ソーニャ文庫

歪んだ愛は美しい。

会員限定特典小説

クマと笑顔と

 昔も今も、グラントにとってヒスイの笑顔は何よりの宝物だった。
『グラント様だいすき!』
 輝く笑顔と共に、グラントが初めてそう言われたのは、ヒスイがまだ幼い頃のことだ。
 遊び相手もおらず、満足なオモチャすら与えられていない彼女を不憫に思い、グラントはある日クマのぬいぐるみを彼女に贈った。
 グラントの差し出したクマを見た幼いヒスイはクマごとグラントに抱きつき、そして好きだと言ってくれたのである。
『グラント様もこの子も、私のたからものよ』
 その無邪気な笑みを見た瞬間、自分にとっては彼女こそが生涯の宝になるだろうという予感があった。
 そしてその予感は当たり、ヒスイはグラントにとっての全てとなっている。


(それにしても可愛い……。ヒスイは今日も可愛い……)
 はたら見ると何かに怒っているようにしか見えない顔で、今日もグラントはそんなことを考える。
 その側では、ヒスイが穏やかな顔で眠りについていた。傍らには、かつて彼女が宝物にすると約束した、あのクマのぬいぐるみが置かれている。
 寝ぼけているのか、彼女はそれをぎゅっと抱きしめ小さな笑みを浮かべた。
(どうせなら私を抱きしめてほしいが、これはこれですごく可愛い)
 彼女が妊婦でなかったら、今すぐ抱きしめ肌を重ねたいと思うほどの愛らしさだ。
 そのまま可愛い妻の姿を観察していると、ふと彼女が抱きしめるクマのぬいぐるみが目に入った。
(さすがに、少しくたびれてきているな)
 ヒスイはクマのぬいぐるみを大事に扱っているようだが、それでもやはり長い年月によって汚れてしまっている。
 グラントがヒスイから 預かっていた人形よりは断然綺麗だが、その丸い瞳にはよく見れば小さなヒビが入ってしまっていた。
 そんなクマと見つめ合っていると、以前ヒスイが、『貰うなら剥製よりもぬいぐるみの方が嬉しい』と言っていたことを思い出す。
 日々の業務に追われてなかなか時間がとれなかったが、今なら多少余裕もあるので、ぬいぐるみを探す時間もとれるだろう。
(だが私が選ぶクマを……彼女は気に入ってくれるだろうか)
 剥製の失敗をいまだに引きずっているグラントは、どうしても不安になってしまう。
 だがそれなら、いっそヒスイ自身に選んで貰ってもよいかも知れないと彼はすぐに思いついた。
 ヒスイのつわりも落ち着いてきたし、気分転換を兼ねて出かけようと言えば彼女も喜ぶに違いない。
(我ながら、名案な気がするな)
 可愛らしい妻の寝顔を見ながら、グラントは自画自賛しつつ頬を緩めた。

     ***

「すごい……クマさんがこんなにいっぱい!!」
 ぬいぐるみを買おうと決めてから数日後、グラントはヒスイと共にリオンの店を訪れていた。
 タイミングがよいことに、リオンの店では子供用のオモチャを多く仕入れたばかりらしく、棚にはクマのぬいぐるみも大量に並んでいる。
 それを見上げながら、ヒスイは可愛らしい歓声を上げていた。
「ほしければ、すべて買ってもいいぞ」
 喜ぶヒスイが可愛くて思わず提案するが、「冗談がお上手なんだから」とヒスイは笑うばかりだ。
(冗談ではなく割と本気だったのだが……)
 グラントの真意に気づかぬまま、ヒスイは棚に向かい、真剣な顔でクマを選び始めている。
 その横に並び立ち、グラントもクマを見つめるが、彼にはどれがヒスイの好みかさっぱり分からない。そもそも彼にはすべてが同じように見えてしまうし、リボンの色が違うくらいの差異しか分からない。
 そしてヒスイも、さすがにこの中から選ぶのは大変らしく、いろいろなクマを取り上げてはじっと見つめている。
「一つに選べないなら、いくつか買ってもいいぞ」
「いいの、一つで大丈夫」
「我慢などしなくてもいい」
 むしろさせたくないと思ったが、ヒスイはグラントを見上げてにっこり微笑んだ。
「子供が生まれたらその子にも買ってあげたいの。だから私は一つで十分」
 そう言われてしまうと説き伏せる言葉も見つからず、グラントは黙り込む。
 そうしていると、ヒスイが「あっ」と呟き、頭にリボンをつけた茶色いクマのぬいぐるみを取り上げる。
「この子、グラント様からいただいたぬいぐるみに似ているわ」
「リボンの位置が違うが、こちらは雌なのだろうか」
「ええ、きっとそうだわ」
 ヒスイは、クマをいろいろな角度から眺めている。
 真剣な表情もまた愛らしく、グラントはそれを穴が開くほどじっと見つめる。
 彼の視線は鋭すぎるので、ヒスイでなければそのまなざしに耐えきれず逃げ出してしまうところだろう。
 けれどヒスイは視線に気づくと、笑顔になってうなずいた。
「この子に決めた!」
「それが気に入ったのか?」
「はい。グラント様からいただいた子のお友達にもちょうどいいと思って」
 ヒスイの言葉を聞きながら、グラントも改めてクマを観察する。
「たしかに、並べるとよさそうだ」
「あの子はずっと一人だったから、せっかくなら仲良くできそうな子が良いなと思っていたの」
 そしてこの子ならぴったりだと喜ぶヒスイを見て、グラントは思わず眉間にしわを寄せる。
(だめだ、発言が可愛すぎる……!!)
 少し子供っぽいが、むしろそこがたまらない。
 普段はしっかりしている面も多く、公の場では大人びた顔をすることも増えてきたので、そのギャップにグラントは完全にやられていた。
「あの、グラント様は、この子はあまり好きじゃないかしら?」
「いや、そういうわけではない」
 ただお前が可愛すぎて……と言うのは恥ずかしかったが、このまま黙っていればヒスイを不安にさせるだろう。
 何せ、黙っていると不機嫌にしか見えない顔だ。不機嫌どころか、誰かを殺しそうな顔だとさえ言われるのだ。
 そのため最近は、なるべく自分の気持ちは口にしようと決めている。
「……そのクマはよいと思う」
「よかった!」
「それにそのクマを抱いているヒスイは、とても可愛くていつまでも見ていたくなる」
 何とか声を絞り出すと、ヒスイが真っ赤な顔になる。
「と、突然褒められると照れてしまうわ……」
「照れるのも可愛い」
「そ、それ以上はもう……」
 今にも倒れそうだとつぶやくヒスイに、グラントは分かったとうなずいた。
「では、心の中で思うだけにする」
 むしろその方が得意だと考えながら、真っ赤な顔をクマで隠すヒスイをじっと見つめた。(うん、やはり可愛い)
 自分でも呆れるくらい「可愛い」しか浮かばないけれど、事実なのだから仕方がない。
 そしてきっと、自分はこれからもずっとヒスイのことを可愛いと思い続けていくのだろう。
 強面に似合わぬ甘い考えを抱きながら、グラントはクマのぬいぐるみを抱く妻の姿を見つめ続けたのだった――。

                                   【了】

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