フェリーチの花に願うよりも
ジュリアがライデンの婚約者となって、初めての春。
建国祭での社交界デビュー以降、何かと忙しく過ごしていたジュリアだったが、春を迎える頃には領地で落ち着いた生活を送れるようになっていた。というのも、ジュリアにはロレンス公爵夫人になるために身につけておくべきことが山積みだったからだ。
一日の半分をライデンが雇った家庭教師について勉強をしている。
建国祭のときはキースとライデンが講師だったが、どうやらあれは急場しのぎだったらしい。
では、ライデンは今何をしているかといえば、ロレンス公爵として多忙な日々を過ごしていた。
ライデンの社交界復帰を待ちわびていたのは、ロレンス公爵家に仕える面々だけではなかった。このところ、国王からの呼び出しが頻繁にあるのだ。
ライデンはそのたびに「面倒だ」と愚痴を零している。
彼と国王が親類関係にあると聞かされたときは驚いたが、いくら身内だからとはいえ、相手は一国の王だ。
その態度はいかがなものかと思うジュリアの不安をよそに、ライデンは実にふてぶてしい。
だが、ライデンは国王に対しそんな態度が許されるほど、必要とされている。
その事実を喜ぶべきなのに、今日ばかりはかなり複雑な心境に陥っていた。
「おい、ジュリア。本当に一人で大丈夫なのか?」
「平気よ。ピクニックと言ってもツリーハウスへ行くだけだもの」
厨房に立つダンが不安そうな表情でお弁当を詰め終えたバスケットを握っている。
ジュリアの誕生日である今日はライデンとピクニックに行く約束をしていた。
以前、ジュリアが家族との思い出話をしたときに、ピクニックをしたと言ったのを覚えていてくれたライデンが「春になったら一緒に行こう」と誘ってくれていたのだ。
それならば、誕生日にしようと約束していたのに、肝心のライデンは王宮へ行ったきり、戻ってこない。日帰りだと言っていた予定が翌日に延び、五日になり、今日で十日目だ。
いったいライデンは王宮で何をやっているのだろう。
詫びの手紙だけはまめに届くものの、ジュリアが待ちわびているのは、これを書いた人の方だ。
(ライデン様の嘘つき)
一昨日届いた手紙には「誕生日までには戻る」と書かれてあった。なのにふたを開けてみれば、ライデンは戻っておらず、代わりに綺麗な蝶の形をしたブローチとまたも彼からの手紙が届いていた。誕生日を祝えそうにないことへの謝罪とあと数日は王宮に留まる旨が書かれてある文面からは、ひしひしと彼の後ろめたさが伝わってくる。
ライデンは仕事をしに行っている。
わかっていても、ジュリアの不満が爆発した。
こうして一人ピクニックを強行しようとしているのも、ライデンへの当てつけに他ならない。
「しかしだな……」
慣れ親しんだツリーハウスへ行くと言っても、ダンはまだ渋い顔のままだ。
これまでだって、何度も出かけているのに今日に限り渋っているのは、事情が事情だからだ。
「心配しなくても、危ないことなんてしません」
「お前を一人で行かせること自体がすでに危ないことなんだよ。いくら人を襲う獣がいないとはいえ、万が一ということがあるだろう。意固地はやめて、屋敷で大人しくライデン様の帰りを待ってろよ。そもそもライデン様が王宮に缶詰状態になったのだって――」
「いいの! 私は今日行くって決めてたんだからっ」
ダンの言葉を遮り、「バスケットをちょうだい」と手を差し出した。
子どもじみた意地を張っていると自分でも感じている。
こんなのちっともロレンス公爵夫人らしくない。
――わかっていても、気持ちの落としどころがわからないのだ。
「……お願い、ダン。今回だけだから、私のわがままを許して」
このままでは、ライデンを笑顔で迎えられない。屋敷を空けることが多くなった彼に不満をぶつけてしまいそうになるのが嫌だった。
(ロレンス公爵は滅多と社交界に出ていかないのではなかったの?)
