静になってくる。
「いやだが、なぜ求婚すべき相手ではなくティナにしている」
「練習だそうです。どんな告白なら落とせるか教えてほしいと言われたので、試しにどういう告白をするのかやってみてほしいと伝えたんです」
ようやく状況を理解し、クレドはティナをそっと地面に下ろした。
それから黙ったままのラザロを見ると、彼は恥ずかしそうに唇を噛んでいる。
「兄さんにだけは、聞かれたくなかったのに」
「そのわりには、大きな声だったぞ」
「き、気持ちを伝えようと思ったら出ちゃったんだよ!」
「びっくりしたが、俺は良い告白だと思う」
「なんでだろう。兄さんに褒められると絶対成功しない気がしてきた」
なんでだと突っ込みたかったが、それより早くティナが「そんなことはありませんよ」と加勢してくれる。
「必死な感じが、逆にいいかもしれません」
「本当に? 本当にアレで良かったの?」
「ルルは告白慣れしすぎていますからね……。相手は皆、紳士的で完璧な少年ばかりですから、ラザロさんの必死な言葉は新鮮に感じるかなと」
「ル……ルルちゃんって、そんなにモテるんだ」
戸惑うラザロに、ティナは大きく頷いた。
「毎回違う男の子とデートしていますね」
「ぐっ」
「でも同い年の子ばかりですし、大人の必死さで迫れば多少はぐらりとくるのではないかと」
「いや、そこは大人の魅力ではないのか?」
クレドが思わず尋ねると、ティナは「必死さでいいんです」と頷いた。
「近頃の子供たちはませていますし、大人たちより甘くて情熱的な告白をします。ラザロさんは素敵な紳士ですが残念ながら恋愛偏差値は低めですし、彼らと同じ舞台で戦っても到底勝てないかと」
なかなか辛辣だが、ラザロの恋愛偏差値が低いことはクレドも薄々察していた。
そしてこういうとき、かっこ良く助言ができるほどクレドも恋愛偏差値は高くない。ティナも高いとは言えないが、ルルについて詳しい点、彼女の助言が一番信用できる。
「なのでラザロさんは、とにかく必死に思いを伝えるのがいいと思います」
「が、頑張ってみる」
「……ただ、さすがに結婚しようは早すぎるかと」
「そ、そうだね! そうする!」
ティナの言葉に勇気をもらったのか、ラザロは告白の練習を重ねたいからと自室に戻る。
そんな彼と入れ替わりに部屋に入ってきた家令のエンツォが、割れたティーポットを片付け紅茶を淹れ直して出て行ったあと、クレドはもう一度ティナをぎゅっと抱き締めた。
「ど、どうしたんですか?」
突然の抱擁に驚いたティナが、クレドを仰ぎ見る。
「ラザロの告白が君へのものでなくて良かったと、改めて思ったら抱き締めずにはいられなかった」
「クレドは慌てすぎです」
「でもさっきのラザロの告白は真に迫っていただろう」
「そうですね。だからこそ、きっとルルにも届きます」
「しかしいいのか? 大事な妹を嫁に出してしまって」
「嫁に行くのは当分先ですよ。それにどうせ付き合うなら、ラザロさんのようなまともな男性のほうが良いかなと」
「年齢差はいいのか?」
「ラザロさんは、ルルの若さではなく内面に恋をしてくださっているので、むしろ好感を持てます」
言いながら、ティナはそこで苛立つように拳をぎゅっと握る。
「ルルは小さな頃から可愛かったので、それはもう色んな人から愛され、告白され、邪な男たちが近づいて大変だったんです」
「まあ、あの可愛さだからな……」
「邪な大人たちからルルを守るのが私の役目だったので、妹にはまともな恋人ができて欲しいんですよね」
その点ラザロなら良いと思ってくれるなら、兄としてクレドも嬉しい。
ラザロはルルに恋をして以来、より立派な男になろうと体力もつけ始め、最近は病気もほぼ完治している。
このまま二人が付き合えば彼はもっと逞しくなるに違いないと考え、クレドはルルが告白を受け入れてくれることを祈った。
「しかし、恋とは人を変えるものなんだな……」
ラザロの変化を思いながら、クレドはしみじみとこぼす。
「クレドも、恋をして変わりましたか」
「変わったよ。たぶん俺の野獣な一面が表に出なくなったのも、きっと恋のおかげだ」
出会った頃はティナを少年だと思っていたけれど、クレドはたぶん一目見たときから彼女に恋をしていた。
ティナに好かれたくて、彼女と一緒にいたくて、クレドは自然と野獣を抑え込んでいたのだろう。
「ティナに出会えて、恋をしてよかった」
「あっ、改めて言われると恥ずかしいです」
「その上こんなに可愛い顔を朝から晩まで毎日見られて、俺は本当に幸せ者だな」
恥じらうティナを抱き上げ、クレドは唇を優しく奪う。
突然キスをすると、ティナはすぐぎこちなくなる。でも不器用なキスは次第に甘く蕩けていき、彼女もまたクレドの唇を求めてくれる。
「俺を愛してくれて、妻になってくれてありがとう」
「それは、私の台詞です」
「あと、優秀な副官としてこれからも頼りにしている」
来週から騎士団に戻るティナは、きっと職場でも凜々しく――そして愛らしく自分を補佐してくれるに違いない。
「ああ、可愛すぎて仕事が手につかなくなったらどうしよう……」
「せっかく甘い雰囲気だったのに、情けない台詞でぶち壊さないでください」
ティナは苦笑して、クレドの頬を優しく撫でてくれる。
「まあ、仕事が手につかなくなったらと不安な気持ちはわかります。私もそうでしたから」
「でもティナは、いつも完璧に仕事をしていたぞ?」
「クレドにがっかりされたくなくて、頑張っていたんです。だから正直、前よりずっとクレドを好きになった今、ちゃんと仕事をできるのかちょっと不安だったんですけど……」
言いながら、ティナが愛おしそうにクレドの顔を見つめる。
「仕事が手につかなくなるのはクレドも一緒だって思ったら、不思議と大丈夫な気がしてきました。私、クレドの情けないところを見ると普段の三倍やる気が出るので」
「それはいいこと……なのか?」
「いいことです。格好いいクレドも、情けないクレドも、私の目標であり支えるべき相手なので頑張れるんです」
笑顔のまま、言い切るティナは美しくて逞しい。
そしてそんな彼女が好きだと、クレドは改めて思った。
「なら俺は、情けないままでいよう」
「いえ、仕事中は適度にちゃんとしてください」
ティナの苦言に頷き、クレドはもう一度彼女にキスをする。
そして彼は最愛の妻に相応しい夫にならねばと、決意を新たにしたのだった――。
【了】