愛は薔薇色のまま
結婚式から間もなくのこと――。
グレースがそれを見つけたのは、新婚の国王夫妻のため、大急ぎで宮殿を改築したことが原因だった。
当初は祝宴を行うための大広間も改築予定だったが、それは間に合わず、せめてふたりの住居部分だけでも、と急ぎ増築されたのである。
王の間の奥にある寝室も、増築された部分に移すことになり、侍女や従僕たちの手によってアーサーの荷物も移動された。
グレースが以前の寝室を訪れたのは、あらかたの作業が終わったあとのこと。
足元に気をつけながら、彼女は部屋の中をゆっくりと見て回った。
王の寝室にすれば小さい間取りかもしれない。だが奥には隠し階段もあり、階下の浴場に繋がっていた。かつては抜け道として使われていたという。今は大勢の知るところとなり、抜け道としての価値はなくなった。最近ではアーサーがグレースと寝室で睦み合ったあと、裸のまま浴場に向かうのに利用するくらいだ。
そういったことも含めて、グレースがこの部屋を使ったのは短い間だったが、素敵な思い出もたくさんあった。
何より、背中を斬られたとき、ベッドの上で目を覚ますなり、アーサーに愛を告げられたことは生涯忘れられない。
あのときの幸福感に浸りたくて、グレースはひとり、この部屋を訪れたのだ。
ところが残された荷物の中に、白絹に包まれた何かを見つけてしまった。
アーサーの持ち物は実用的なものばかりで、その中では妙に目立っている。とても彼自身の持ち物とは思えず、グレースは息を呑んだ。
勝手に見るわけにはいかない、という心の声が聞こえる。
だが、その声に耳を塞ぎ、中を見ようとしたとき、部屋に入ってきたアーサーに取り上げられたのだった。
「あ、いや、これは……」
彼らしくない慌てた様子で、釈明もせずに黙り込んでしまう。
グレースはとっさに、白絹に包まれたそれは女性に関係するものだ、と察した。
ふたりは十年間も離れ離れでいた。アーサーは『他の女は知らない』と言ってくれたが、それが真実だと確かめようはない。
そもそも、女のグレースならともかく、男のアーサーに十年間も女っ気なしでいることが可能なのだろうか。
(動揺してはダメよ。わたしはもう、アーサーの妻――王妃なのだもの)
グレースは心の中で何度も繰り返す。
深呼吸したあと、彼女は無理やり笑顔を作った。
「勝手に触ってしまい、申し訳ありませんでした。でも……大切なものなんですね」
何も言うまいと思いつつ、つい言葉にしてしまう。
ふたたび心を通わせ合ってから、数ヶ月しか経っていないせいかもしれない。些細なことに、不安が押し寄せてしまうのだ。
(わたし以外に愛し合った女性がいたとしても、気にすることではないわ。でも、こんなふうに隠すということは、今もアーサーの心に残っている女性なの?)
それでも笑顔を消したくなくて、グレースは奥歯を噛みしめる。
そんな彼女の思いに気づいたのか、アーサーは息を吐きながら微笑んだ。
「ああ、大切なものだ。捨てようとして捨てられず、私にとってお守りだった」
懐かしさに胸がいっぱいになっているようなアーサーの表情は、息もできないほどグレースの胸を締めつけた。
「それは……きっと、忘れられない思い出なのでしょうね。わたしは、先に……」
グレースが顔を背けて部屋から出て行こうとしたときだった。
ふいに、腕をアーサーに掴まれる。
「待て、グレース!」
「わかっています。何も尋ねません。だから、あなたもそれ以上は」
「そうじゃない。君は誤解している。ほら、見てみるといい」
そう言うと、アーサーは彼女の目の前に白絹の包みを差し出した。
「え?」
「見られて困るわけじゃない。ただ……いや、見ればわかる」
アーサーは決して怒っている様子はなく、どちらかといえば、うっすらと頬を染め、照れているように見えなくもない。
グレースは白絹の包みを受け取り、ゆっくりと開いていった。
中には、赤いサテンらしき長い布が包まれていた。
だが、ところどころ黒く汚れている。千切れた箇所を縫い合わせた痕跡もあり、とても白絹に包み込んで大切に保管するような価値のある品とは思えない。
ほんの少し首を捻り……グレースはすぐに、それが十年前は薔薇色の美しい光沢を持つリボンだったことに気づく。
「あっ……こ、これ……これは、わたしの?」
「そうだよ。十年前のあの日、君が髪に結んでいたリボンだ」
あのとき、リボンをどうしたかなど、何も覚えていない。求婚された喜びと、肌を重ねてしまった恥ずかしさとで、グレースの頭の中は混乱していた。
「亜麻色の髪に触れたくて、この手でもっと、君の髪を乱したくて、私がほどいた」
熱の籠もった告白に、グレースの頬も熱くなる。
「いやだ、わたしったら……ほどかれたことすら、気づいてなかったわ。あのときは、もう、夢中で……」
「私も似たようなもんだ。嬉しくて、でも男としての責任も感じていた。だから、リボンに気づいたのは朝方で、次に会ったときに渡そうと思い……まさか、その次が十年も先とは、あのときは思いもしなかった」
アーサーは照れ笑いを浮かべながら、グレースの腰に手を回した。そのまま抱き寄せられ、リボンを握りしめたまま、彼の胸にもたれかかる。
「ずっと、持っていてくださったんですか?」
「見てのとおりだよ。戦いのときは、剣を持つ右腕に巻いて出撃した。ボロボロになっても捨てることはできず、この国を取り戻したあとは、こうして白絹に包んで仕舞っていたんだ」
「ごめんなさい、わたし」
アーサーの言葉を疑った自分が恥ずかしくて、グレースは喉が詰まってそれ以上言えなくなる。
「何を謝る?」
「他の女性と愛を交わした思い出の品だとばかり……ごめんなさい。でも、嬉しい。嬉しくて、幸せで……ああ、どうしましょう。涙が止まらない」
そんなグレースの顔を覗き込み、アーサーは優しく笑った。
「仕方ない。では、私が君の涙を止めてあげよう」
言うなり、彼はそっと唇を重ねてきた。
ふわりと押し当てるだけの口づけに、グレースのほうがもどかしくなる。
「アーサー、愛してる。あなたが一番大変なときに、傍にいて支えられなくて、ごめんなさい」
「いや。君や子爵に復讐するために、なんとしても生き残ってやると思っていた。でも本心は……ただ、君に会いたかった」
「わたしも……会いたかった」
彼の背中にリボンを掴んだままの手を回し、ぎゅっと力を込めて抱きついた。
「残念なことに、ベッドは運び出したあとだな」
本当に残念そうな呟きに、グレースはクスッと笑う。
「どうしてもベッドが必要? どこでも愛し合えるって、アーサーが教えてくれたのよ」
「まいったな。なんて、淫らな王妃様なんだ」
「淫らな妻はお嫌い?」
上目遣いに彼の顔を見たとき、黒い瞳に情熱の光がよぎる。
「まさか、私を欲しがる君を見るのは最高に幸せだ。愛してるよ、グレース」
アーサーの愛を取り戻した寝室で、ふたりは心ゆくまで愛し合う。
それはもちろん、ベッド以外の場所で――。