ソーニャ文庫

歪んだ愛は美しい。

会員限定特典小説

似た者同士

「初めまして、ティアリス様。新しくティアリス様付きの侍女になりましたユーファと申します」
 唖然とするティアリスを見つめて、ユーファはにっこり笑った。
 それがユーファとティアリスの初めての出会いだった。

 ***

 ユーファは神聖王国ブラーゼンの第四王子セヴィオスに仕える侍女だ。
 両親はもともとセヴィオスの母親の生家に仕えていて、彼女が聖王に見初められて側室となった時に一緒に宮殿にあがった使用人のうちの一人だ。
 やがて聖王の子どもを身ごもり宮殿内の小さな屋敷を与えられたセヴィオスの母親は、生家から多くの使用人を呼び寄せ、周囲を男爵家から連れてきた者たちで固めた。
 当時まだ幼かったユーファは気づかなかったが、その頃からすでにセヴィオスの母親は精神的に不安定だったようだ。屋敷を生家と似た造りに改装させ、屋敷の一番奥の庭を生家の庭そっくりに作り変えさせた。
 生家とよく似た屋敷、庭、同じ使用人たち――。
 何もかも生家と同じにすることで、セヴィオスの母親が幸せな過去を取り戻したがっていたのをユーファが知ったのは、もっとかなり大きくなってからのことだ。
 聖王の側室にさせられたことなどなかったように振る舞いたかったのだろう。それが、無理やり側室にさせられ、婚約者と別れさせられ、揚げ句にその元凶である聖王に飽きられて捨てられたセヴィオスの母親にとって、なんとか精神を正常に保つための唯一の方法だったのだ。
 そんな彼女の唯一の遺物が、生まれてきた自分の子どもであるセヴィオスだった。
 セヴィオスは彼の母親にとって、嫌いな相手の子どもというだけでなく、夢見ていたかった彼女を現実に立ち返らせてしまう存在だったのだ。
 側室はセヴィオスを拒否し、視界に入れるのを嫌った。
『お前さえいなければ、私はあの人のもとに帰れたのに!』
 泣きながら赤ん坊を罵倒する姿に、ユーファは恐れを抱いた。幸い暴力を振ることはなかったものの、セヴィオスの母親は彼を生んでからどんどん精神的に不安定になっていった。
 両親や他の使用人たちはそんなセヴィオスの母親につきっきりになり、自然とセヴィオスの世話はヨルクを中心としたユーファたち子どもが担うようになった。
 従兄弟のヨルクは同じ年なのにとても大人びた、両親にさえ敬語を使って話す変わった子どもだった。セヴィオスが少々変わっているのはこのヨルクを見て育ったからではないかとユーファはひそかに思っている。
 母親に憎まれ、疎まれる。そんな状況で育ったせいか、セヴィオスはとても変わった子どもになった。
 感情の起伏が乏しく、誰かに甘えることもなく、めったに笑ったり泣いたりしない。顔を合わすたびに母親になじられて、何を考えているのか分からない表情で受け流す。そんな彼をセヴィオスの母親は気味悪がり、ますます疎んじているようになっていった。だがそのことを本人はまったく苦にしていないようだった。
 ただ、頭はとてもよく、一を聞いて十を知る、そんな子どもだった。
 我がままを言うことなく、一日中本を読んで暮らしているセヴィオスは、仕える者たちにとっては楽な主人だった。その点、ユーファは恵まれていると思う。しかし心配事がないわけではない。
「なんとも惜しい。セヴィオス様がもっと多くを望めば、叶わないことはないのに」
 ヨルクはセヴィオスが長ずるにつれ、そう嘆くようになった。彼の気持ちも分からないではない。セヴィオスの異母兄である第一王子や第二王子、それに第三王子は王太子の座を巡って壮絶な権力争いを繰り広げていたが、周囲にさんざん甘やかされていることもあって、どの王子も次の聖王に相応しいとは思えなかった。
