完璧紳士なお義兄様のヨコシマ日記
三月
十九年近く待ちに待ったこの日がやってきた。アンジェは十八歳になり、結婚が許される年齢になった。ここからが本当の勝負だ。下手な横やりを入れられる前にアンジェを誘惑し、結婚に同意させなければ。
正直、?再会?するまでは、どこかの貴族の家に養子に出してから娶ることも選択肢に入れていた。けれどアンジェを見た瞬間、その選択肢を捨てた。アンジェは義母にあまりに似すぎている。義母のことを覚えている人間が社交界に数多く残っていることから、赤の他人と言い張っても信用されず、秘密を暴かれる危険がある。人々の好奇心を満たす程度の事実は最初から明らかにしておいたほうが、クリストファーがアンジェに隠したい事実を暴かれる心配がなくなる。
アンジェを目にした瞬間これだけのことを頭の中で計算し、今後の方針を定めてから私は、牢の鍵を開けて中に踏み込んだ。
それにしても、アンジェが牢に入れられたのは想定外だった。その報告が届いたときには肝を潰した。幸いアンジェは(性的な意味で)無事だったが、関与した二人はただでは済まさん。
王都までの道中、あらかじめ用意しておいたフリルがふんだんに使われた子ども服をアンジェに着せた。子ども時代をともに過ごせなかったがゆえに、チャンスはこのときしかなかったのだ。成人した貴族の女性はそのような服は着ないのだが、貴族を見たことのないアンジェは上質な服に恐縮しながらもおかしいとは思わなかったようだ。王都に到着したら、大人であるアンジェに子ども服は着せられない。アンジェの世話をする者たちにこまめな着替えを指示し、可愛らしいアンジェを堪能した。
~中略~
五月初旬
社交シーズンが始まる目前、勉強を頑張ったアンジェが一人前のレディになったご褒美に庶民の商店街を散策した。アンジェがそれを望んだからだ。繰り返し言う。アンジェが望んだことなのだ。彼女はごまかしていたが、これはデートに他ならない。
アンジェは順調に私への恋心を募らせてくれている。だが、この国には血がつながらなくてもきょうだいが男女の仲になることを忌避する風潮がある。この国に生まれ育ったアンジェは、己の恋心を知られることを極度に恐れている。私に知られたら軽蔑されると思っているからだろう。一度のデートで私への想いを断ち切ろうと努力する彼女の様子はいじらしい。
人が悪いという自覚はあるが、今はまだアンジェに何も打ち明けられない。思い返せば、こういうことを考えるのは人生初の経験だった。私の心は、アンジェに関することにしか動かない。だから私は今、とても新鮮な気分だった。今までは想像するしかなかったアンジェとの生活が、現実となったとたんこうも刺激的なものになるとは。私のために葛藤し悶え苦しむアンジェを盗み見て、背筋にぞくぞくと快感が走る。
アンジェを見つめる庶民の男たちやアンジェが気遣う屋敷の者たちをいっそ(自主規制)たくなるのをこらえ、彼女の前では可愛げのある嫉妬を演じるにとどめた自分を褒めてやりたい。
~中略~
五月中旬
社交シーズンの到来を告げる国王主催の舞踏会が開催された。
私と共に王太子に仕えるドミニクが、アンジェに自分の妹を引き合わせてくれた。ドミニクの妹は公正でしたたかだから、社交界をまったく知らないアンジェを助けてくれるだろう。私が直接社交の手ほどきをしたかったが、アンジェが女性たちから反感を受けるだろうことは目に見えているので仕方ない。
が、気まぐれな王太子の予想外な行動によって、私は焦燥にも似た嫉妬を覚える羽目に陥った。
王太子を見て、頬を染めかちこちに緊張するアンジェ。?ありがたい?言葉をかけられたときには足をふらつかせ、その場に倒れてしまうのではないかとまで思った。マズいと思い、私はすぐさまアンジェを王太子から引き離した。
彼女の挙動不審の原因が、あまりに恐れ多くできれば王太子そのものを避けたいと思う気持ちから来ていたと知って、どれほど安堵したことか。とはいえ、用心に越したことはない。アンジェとの関係を引き返せないところまで持っていくまでは、アンジェが王太子と接触しなくて済むように予定を調整しよう。
予定を調整するために必要なことを終えると、私は深夜の書斎で、ある書物を開いた。私が褒美の代わりに王太子に要求し、ドミニクが王太子に命じられて手に入れてきた閨の指南書だ。王太子とドミニクは揃って「適当な女を見繕って練習したほうがいいんじゃないか」と言ってきたが、私は二人を睨み付けてそれを拒否した。アンジェ以外の女性に触れるなんて気持ち悪い。第一、アンジェに対して不誠実だ。アンジェにとって私が最初で最後であるように、私もアンジェが最初で最後でありたい。
書物に目を通しながら、私はアンジェとの初めての状況をいくつも予想する。これまでのことを考えれば、想定外のことはいつだって起こりうる。ならばあらゆる事態を想定して対処方法を決めておく。『想定外』を作らない。それが危機管理というものだ。
おしまい