そう文句を言いたくなるくらい、ライデンに放っておかれている状況が寂しくてたまらない。
「しょうがないな……。でも、日帰りだぞ。夕方には迎えに行くからな」
「ありがとう!」
渋々手渡されたバスケットを上機嫌で受け取り、ジュリアは御者の待つ馬車へ乗り込んだ。
ツリーハウスに着くと、御者に礼を言い馬車を降りた。
家の鍵を使って中に入る。閉めきった部屋の空気は生温かく、心なしか淀んでいた。
つまり、それだけ自分たちはこの場所に来ていないということだ。
(せっかく新しい長椅子を買ったのに、意味ないじゃない)
ジュリアが婚約者としてライデンの側へ戻って来てしばらくののち、彼はツリーハウスの長椅子を新しい物に買い換えた。座り心地もよく、座面も以前のものより広くなった。
なのに、まだ数えるほどしか使っていない。宝の持ち腐れだ。
持ってきたバスケットをテーブルの上に置き、換気のために窓を開けた。森の香りを運んでくる風はひんやりとして気持ちがいい。
このまま胸に燻っている鬱憤を拭き流してくれればいいのに。
側に居られるだけでいい、彼には何も望まないと思っていた自分はどこへ行ってしまったのだろう。
(欲張りになった……)
好きだから、側に居たい。温もりを感じていたい。
今が幸せなのに、欲に上限はない。以前よりも寂しさを感じてしまうのはなぜだろう。
仕事と私、どっちが大事なの? なんて、心の狭いことを言うつもりはないが、ライデンを独り占めしている国王に嫉妬を覚えるくらいには拗ねていた。
(ライデン様は私のものなのに)
こんな状態でライデンに会ったら、間違いなく不満をぶつけてしまう。約束を破ったことを詰り、彼を困らせてしまうだろう。そうなる前にどこかで鬱憤をはらそうと、ツリーハウスへ来たのだ。
ジュリアはひとりぼっちの空間に苦笑いを浮かべて、火を熾し、ポットをかけた。慣れた手つきでココアの缶を取り出し、一人分のココアを作る。
(そういえば、ここで自分の飲み物を作るのは初めてだわ)
いつもはライデンが作ってくれていた。
懐かしさを覚えるほど遠い過去の話ではないのに、もう随分と前のことのように感じてしまう。
(駄目ね。私、相当寂しいんだわ)
ライデンに不満をぶつけたくなくてツリーハウスへ逃げてきたのに、一人になった途端、寂しくなるのだから恋心とは、なんて厄介なのだろう。
(どうして戻って来てくれなかったの)
誕生日を愛する人と過ごしたいと願うのはおこがましいことだったのだろうか。公爵夫人になろうとしているのに、自分は少しも大人になれない。
お湯が沸くのを待ちながら、ぼんやりと窓の外を眺めていると、ふいに扉が開いた。
まさかと思い振り返れば、のっそりと大きな体躯を揺らして狼のエファーリタが入ってきた。
「……いらっしゃい、エファーリタ」
都合よくライデンがやって来てくれるわけなどないのに、恋しさは浅はかな期待を抱かせる。
エファーリタは日差しが当たる場所でぐるぐると回りながら匂いを嗅ぎ、「ふん」と鼻息を鳴らして寝そべった。前肢にちょこんと顔を乗せている姿は意外と可愛い。
「お前はずっと一人ぼっちで寂しくないの?」
ジゼルとライデンの祖母ジョアンヌが森で見つけた迷子の狼だったエファーリタは、獣の世界に戻ることなくこの家に居着いた。どこかに仲間がいるのかもしれないが、ジュリアはまだ彼女が一匹で居る姿しか見たことがない。
問いかけに、エファーリタはちらりとジュリアを一瞥した。
「相変わらず、ジゼル以外にはつれないのね」
でも、以前は目も合わせてくれなかったのだから、少しは受け入れられたと思っていいのだろうか。
丁度、お湯が沸いたので、ジュリアはカップにお湯を注いだ。自分で作ったココアはあまり美味しくなかった。
それからは長椅子に座り、本を読んだ。フェリーチの花が出てくる物語は寂しい心を慰めてはくれるが、完全に消し去ってはくれない。
今、もし目の前にフェリーチの花があったら、願うことは一つだけ。
ダンが作ってくれたお弁当も少し手をつけただけで、あとはごろごろと長椅子の上に寝そべっていた。勢いだけできたせいで、少しも楽しくない。
(会いたいな……)
ぐずぐずと泣きべそをかいているうちに、いつの間にかうたた寝をしてしまった。
――ふと足が何かに当たって、目が覚めた。
(……エファーリタ?)
眠い目を擦って見れば、当たりは薄暗くなっていた。身体にはかけた覚えのないケープがかかっている。
「ライデン様……?」
彼は長い足を組み、ジュリアが読みかけていた本を捲っていた。長い髪がはらりと一房肩から流れ落ちる様子はとても静かで、心に染みるほどの恋しさを湧き上がらせた。
寝起きの掠れ声に、ライデンが顔を向けた。
「起きたか」
呆れたような、それでいて優しい声音をジュリアはぼんやりとしながら聞いた。
「春めいてきたといえど、窓も閉めずうたた寝をするには寒いだろう」
これは、夢なのだろうか。
「何だ、まだ夢の中なのか?」
ライデンが本を脇に置き、身体ごとこちらへ向いた。座面に上げていたジュリアの脚を掴み、おもむろに割り開く。
(本当にライデン様なの?)