 その点、セヴィオスは異母兄より頭が良く、公正明大で、それでいて情に流されることがない性格のため、ひいき目なしにもっとも聖王に相応しいと思われる王子だった。
 一方、ユーファは第四王子に興味を持って近づく女性たちに冷淡に対応するセヴィオスに別の心配をしていた。
「将来どうなるのかしら、若様は。誰か異性に興味を覚えるようになるのかしら?」
 そんなセヴィオスに転機が訪れたのは彼が十五歳の時だった。そしてそれはユーファの生活にも大きな変化をもたらした。
「え? 私が後宮の侍女に?」
 ユーファは驚いてヨルクを見返す。
 何でも後宮と屋敷に庭を隔てる壁に開いていた穴がきっかけで、人質として後宮に暮らしていたとある小国の王女とセヴィオスが懇意になったらしい。互いに似たような境遇で育っていることから、徐々に親交を深め、いずれセヴィオスは彼女を花嫁に迎えるつもりであるらしい。
 けれどその王女は後宮で冷遇されていて辛い目に遭っているので、ユーファが後宮の侍女になって王女に守ってもらいたいのだとヨルクは言う。
「あの若様の興味を引く女性が? もちろん引き受けるわ!」
 少し前からセヴィオスは感情を表に出すようになり、笑顔も見せるようになっていた。その王女と出会ったおかげだと言う。
 ――その王女様を逃したら若様は一生女性と縁がないに違いない!
 セヴィオスを変えた王女はロニオンという北にある小国の庶子出の王女で、自国でも冷遇されていたらしい。その詳細をヨルクから予備知識のひとつとして教えられ、あまりのむごさにユーファは憤慨した。
「信じられないわ。そんな何の罪もない母娘にどうしてそんな酷い仕打ちを。ロニオンの連中はどうかしているわ!」
「……連中の肩を持つわけではないが、おそらく時期も悪かったんだと思うよ」
 ヨルクは少しだけ考えて言った。誰に対しても敬語を使って話す彼だが、幼い頃からずっと近くにいたユーファとカルヴィンにだけは例外だった。
 おそらくこちらが本来の彼の素なのだろう。ヨルクが心血注いで育てているセヴィオスですら知らない一面を見せてくれることに、ユーファは認める気はないが、ほんの少しだけ優越感を持っていた。
「どういうこと? 時期って?」
「ロニオンの経済状況はもうどうにもならないくらいに悪化している。それなのに王族と一部の貴族だけは贅沢三昧だ。不満を持つ者も多いだろうし、はたしてこの先ロニオンがどうなるのか不安に感じているだろう。そんな彼らの不満や不安がティアリス様たちに向かったのだと思う」
「なによ、それ」
「ティアリス様の母親は国王の側室で、ティアリス様は国王の血を引いている。直接王族に不満をぶつけたら命がないところを、ティアリス様たちに限ってはそうじゃない。彼らにとっては格好の相手だったろう」
「つまり八つ当たりされていたと言うの? 酷すぎるわ」
 確かにセヴィオスも母親が身分の低い男爵家出で、後見人となる貴族もいないことから冷遇されているが、そこまで侮られることも冷淡にされることもない。仕えているユーファたちも同様だ。
 しかしそれはブラーゼンが裕福で国内も安定しているからこそだった。
「ロニオン国王に溺愛されているという第二王女の身代わりにブラーゼンに送られることになったけれど、ティアリス様にとっては、それは幸運なことだったかもしれない。あのままロニオンにとどまっていたら何をされていたか分からないのだから」
 しみじみと言うヨルクをユーファは睨んだ。
「それでブラーゼンでも冷遇されていたら、意味ないでしょう! いいわ、私が行ってティアリス様をお守りするわ!」
 こうしてユーファはティアリスに仕えることになった。


