密かな戯れ
庭で遊んでいると、クリストフがまた具合が悪いと言いだした。
クリストフは伯爵夫人に連れられて、アランたちの前から 去っていく。
「だいじょうぶかな」
こうなるとグレースの気はそぞろになって、せっかく盛り上がっていたドラゴン退治の遊びも中断になってしまう。
せっかく騎士が悪いドラゴンをやっつけて、王女グレースから褒美のキスをもらえるところだったのに。
「あーあ、つまんないな」
騎士から幼なじみに戻ったアランは、様子を見に行くというグレースと別れて、ひとりで庭の散策を始める。
迷路みたいな伯爵家の庭は、大人の目を盗んで子供たちだけで遊ぶには絶好の場所だ。
「ぜったい、わざとに決まってる」
アランは生け垣の葉っぱをむしりながら、クリストフの態度に腹を立てていた。
三人で盛り上がっているうちはいいが、じぶんとグレースだけが楽しそうにしているとクリストフはとたんに不機嫌になってしまう 。
それだけならまだいいが、ときどきお腹が痛いだの気分が悪いだのと言い出して、部屋に引きこもってしまうのは困りものだ。
そうなるとやさしいグレースが放っておけるはずがない。
仮病を使ってまで、クリストフがグレースを独占したい気持ちはわからなくもない。
じぶんだってできればグレースを独り占め したい。
けれどクリストフと違って我慢ができるのは 、いずれ大人になればじぶんの望みが叶うと知っているからだ。
「アランとグレースが望むなら、早いうちから婚約してもいいわね」
「両家にとってそれが一番望ましい」
偶然、親たちが話しているのを耳にしたとき、アランはじぶんの勝利を確信した。
「グレースの弟じゃなくてよかった」
成長するに従って、じぶんも少しずつだが大人の道理というものをわかり始めていた。
いつかグレースは誰かの花嫁になるし、クリストフも誰か別の花嫁を迎える日がくる。
本好きで思慮深いクリストフはきっと早いうちから現実を理解して、ひとり悩み苦しんでいたに違いない。
普段は大人びた幼馴染みが、グレースのことになると途端に感情的になり、アランにまで嫉妬心を向けてくる。
「いつまでも三人いっしょに楽しく暮らすの」
グレースの無邪気な願いは永遠に叶わない。
親公認の婚約者になれると知ってから、アランはクリストフの我が儘を許せるようになって いた。
もちろん一瞬腹は立つものの、すぐに許して次は三人でなにをして遊ぼうかと考える。
このときも幼馴染みの機嫌を取ろうと考えた挙げ句、マドレーヌを差し入れることにした。
アランの好物は、グレースやクリストフにとっても好物だ。
ベッドの上で口にすれば、ちょっとしたピクニック気分が味わえる。
じぶんの思いつきに心弾ませて、アランは使用人専用の出入り口へと急ぐ。
そこから出入りすることを大人たちは快く思っていないようだが、だめと言われれば余計にしたくなるのがアランの性分だ。
アランは裏口から厨房に入ると、大声で言った。
「マドレーヌを三つ包んで!」
***
「むぐ……っ」
枝から踏み外しかけて、アランはぎゅっと歯を食いしばった。
口には油紙に包まれたマドレーヌがあるので、悲鳴はくぐもった呻き声へと変化する。
以前クリストフから木の枝を伝えばグレースの部屋に行けると聞いたことがあった 。
ふたりの部屋は隣り合っていて、横に渡れるなら下からだって行けるはずだ。
木登りが得意なアランはするすると登っていく。
右手を枝にかければ、目指すバルコニーはすぐそこだ。
小鳥のように軽々と、アランは枝からバルコニーへと飛び移る。
ここまで来たら普通に登場しても面白くない。
アランはふたりを驚かそうと、カーテンの開いた窓から中の様子を窺った。
「……?」
最初それを見たときは、なにが起きているのかわからなかった。
ベッドの上で肌色をした、綺麗な子猫が二匹でじゃれあっている。
それが最初に感じた印象だった。
あいにくここまでは声が届かない。
恥ずかしがるグレースにクリストフがなに か言うと、彼女は観念したようにクリストフの前で横になる。
クリストフはひとつひとつの部位をたしかめるように手で触れると、ぴったりと肌をくっつけるように添い寝してしまう。
そしてクリストフは、ときどき思い出したようにグレースの頬にキスをした。
やがてキスは体のあちこちへ移って、グレースが耐えかねたように笑い出す。
アランはずるいと思った。
どうしてじぶんがあそこにいないのか。
どうしてグレースに触れるのは、じぶんだけじゃないんだろう。
さっきまでの余裕はどこかへ吹き飛んでしまう。
アランは初めてクリストフに嫉妬した。
あんな親密 な行為は、弟だから許されるのだ。
それともじぶんもしたいと言い出せば、グレースはおなじように裸で添い寝為てくれるだろうか。
アランは口にくわえたままの油紙を手にすると、背中を向けて座り込み、ひとりでお菓子を頬張った。
空は青く、白い雲が流れていく。
じぶんに隠れて、ふたりだけで仲良くしていることに腹が立った。
甘いはずのお菓子がいまはなんだか味気ない。
アランはひとりでマドレーヌを食べ尽くすと、そのまま枝を伝ってグレースの部屋に忍び込んだ。
クリストフがグレースを独占 するつもりなら、じぶんだって独り占め したい。
アランはグレースのベッドに潜りこむと、息を潜めて彼女が来るのを待った。
すんと鼻を鳴らすと、グレースの匂いを感じる。
やさしく甘い香り。
残り香はあってもグレースはここにいない。
彼女はひとつ壁を隔てた向こう側で、クリストフと裸の戯れを続けている。
きっとあれはいけないことで、大人に見つかれば叱られてしまうことだ。
誰に言われたわけでもないが、本能が自然と知らせてくれ る。
見つかれば怒られる。
だけどグレースに 触れたいという欲求は抑えることができない。
くすくすと、ふたりの笑い合う声が耳に届いた気がした。
壁の向こう側にじぶんだけが知らない世界がある。
ふたりだけの秘密がある。
もう大人になるまで待てない。
グレースが嫌だと言わなければ、いますぐクリストフとおなじことがしたい。
楽しいことは三人いっしょに経験してきたけれど、いけないことはきっとふたりでしかできないのだ。
「はやくきてよ……」
マドレーヌで腹が膨れたせいか、アランはうとうとし始める。
浅い微睡みで見たのは、小さな狼になってラ・ヴェールの森を駆けまわる夢だった。
やがておなじく狼になったグレースとクリストフが合流する。
風を切る音が耳に心地いい。
三人いっしょならどこまでも行ける気がして、アランは口もとに笑みを浮かべた。
もしかしたらグレースの夢は叶うかもしれない。
ベッドのなかで丸くなりながら、アランはグレースを待ちわびる。