「ただいま、ジュリア」
ドレスのスカートを捲り上げ、むき出しになった脚にライデンが口づけた。
肌に当たる唇の感触に身体がふわふわする。
あまりにもライデンを恋しがるあまり、フェリーチの花の妖精が見せた幻なのかもしれない。
「ん……っ」
脚を撫でる手が慣れた仕草で下着を取り払った。秘部に触れる指に、甘い声が零れた。
蜜穴の縁を弄る指に、にじみ出した蜜がくち…と淫靡な音を立てて絡みつく。
「待たせたな」
夢の中の彼は身体の蕩け具合でジュリアの恋しさを計る。
けれど、ライデンの言うとおりだ。
どれだけ彼を待ちわびていたか。
「は……ぁ、あ……」
秘部の中へ入ってきた指の感覚に、ジュリアは歓喜の吐息を零した。
きゅうと指を締めつけ、快感に身体を震わせる。言葉にするまでもなく、秘部はいやらしくひくつき、ライデンが欲しいと訴えていた。
今すぐにでも秘部を指で広げ「挿れて」とねだりたい。
――でも、駄目。
なけなしの意地を総動員して、ライデンを押しやった。
「ジュリア……?」
「嘘つきは嫌い」
これは夢。ならば、絶対に言ってはいけないと決めていた不満を口にしても、誰にも迷惑はかからないだろう。
告げた非難の言葉に、ライデンはなぜか黄褐色の双眸をみるみる後悔でいっぱいにさせた。
「――すまなかった。言い訳はしない」
「どうして帰ってきてくれなかったの?」
詰る口調に、ライデンが困ったように眉尻を下げた。
「ジュリアを婚約者として認めさせるとき、国王から向こう半年は王宮で国王の仕事を手伝うことを条件にされた」
「……そんなの聞いてない」
むくれると、ライデンが膝頭に口づけた。
「ジュリアに余計な心配をかけさせたくなかった。私の目算も甘かったのだ。王宮仕えなど大したことではない。そう思っていたのだが、――駄目だな。一週間が限界だった。一秒でも早くお前に会いたくて必死で仕事を片付けてきたんだ」
三日は寝ていない、という言葉にライデンが抱えた切実さが伝わってきた。
嬉しくて、余裕のない彼の姿がこそばゆい。
あんなにささくれ立っていた気持ちが、凪いでいく。
「――嫌いだなんて、嘘。本当は嬉しかった。夢の中でもいいからあなたに会いたいって願ってました」
「フェリーチにか?」
頷き、愛しい人を抱きしめた。
「もっとぎゅってして」
そして、渇いた心を潤して。
「私も会いたかった」
耳元で囁かれる嬉しい言葉に、胸がいっぱいになる。熱い吐息は、まるで本当にライデンに抱かれているみたいだった。
(――――――え……?)
「ライデン……様? 本物?」
「いかにも。――嘘だと思うなら、確かめてみるか?」
その声に、みるみる意識が覚醒した。少しやつれて見えるが、目の前にあるこの整った美貌は、ライデンに間違いない。
「本当に帰って来てくれた……」
まだジュリアは花の妖精を見ていない。なのに、願いは叶った。ライデンの愛ゆえの献身が叶えてくれたのだ。
ジュリアは内股をライデンの身体に擦りつけ、行為の先をねだった。
「……して。ライデン様が欲しいの」
前戯なんていらないから、今すぐ彼の熱く猛った欲望でジュリアを満たしてほしい。
「いつから、そんなにはしたなくなった。それともまだ寝ぼけているのか?」
言いながらも、彼もまんざらでない様子だ。下衣を寛げ、反り返った欲望を取り出す。ひたりと蜜穴にあてがわれた先端の熱さに、ジュリアはひくり…と喉を鳴らした。
「あ……あぁ……ッ」
ずぶずぶと埋め込まれていく熱塊。絡みつこうとする粘膜を分け入られる行為は、頭の芯が痺れるほど気持ちいい。
「んんっ!!」
長大な存在をすべて受け入れたときには、軽く達していた。びくびくと身体を痙攣させ、歓喜に泣いた。
「もう片時も離しはしない。どこへ行くにも私の側に居ろ。いいな、片時もだ」
ジュリアは揺さぶられながら、何度も頷いた。
絶頂に押しやられながら注がれる精の飛沫に幸福を感じる。なんて幸せなのだろうと目を閉じた。
「大好き」
囁いた告白に、ライデンのくすぐったそうな吐息がかかった。彼の欲望は果ててもなおジュリアの中で力を漲らせたままだ。
「私の方がずっと愛してる」
お前だけだ、と言われる喜びに愛おしさが膨らむ。長い夜になりそうだ。
そんな様子にエファーリタはぱたぱたと耳を動かし静観を決め込んでいた。