 色々と準備をし、前女官の横領事件をうまく利用してティアリスの侍女に納まったユーファは、彼女と対面した。
 ティアリスはとても綺麗で繊細で、儚げな少女だった。自分を卑下することはあっても決して卑屈ではなく、立ち居振る舞いも下品なところは一切なかった。
 ――これは若様が放っておけないのも分かるわ。
 外見だけではない。ティアリスは我がままなところは一切なく、万事控えめで、とても心優しい少女だった。祖国やブラーゼンに来てからも自分のことは自分でやっていたせいか、ユーファが何かしてあげたことに対して、それが当たり前だとは決して思わず、いつも「ありがとう」と笑顔で付け加えるのだ。
 ユーファはたちまちティアリスに心酔した。
「ティアリス様に仕えることができて、本当によかったわ。何を考えているか分からない若様と違ってとても素直だし、可愛くて、もうっ」
 庭で楽しそうに語らうセヴィオスとティアリスを遠くから見守りながらヨルクに自慢げに言うと、彼は妙に意味ありげな笑みを浮かべて答えた。
「私は案外、お二人は似た者同士だと思うよ。置かれていた境遇とかではなく、根っこの部分がね」
「ええ? そうかしら?」
 その時ユーファにはなぜヨルクがそんなことを言うのか理解できなかった。
 けれど、ティアリスに仕え続けていくうちになんとなくヨルクの言うことが分かってきたのだった。
 ティアリスもセヴィオス同様、他人に興味を抱かない。無関心とは少し違うが、ティアリスにとって自分に深くかかわらない相手はすべて意識の外にあった。
 いつだったか、ティアリスの火傷の痕によく効くという薬を塗りながら、彼女がロニオンで受けていた仕打ちについて聞いてみたことがあった。
「ティアリス様。ティアリス様はご自分にこんな仕打ちをしたロニオンの人たちのことが憎くはないのですか?」
「……憎くはないわ。王妃様に逆らうことができないのは分かっているもの」
 淡く微笑むティアリスの目はそれが本音であることを物語っている。ロニオンの城中から酷い扱いを受けていたのに、ティアリスはそれを辛いと思うことはあっても、その人たちを恨むことはなかったらしい。
 彼らがティアリスにとって、意味がない存在だったからだ。
 同じことはロニオンの王太子に対する気持ちにも表れていた。王太子は王妃に遠慮してティアリスにかかわることはせず、ずっと存在を無視していたらしいが、特に彼女に敵意を抱いたり侮ったりはしていなかったようだ。けれど、その王太子に対してもティアリスはほとんど関心を寄せなかった。
 片方だけ血が繋がっている兄妹であるにもかかわらず、ティアリスにとって兄王子の存在はそこらのロニオンの人々と同じように意識の外にあった。
 一方で、ロニオン国王や王妃、それに異母姉のファランティーヌは、どうしても意識の外に出せない存在だったようだ。それは彼らが自分や母親の不幸の原因であったし、酷い扱いをしていたからだろう。
 あの三人だけはティアリスにとって色々な意味で特別なのだと悟らずにいられなかった。
 そしてそれはセヴィオスも分かっていて、ロニオンと彼らを消したいと思っていることをユーファは知っている。
「ティアリスに彼らもロニオンも必要ないよ。彼女は辛かったことをすべて忘れてここで幸せになればいい。彼女が僕にしてくれたように」
 ティアリスは気づいているだろうか?
 いつだったか、ティアリスはセヴィオスの母親が生家の庭にそっくり同じに整えさせたあの屋敷の奥の庭を、彼のために一度潰して新しい庭にしたいと言い出した。
 あの庭はセヴィオスにとっては母親の未練と狂気の象徴で、放置して朽ちるのに任せておくつもりだった場所だ。けれどそれを知ったティアリスは、そこにセヴィオスの母親へのわだかまりが少なからずあることを見て取ったのだろう。潰して彼のための庭を造りたいと申し出た。
 万事控えめなティアリスにはとても珍しいことだった。
 セヴィオスはもちろん構わないと許可した。彼にとって母親の未練云々よりティアリスが自分のためにしてくれることが嬉しかったのだろう。
