ソーニャ文庫

歪んだ愛は美しい。

会員限定特典小説

完璧な恋人

 「そういえば、和音ちゃんって恋人の文句とか言わないわよね」
 不意にそんな言葉を投げかけられたのは、同僚たちと駅前のカフェでお茶をしていたときのことだった。
 少し前までは、内気すぎる性格と表情の出にくい顔のせいで、和音は誰かとこうして打ち解けて話すことができずにいた。
 けれど素敵な恋人と出会い、彼と過ごすことで会話にも慣れ、今ではお茶をしながら談笑さえできるほどに成長したのだ。
 とはいえ、質問の内容によってはまだ言葉が詰まってしまうし、特に『恋人』の話題を振られたときは、うまく話せなくなることの方が多い。
「こういうところで、ずーっと恋人の話をする子っているでしょう? でも和音ちゃんはそういうのないなって、ふと思ったの」
「言われてみると、あまり話さないかもしれませんね……」
 そもそも彼のことを話すのは気恥ずかしくて、あえてその話題を避けていた気がする。
「実はちょっと心配してたのよ。和音ちゃんってため込んじゃうタイプでしょう? だから、悩みとか愚痴とかあるんじゃないかと思って」
 木村をはじめ、四人掛けのテーブルで和音を取り囲む同僚たちは、皆和音よりも年上だ。
 だから余計に若い和音のことが心配らしく、彼女が変な男に捕まっていないかと口々に問いかけてくる。
「も、文句とかは特にありません。とても素敵な方ですし」
「ならよかったわ。……ほら、和音ちゃんって、自分でも言ってたけど変質者に好かれやすいんでしょう? 付き合ってみたらそういう男でしたってオチだったらどうしようと思ってたの」
 木村の言葉に一瞬返事に困ったが、和音は慌てて「いつも素敵な人です」と返す。
 むしろ素敵すぎるところが欠点かもしれないと思ったが、それを言うのは恥ずかしくて、和音は顔を赤くして俯いた。



