言いなりの喜び
それはいつものように、ベッドの中で甘く睦み合っている最中のことだった。
「エレノア。これはなんだ?」
愛妻に覆いかぶさり、喉元にキスを落とそうとしていたジェイクが、怪訝そうに動きを止めた。
「ここが赤くなっている」
ジェイクの指先がなぞったのは、ほっそりとした首筋の付け根だ。
「まさか――他の男の口づけの痕か?」
ジェイクの声が尖りを帯びて、夜着姿のエレノアは慌てた。
「そんなわけありません。ジェイク様が、その……いつも吸われるからでしょう?」
「俺は、君の体のいつどこに何をしたか、ありありと覚えている」
ジェイクはきっぱりと断言した。
「最近は、痕が残るほど強く、この位置に口づけたことはないはずだ。俺がしたのでないなら、必然的に――……」
「待ってください、違いますから!」
あらぬ疑いをかけられて、エレノアは声を荒らげた。
二人の愛の結晶である娘のミリアまで生まれた今、よその男性とどうこうなろうなどと、考えたことさえなかった。
なんとしても潔白を証明しなければと、ここ数日の記憶をさらう。
(先週から一度も外出はしてないし、虫に刺されるような季節でもないし……――あ)
思い当たることが、あった。
エレノアはジェイクを見据え、堂々と弁明した。
「ジェイク様の思ってらっしゃるようなことじゃありません。これは、鏝(こて)がかすめた痕です」
「――鏝?」
「はい。髪をカールさせるときに、温めた鏝の金属部分が当たったんです」
今からおよそ二年前。
ジェイクに少しでもふさわしい女性になりたくて、王宮の舞踏会に招かれたことをきっかけに、エレノアは生まれて初めてのお洒落に挑戦した。
その後も地道な努力を重ね、ドレス選びのセンスや化粧の手際はよくなったけれど、いまだに髪を巻くのだけは苦手で、油断すると首や耳を軽く火傷してしまう。
ジェイクが指摘したのは、その名残というわけだ。
「納得していただけましたか?」
これで濡れ衣も晴れただろうと、エレノアは胸を張った。
しかしジェイクは、なおも表情を険しくした。
「なんということだ。君の真珠のような肌に傷がつくなんて――今後、鏝を使うのは一切禁止だ」
一方的な命令に、エレノアは当惑した。
「それは困ります。私の髪はまっすぐすぎて、鏝なしだとうまくアレンジできなくて」
「そもそも、髪型に凝る必要などないだろう。純正かつ天然かつ無添加のエレノアであるだけで、君は暴力的なまでに可愛い。こうしている今も、俺の視神経が君の美しさを処理しきれなくて、悲鳴をあげているというのに」
(また始まったわ……)
エレノアは内心で溜め息をついた。
思ったことがすべて口に出てしまう《魔女の気まぐれ》が解けたのちも、ジェイクが妻を賛美する台詞は、端的に言ってどうかしているとしか思えない類のものだ。
「いいですか、ジェイク様」
覚えの悪い生徒を前にした教師のように、エレノアはとくとくと言い聞かせた。
「何度も申し上げましたよね? 私が身なりを整えるのは、あなたと並んで見劣りしない妻でいるためです。ジェイク様の主観によると、私は妖精かつ天使かつ女神だそうですが、よその人はそんなにピントのおかしい視神経は備えていません。ついでに言えば、ミリアのためにも、できるだけ小綺麗な母親でいてやりたいんです」
「それはそうかもしれないが……」
娘を盾にされると、ジェイクは弱い。
それでもなんとか折り合いをつけるべく、ぼそぼそと反論を続けた。
「俺はただ、君に怪我をしてほしくないだけなんだ。鏝を使うにしろ、髪を結うのはノーマに任せるわけにはいかないのか?」
「ときどきはお願いできるでしょうけど、今のノーマは私の侍女というよりも、ミリアの乳母ですから」
子供の相手でいっぱいいっぱいなノーマに、さらなる仕事を押しつけるのは、どうしても気が引けてしまう。
「なら、新しい侍女を雇えばいい」
「ジェイク様。あなたの会社の今期の目標はなんでした?」
「『経費削減、費用圧縮、余剰と無駄を省いて慎ましく』」
「家庭内にも適用すべき、すばらしい目標だと思いませんこと?」
「君は優秀な経理担当者だが、ときどき、あまりに締まり屋過ぎないか……?」