 と同時に、すべてを破壊し未練を断ち切り、新しく彼だけの庭を造る――その行為が後にセヴィオスがティアリスに対してしたことに繋がっていると彼女はいつ気づくだろうか?
 ティアリスのその行為は彼女の隠れた望みをセヴィオスに示したも同然だった。セヴィオスがロニオンを滅ぼす決意をしたのがあの時だったことをユーファは知っている。
「あなたの言うとおりね、ヨルク。若様とティアリス様の根っこはよく似ているわ」
 ティアリスの無意識の望みを叶えるセヴィオス。セヴィオスの望むとおりに寄り添い、笑顔を向けるティアリス。彼女は「狂王」とセヴィオスを恐れる人たちの一部の間で「聖女」だと囁かれている。
 王の狂気を鎮め、聖なる王へと導く聖女だと。
 それを聞いてユーファは苦笑した。確かにその部分はあるだろう。けれど、決してティアリスも聖だけの人間ではないのだ。醜い部分も狂気の部分も併せ持っている。
「あのセヴィオス様が清らかというだけで惹かれるわけがないだろう? 彼らはとてもよく似ている。だからこそ惹かれあうのだろう」
 結局彼らは似た者同士なのだ。
「でも構わないわ、ティアリス様が幸せになれるのならば」
 ユーファの基準は何をおいてもそれだ。
 セヴィオスは彼女のためにロニオンを滅ぼし、国王たちを残酷な方法で殺した。ユーファはそれを分かっていて黙認した。ティアリスの幸せのために。
 そして今、ティアリスは聖王妃となり、セヴィオスの腕の中で微笑んでいる。セヴィオスが望んだとおりに。そしてそれはユーファ自身の願いでもあった。
「私もセヴィオス様が幸せであること、そしてティアリス様のために聖王であり続けるのであれば、一向に構わないね。外野が文句を言えば、それを消すだけだ」
 ヨルクは目を細めて笑う。ユーファがティアリスの幸せに心血を注ぐのと同様に、ヨルクもセヴィオスのためだけに動いている。それはこの先変わることはないだろう。
「結婚と言えば、ヨルク。縁談を全部蹴ってるって伯母様から聞いているけど、あなたは結婚する気はないの?」
 聖王セヴィオスの側近として、ヨルクのもとへは毎日のように縁談が持ち込まれていると聞く。けれど、彼はそれらをすべて断っているらしい。
「カルヴィンは一足先に結婚しちゃったわよ」
 庭師として働いているカルヴィンはちゃっかり女官の一人と恋に落ち、ついこの間、結婚したのだ。
 一方、ユーファは後宮でティアリスに仕えている間に結婚適齢期を過ぎてしまったために、縁談とは無縁だ。
「そういう君は? ユーファ。叔母上たちが嘆いているそうじゃないか」
「もう年増だし、それにティアリス様に仕えるのに夫は不要だわ。夫となる人だって、自分より仕える主を最優先にする妻はごめんでしょうよ」
 ユーファは肩を竦める。するとヨルクは小さく笑った。
「そうか。私も同じだよ。妻となる人には私がセヴィオス様第一だと理解してくれる人物じゃないととても務まらない」
「あなたもそうなのね」
 うんうんと頷くユーファに、ヨルクは手を差し出した。もちろんあの柔和な笑顔のままで。
「だから、ユーファ。私と結婚しないか?」
 目の前に差し出された手と唐突な言葉にユーファは口をあんぐりと開けた。
「は? この流れでどうして私と結婚という話になるの?」
「ユーファこそ、この流れで私たちがぴったりの相手だとどうして分からないんですかね?」
 わざとらしく敬語で言った後、ヨルクはにっこり笑う。
「ユーファはティアリス様を優先することを理解してくれる夫が欲しい。私もセヴィオス様第一であることに何の不満を抱かない妻が必要だ。互いの条件にぴったりだろう?」
 まるで取り引きするような口調でヨルクは続けた。
「私たちも似た者同士なんだよ。だからユーファ、この先も夫婦二人でセヴィオス様とティアリス様に仕えていこうじゃないか」
「……仕方ないわね」
 ユーファはため息をついてヨルクの手を取った。
 ヨルクならばユーファが仕えるティアリス優先であることに理解してくれるだけでなく、それを望んでくれるだろう。ユーファがヨルクには自分よりセヴィオスを第一に考えて欲しいと願うように。
 そう考えてしまうユーファも、結局はヨルクと似た者同士なのだった。

一覧へ戻る