■■■      ■■■



「やけにじーっと見てるけど、俺の顔になんかついてる?」
「あ、ごめんなさい」
「いいよ。和音に熱い視線を向けられるのはいい気分だ」
 キザったらしい言葉を口にしても全く違和感のない、魅力的な笑顔を浮かべながらクロが手元のノートパソコンをゆっくりと閉じる。
 世界中にホテルチェーンを展開する《猫羽リゾート》のCEOである彼は、長いこと苦しめられていた発作が落ち着き、最近本格的に仕事に復帰したばかりだ。
 このところずっと忙しいようで、こうして家に仕事を持ち帰ることも多くなった。
 邪魔をしないように、いつもは自分のことをしている和音だが、今日はつい木村たちの言葉を思い出し、彼のことを眺めてしまっていた。
「もしかして、お茶会で何か言われた?」
 そして察しのいいクロは、お見通しだという顔で和音に手招きする。
「私のことより、お仕事は……」
「一段落したから大丈夫。それより、どうしたの?」
 再度尋ねられ、観念した和音はソファに座るクロの隣に腰を下ろす。
「その……クロは素敵だなって、改めて思っていただけで……」
「てっきりけなされると思ったから、その言葉は意外だな。お茶をしながら、日頃の愚痴でもこぼしてきたんだと思ってたのに」
「むしろ、愚痴をこぼさないから心配されました。口に出せないくらい強烈な変態に捕まったのかもって、心配までされてしまって」
「まあそこは否定できないね。何せ俺は、『猫耳カチューシャの変態』だから」
 そう言ってクロが髪をかき上げると、彼の頭に黒い猫耳がぴょこんと出現する。
 今はもうすっかり馴染んでしまったけれど、最初にこの耳を見たとき、和音は大いに慌てた。
 クロの祖先は妖怪『猫又』の血を引く一族で、その血のせいで妖怪になることができる……なんて話を突然され、すぐには信じられなかった。
「変態って呼んじゃったこと、結構根に持ってますよね」
「いやむしろ、その響きは気に入ってるくらい。普段はCEOとかプレイボーイとか呼ばれることが多いけど、あんまりしっくりきてなかったんだよね」
「だからって、変態がしっくりくるのもどうかと……」
「でも実際、変態って言われても仕方のないこと、してたし」
 それから彼は、猫耳姿のまま和音にすり寄りほっと息を吐く。
「最初のドタバタを思うと、変態から彼氏に格上げされてよかったよ」
 頬を寄せてくる仕草は猫のようで可愛らしいと思うものの、和音を抱き寄せ腕に閉じ込める身体は逞しく、そのギャップが和音の胸を妙にドキドキさせる。
「まあできることなら、更にステップアップしたいところだけど」
「それは……」
「この先は、もう少しムードのあるところで改めて言うよ。さすがに、猫耳をつけたままじゃ格好悪いしね」
 期待しててねと告げる優しい声に、和音はつい固まってしまう。
 でも嫌ではないと思う気持ちはクロに伝わっているようで、彼は和音の唇を優しくついばんだ。
 以前と違ってキス一つで取り乱すことはなくなったけれど、クロの唇はうっとりするほど柔らかくて甘い。
 それを受け入れていると身体の芯から溶けそうになり、和音は慌てて彼のシャツをぎゅっと握りしめた。
「これは、もっと続けてって意味?」
 シャツを握る手に大きな手を重ね、クロが艶っぽい視線を向けてくる。
 彼に身を委ねたいと思う気持ちはあるけれど、それにはまだ時間が早すぎる気がして、和音は「それは夜に」と声を震わせた。
「それより何か食べましょう」
「俺は和音が食べたい」
「そう言って、最近よくご飯を抜いてるでしょう?」
 それにクロの秘書であるトラの話では、昼食の時間が取れないこともあるらしい。
「ご飯は食べないと駄目です。何か作りますから、キス以上のことは……その、あとにしましょう」
「わかった、今は我慢する」
「じゃあ何か作ります」
「いや、俺が作るよ。実は二人で食べたいものがあるんだ」
 にこやかな笑顔と共にキッチンへ向かうクロを、和音は慌てて追いかける。
「私も手伝います」
「じゃあ買ったばかりのせいろ、出しておいてくれる?」
「せいろって、何か蒸すんですか?」
「肉まんを作ろうと思ったんだ。まだあのときの『約束』、果たせてなかったなって思ったから」
 クロの言葉に、和音は以前二人で肉まんを半分こしようと話したことを思い出す。
「でもあれって、コンビニの肉まんのことかと」
「俺もそのつもりだったんだけど、初めての半分こだから特別な肉まんがいいと思って」
「は、半分こなら他の料理でもしてるじゃないですか」
「肉まんは特別だよ。それに半分この約束は、俺にとって特別なものだし」
 妙なこだわりがあるらしく、クロは断言する。
「だから、実はこっそりレシピを聞いておいたんだ」
 それも自分が経営するホテルの有名シェフ直伝だといわれ、彼の並々ならぬやる気に和音は驚く。
「愛する人に作ってあげたいって言ったら、すごく熱心に教えてくれたんだ」
「す、すごい本格的ですね」
「生地から作るから、少し時間がかかるけど待てる?」
「私は大丈夫です。むしろ、そこまで本格的だとあまり手伝えないかも」
「いいんだ。俺が作ってあげたいだけだし、それにお礼なら……」
 クロは指先で和音の唇を撫で、「わかってるでしょ」と微笑む。
「完璧な肉まん作るから、期待してて」
 唇をなぞった指で優しく頬をくすぐり、クロは早速料理を開始する。
 相変わらず猫耳がついたままだけれど、それでもやっぱり彼は格好いいし素敵だ。
「今度、木村さんたちに少し自慢してみよう……かな」
「え?」
「何も言わないせいでクロのイメージを下げてしまうくらいなら、優しいこととか、料理が上手いこととか、少しはのろけてみるのも良いのかなって……。完璧すぎて、逆に信じてもらえないかもしれないけど」
「じゃあ、家ではいつも猫耳カチューシャつけてるって言えばいいよ」
 あながち間違ってないしねと耳を揺らすクロに、和音は思わず噴き出す。
「猫耳だけど素敵な彼氏だって、言っておいてね」
 その言葉に頷いて、和音は幸せな気持ちで猫耳の素敵な恋人を見つめたのだった――。


【了】

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