ジェイクは眉間を押さえ、しばし黙り込んだのち、何かをひらめいたかのように顔をあげた。
「よし、決めた。これからは、俺が君の髪を結おう」
「ええっ……!?」
「鏝の使い方もそれ以外のことも、すぐに覚えてみせる。俺の宝に、二度とこんな傷を作らせることのないように」
首筋にうっすらと残った赤い痕に、ジェイクが唇を押し当てた。
そのまま傷の上を舌でなぞられ、エレノアの肩がびくりと揺れる。
「痛いのか?」
「違います、けど……っ……」
ぬるりと肌を這う舌の感触に、さっきまでの淫らな感覚が呼び戻される。
エレノアが感じていることに気づいたジェイクは、傷痕を優しく食(は)みながら、夜着の裾に手を差し入れた。
すでに下着は脱がされていたため、指先はすぐに、潤沢な蜜を湛える泉に触れる。
「あっ……や、ぁ――……」
体内から溢れる潤みをすくわれ、小さな花芽をくるくると撫でられれば、エレノアの表情はたちまち快楽に蕩けた。
内腿を震わせ、ガウンの襟元にすがりつくエレノアを、ジェイクは嬉しそうに眺め下ろした。
「普段のエレノアも愛らしいが、俺の手で乱れる姿はまた格別だ」
「んっ……ああんっ……」
「エレノアといると、毎日が特別な祭りのようだな。昨日も今日も明日も可愛すぎてありがとう感謝祭だ。祭壇を作って祀りたいほどだが、君は許してくれないしな」
「ば……馬鹿なことばっかり、おっしゃらないで……やぁあ――……っ」
素っ頓狂な(しかしジェイク本人としては大真面目な)口説き文句を吐きつつも、不埒な指は蜜壺をちゅぷちゅぷと掻き回し、エレノアをひっきりなしに喘がせる。
恥骨全体がぞくぞくと痺れて、夜着の下で芽吹いた両の乳首が、つんと尖った形を浮き彫りにしていた。
そこにじゅっと吸いつかれて、新たな戦慄が背中を駆ける。
「あああっ……!」
布地ごと甘噛みされ、ぷっつりした突起を転がされて、二本の指を咥え込んだ蜜洞がきゅうきゅうときつく締まった。
「ああ――狭くなったな。気持ちがいいのか」
食い締められた指を、ジェイクは膣内でばらばらに動かした。感じやすい粘膜が掻き回されて、ぬちゃぬちゃと卑猥な音が立つ。
つきつきと疼く乳首を吸われる快感と相まって、堪らなくなったエレノアは、息を乱して訴えた。
「お願い、です……もう……」
頬を赤らめ、遠慮がちにねだれば、ジェイクは名残惜しそうに言った。
「もう欲しくなったのか? 俺はまだしばらくエレノアを苛め――可愛がっていたいんだが」
「今、苛めたいって言おうとしませんでした!?」
「いや、気のせいだろう」
しれっと流されるが、絶対にそう言いかけていた。《魔女の気まぐれ》発動中なら、誤魔化すこともできなかっただろうに。
「そう睨むな。俺にとっては、苛めるのも可愛がるのもほとんど同じような意味だ」
ジェイクはくつくつと喉を鳴らした。
「ベッドの上で君を喜ばせるのも、怒らせるのも、困らせるのも、俺だけの特権だと思うと嬉しくて堪らない。それに君は何をされても、最後には許してくれるだろう? ――俺のことを愛しているから」
「そん、な……あぁあっ――……!」
ずるい、と抗議する間もなく、張りつめた雄茎を押し入れられて嬌声があがった。
とろとろになった内部を、ぬちゅり、ぐちゅりと穿たれて、内臓が粟立つような愉悦に指先まで支配される。
「ランプの明かりに照り映える君の髪は、黄金のように美しいな――」
敷布の上に散ったプラチナブロンドを指に絡め、ジェイクはその毛先にキスをした。
「どんな髪型に結ってやろうか、考えるだけでも心が浮き立つ。俺色に染める楽しみを、またひとつくれてありがとう」
貴族の男性が妻の髪を結うなど、常識的には考えられない行為だが、傍から何を言われたところで、ジェイクはやりたいようにするのだろう。
そしてまた、愛する人の言いなりになることに、エレノアも結局は喜びを覚えるようになってしまっているのだから――。
「好きだ、エレノア……もっと俺に、しがみついてくれ……っ」
「はい……私も、好き……ジェイク様のことが、大好きです……――」
深い口づけを夢中で交わしながら、エレノアは求められるまま夫の背に手を回し、体の芯から湧き立つ甘美な衝動に身を委ねた。