ソーニャ文庫

歪んだ愛は美しい。

会員限定特典小説

公爵は愛を囁く

 アンドレアのアトリエは、彼の宝物に溢れている。
 たとえば、壁際の棚に置いてある、金色が混じった青い石。これは、幼い頃に母が絵を描くのが好きなアンドレアにくれたものだ。砕いたら絵具になると言われたけれど、深みのある青が気に入って、ずっと大切にしてきた。アンドレアの人生おける最初の宝物だ。
「綺麗だわ」
 石と同じ目の色をしたジェンマが微笑んでくれる。ただそれだけで、アンドレアは天にも昇れそうなほどの幸せを覚えた。
「君の瞳と同じ色だ」
 我ながら恐ろしいくらいに甘い声が出た。ジェンマは少し頬を染める。彼女がこのアトリエに入った頃から言い続けているのに、まだ慣れないのか、いつも照れてしまう。その横顔がたまらなく愛しくて、アンドレアは手を伸ばした。
「もっと見せて」
 頬に触れる。そっと撫でながら、彼女の目を見つめた。
 アンドレアが最も美しいと思っている色が、そこにある。初めて見た時から、心はずっとこの青に奪われたままだ。深くどこまでも澄んだこの青を、許されるならば砕いて呑みこんでしまいたい。
「んっ」
 唇を押し当てる直前、ジェンマは慌てたように目を閉じてしまった。それを少し残念に思いながらも、柔らかな感触を啄ばんで味わう。
 何度触れたって、初めての口づけのように夢中になる。幼い頃、初めて会った時から募らせたジェンマへの愛しさは、尽きることなんてない。一日ずつ想いは深く重くなって、我ながら怖い。
 置き場に迷った末にドレスを掴んだ彼女の指をそっと握る。この指が躊躇わずに自分の背に回る日を夢見ながら、更に口づけを深くしようとした時、扉がノックされた。
 ジェンマの体がぴくりと震える。彼女の意識が扉に向いたのが分かり、アンドレアは口づけを止めた。
「……ジューニかな」
「たぶん……」
 目を開けたジェンマは、困った顔でアンドレアを見上げている。名残惜しいけれどジェンマの指を離した。
 このアトリエにいるのは、また彼女の絵を描くためだ。今はその休憩中といった雰囲気を作りだすべく、アンドレアはジェンマから視線を外した。いいところだったけれど、仕方がない。また夜にたっぷりと彼女を堪能しよう。
「入って」
 扉に声をかける。
「アンドレア様、失礼いたします」
 すぐに扉が開いた。立っていたのは、子供の頃からアンドレアの世話をしてくれている侍従のジューニだ。彼の手には見慣れた箱がある。
「ああ、届いたのか」
「はい、さきほど。こちらをどうぞ」
 うやうやしく差し出された箱を受け取る。ジューニに軽く微笑んだジェンマが、彼女専用の椅子に戻ろうとする。彼女はきっとなんでもないように装っているつもりなのだろう。だがわずかに上気した頬では簡単に何をしていたのかばれてしまいそうだ。
 もっとも、隠さなくともジューニはジェンマとアンドレアの関係をよく知っている。それでも恥じらうのがジェンマのかわいさだと考えてから、アンドレアは箱に意識を戻した。
「ジェンマ、君も見るかい?」
「なにかしら?」
 振り返ったジェンマの気を引くべく、箱の中から石を取り出した。好奇心の強い彼女はすぐにアンドレアのもとへ戻ってくる。
「新しいものが届いたよ、ほら」
「……新しいもの?」
 首を傾げるジェンマの腰に左手を回しつつ、ジューニに下がるように目で伝える。一礼して出て行く彼を見送ってから、アンドレアは右手に持った石をテーブルに載せた。
 村で絵具を売っている店に、入荷したら届けてもらうようお願いしていたものだ。手のひらほどの大きさがある石は、小さな欠片を集めた塊のような形で、深い青と緑が混ざり合っている。
じっと見ていると青と緑が動き出すような感覚に襲われる、神秘的な石だ。
「初めて見たわ、こんな石があるの?」
 ジェンマが青い瞳を輝かせる。その美しさを瞬きしながら記憶しつつ、アンドレアは石を撫でた。
「アッズーリテとマラキーテを覚えているかい」
「……ええっと、絵具を作った石のことかしら」
「そう。君の瞳とドレスに使ったあの石が、混ざったものなんだ」
 絵具の顔料に使う深い青のアッズーリテ、緑のマラキーテは、同じ銅山から産出される。そのため、こうして混ざり合った石が出来上がるのだ。
「これ、僕たちの目と同じだと思わないかい」
「……本当だわ。私とあなたの目の色ね」
 ジェンマはじっとアンドレアの目を見て言った。口元に浮かぶ柔らかな微笑みがアンドレアから時を奪う。瞬きすらもったいない。この幸せそうな表情を、今すぐに描きたい。
 湧きあがってくる気持ちを抑えながら、アンドレアはジェンマの腰に回していた手に力を入れて、引き寄せた。彼女の体が少し強張る。まだこういった接触に慣れていないその反応が嬉しいと同時に、他の誰にも知られたくないと強く思う。
「僕たちも、こんな風に混ざり合えたらいいのに」
 身も心もひとつになりたい。願いのまま口走る。それでもまだ伝え足りなくて、形のいいジェンマの耳に唇を寄せた。
「愛しているよ」
 囁いて、柔らかな体を抱きしめる。身じろいだジェンマが小さく頷いて、それだけでもう、たまらない。昼間のアトリエだろうが関係ない、早く彼女のすべてを愛したくて、アンドレアは噛みつくように口づけた。

一覧へ戻る