ひだまりの休日
──ぽかぽかと暖かい日の光。
そこかしこから聞こえる小鳥たちの愉しげな歌に耳を澄ます。
空を見上げると、不思議な形の雲を見つけて自然と頬が緩んだ。
思えば、村の湖のほとりでは毎日こんなことばかりしていたと懐かしくなり、この空はどこまでも続いているのだと笑みを零した。
「──ヴェル、どうした?」
「え?」
「今、笑ったように見えたから」
「……あ、うん」
不意に声を掛けられて顔を向けると、カインと目が合う。
そよそよとした風で銀色の髪が揺れ、見え隠れする翡翠色の瞳。
その深い眼差しが自分だけを捉えていることに、ヴェルの胸は密かに締め付けられた。
「なんでもないの。空が綺麗だと思って見ていただけ」
「そうか。寒くはないか?」
「ううん、平気。今日も晴れてよかったね。私、カインと日向ぼっこするの大好き」
「……そうだな」
ヴェルはカインの腕にしがみついて笑いかける。
そうすると彼も目を細めて頷き、空を見上げた。
ふと、彼の瞳に先ほど見つけた不思議な形の雲が映り、ヴェルは思わず覗き込む。カインの瞳を通して見る空のほうが、ずっと綺麗だった。
ヴェルが王都に来てから、そろそろ二か月。
慣れない場所での生活にはじめは戸惑うこともあったが、時間の経過と共に少しずつ慣れてきた。例年になく暖かな気候は冬になった今でも続いていて、最近は昼食を終えると裏庭の一角に置かれたベンチに座り、カインとこうしてのんびり過ごすのが愉しみの一つだった。
──カインの瞳は、やっぱり綺麗だ……。
ヴェルはその翡翠色の瞳をひたすら見つめていた。
けれど、彼は眠いのか、小さく欠伸をすると目を瞬かせる。
カインはベンチの肘掛けに僅かに身を預けると、目尻に溜まった涙をそのままにヴェルに目を戻した。
「どうした?」
「あ、あのね。カインに触りたい。また触ってもいい?」
「……あぁ…、いいよ……」
日の光で輝きを増した銀髪も綺麗で、ヴェルはうずうずしながら問いかける。
了解を得るとすぐにその髪に触れ、柔らかな触り心地に胸を躍らせた。
ヴェルがどれだけ触っても、カインは少しも嫌がらない。
それをいいことに、ヴェルはあちこち触ってしまう。滑らかな頬や唇、ついでに耳の形も指でなぞり、何げなくカインを見ると、いつの間にか彼は目を閉じて眠りに落ちかけていた。
「カイン、眠いの?」
「……、……ん…」
なんて油断しきった顔だろう。
この一瞬を独り占めしていることが堪らなく嬉しい。
ヴェルはカインの胸に顔を埋めると、ほぅ…と息をつく。
いい匂い。大好きなカインの香りだ。
全身を包まれているようで、ヴェルまで眠くなってくる。
──心がぽかぽかする……。
日中もこうして二人で過ごすようになって、もう一か月くらいになるだろうか。
カインはたった一人で王都に来たヴェルが心細い想いをしないようにと、長い休みを取ってくれたのだ。
彼はとても優しい人だ。
誰よりも心の痛みがわかる人だ。
カイン自身はそう言わなくとも、ヴェルにもそれくらいはわかっていた。
「……カイン…、大好き……」
毎日毎日、彼を好きになっていく。
彼の生まれ育った王都ごと好きになりたい。
今までたくさんの人を見ることがなかったから、外出するとすぐに疲れてしまうけれど、いつか当たり前のようにカインと歩きたい。彼に心配なんてさせないように、いつでも明るく笑える女性になりたかった。
──この想いの半分でいいから、カインも私を好きでいてくれれば嬉しい。
何度も彼に『好き』と囁いていると、いつしか温かな腕に抱き締められる。
穏やかな呼吸音を耳にしているうちにさらに眠りに誘われ、ヴェルの意識は少しずつ遠のいていった。
「──カインさま、お客様がお見えです」
「……ん、あぁ…」
それからしばらくして足音が近づいてきた。
頭の上から聞こえるカインの声。
ウトウトしていたところに話しかけられて、少し驚いたのだろう。
カインはヴェルを抱く手に若干力を込めて身を起こした。
「……客?」
「はい、ロバートさまが奥さまといらっしゃっています。お出かけの帰りに立ち寄られたとのことで、いつものように中でお待ちいただいていますが」
「そう…か……。わかった。すぐに行こう」
彼と話しているのは、この屋敷の使用人だ。
どうやらロバートが彼の妻と来たらしい。
カインが長い休暇を取ってからというもの、騎士団の仲間たちは頻繁に屋敷を訪れているのだ。その中でも副団長のロバートは週に三日はやってきて、たわいもない話をして帰っていく。彼は結婚して半年ほどらしく、休みの日は妻のサーシャを連れてくることが多かった。
「……ロバートさんたち…、来たんだね」
「ヴェル、起こしてしまったか」
ヴェルは眠い目をこじ開けて話しかける。
ゆらゆら揺られて気持ちいいと思ったら、カインはヴェルを横抱きにして、屋敷に戻ろうとしているところだった。
「まだ眠そうだな。このまま寝室に戻るか?」
「ううん、私も一緒に行く」
「無理しなくていいんだぞ」
「無理なんてしてないわ。私、ロバートさんもサーシャさんも好きだもの。カインを訪ねてくる人たちは、皆優しくて大好き」
「……それならよかった」
「うん、いい人ばかりで素敵だね」
そう言うと、カインは嬉しそうに微笑む。
それは彼が仲間をとても大切にしているとわかる笑顔だった。
けれど、彼らもカインのことが好きなのだ。
だからヴェルも、そんな彼らといるととても愉しい。
カインが笑顔になると、自分まで嬉しくなる。
ヴェルは幼い頃より過ごしたあの村での生活よりも、王都での日々のほうが遙かに幸せだった。
「私、重くない? 下ろしていいよ」
「……いや、少しも」
「でも…」
「俺がこうしていたいんだ。……せめて屋敷に入るまで、このままでいてもいいか?」
「……うん」
少し強く抱き寄せられ、頬に彼の唇が当たって胸の奥が疼く。
ヴェルは頷き、カインの首に腕を回す。
肩口に顔を埋め、ぐりぐりと額を押しつけると、また少し彼の腕に力が入って今度はこめかみに口づけられた。
もうとっくに屋敷に戻っていたが、カインはヴェルを下ろそうとしない。ロバートたちが待つ部屋に近くなっても、抱き締める腕をなかなか緩めようとはしなかった。
──もう少し……。あと少しだけ……。
毎日毎日、カインと一緒にいる。
どれだけ一緒にいても、まだまだ足りない。
だが、彼とはこれから先もずっと一緒なのだ。
楽しいことも嬉しいことも、たくさん起こるに違いない。
きっと、彼はそれを教えるために長い休みを取ったのだろう。
ヴェルが笑いかけるとカインは眩しげに目を細めて頷く。そのまま廊下に下ろされると、どちらからともなく手を繋いだ。
何も怖がらなくていい。
少しずつ、進んでいけばいい。
狭かったヴェルの世界は、カインといるだけで無限に広がっていくようだった──。