ソーニャ文庫

歪んだ愛は美しい。

会員限定特典小説

王太子の隠し部屋

 大国メリクシアの王太子妃となって三年。
 ある日、エヴァリーンは宮廷女官の噂話を耳にした。
"王太子殿下が、ご政務の合間に隠し部屋で過ごされているそうよ"
 エヴァリーンは早速、王太子の秘書であるアランに隠し部屋について訊ねてみた。しかし、「お知りにならない方が、精神的によろしいかと思います」という不吉な予言をされて、話をかわされてしまった。
 なにやら寒気を覚えたが、知らないままでいる方が怖い。
 エヴァリーンは王太子の執務室をこっそりと探し回った。
 ――政務の合間に過ごす隠し部屋だと言っていたから、きっとこの辺りにあるのでしょうね……。
 ほどなくして、書棚の陰に隠された扉を見つけることができた。エヴァリーンはこくりと息を呑み、おそるおそるその扉を開ける。
「ひ……っ」
 隠し部屋を見渡したエヴァリーンは、その場にへたり込んでしまった。膝の上で握った指が細かく震え始める。
 隠し部屋は自分の姿だらけだったのだ。
 四方の壁を埋め尽くすような勢いで、エヴァリーンを描いた絵画が飾られていた。おまけに、部屋の奥にエヴァリーンとそっくりな人形がいて、結婚式の日に着用した花嫁衣装が着付けられている。
 ――ああ、やっぱり、こうなっていたのね……。
 結婚前も、夫のルドルフは離宮の一室にエヴァリーンの絵や私物を蒐集していた。必死に訴えてそこを閉鎖してもらったのだが、どうやらこの隠し部屋に蒐集物を移動しただけのようだ。
 ――しかも、以前に見た時の倍以上に展示物が増えているわ……。
 ルドルフは毎日、エヴァリーンに愛を囁いていた。それしか話すことがないのかと呆れるほど、甘い言葉で自分を口説いてくる。この隠し部屋に籠もっていた時も、エヴァリーンの絵や人形を相手に、愛を囁いているような感じがした。
 夫の愛情の重さにぞっとしていたら、肩に優しい感触がもたらされた。
「エヴァリーン」
「きゃっ」
 普段は決然とした靴音を響かせているくせに、こういう時だけ気配を消して近づいてくるのはやめて欲しい。
 ルドルフは魅惑的な笑みをこぼし、心臓が止まりそうになったエヴァリーンをふわりと抱き上げた。
「夫婦とはいえ、夫の秘密を暴くのは感心しない。あなたはいけない女性だな」
 口ではエヴァリーンを責めながらも、ルドルフの眼差しは蕩けるように甘かった。
 心臓がトクンと跳ねたけれども、夫の目に魅入られてしまったら、こちらの負けだ。エヴァリーンは瞬きをして気を引き締める。
「お言葉ですが、妻として、こちらの隠し部屋は了承しかねます。時々しか会うことができなかった昔とは違い、今は毎日お顔を合わせているではないですか。このような絵ではなく、私をご覧になればいいでしょう?」
 自分の知らないところで、これらの蒐集物がどう使われるのかを考えると、エヴァリーンは身が竦むようだった。今すぐにでも隠し部屋を閉鎖して欲しい。精一杯きつい表情をして訴えたつもりだが、ルドルフはますます目元を甘くしている。
「そうだな。私の目には、あなたしか映らない。あなたを私の妻にできた奇跡を、毎日神に感謝している」
「私は死ぬまであなたの妻です。ご納得いただけたら、この隠し部屋を閉鎖してください」
「あぁ、エヴァリーン……」
 ルドルフは愛おしげに目を細め、エヴァリーンの額に熱っぽいキスを贈った。今なら、エヴァリーンの言うことをなんでも聞いてくれそうだったが、この銀髪の王太子は一筋縄ではいかなかった。
「つれないおねだりをするあなたは愛らしいな。明日も明後日もこうやって、あなたのおねだりを聞かせてもらいたいものだ」
「……」
 何度、隠し部屋の閉鎖を要求しようが、ルドルフがそれを了承してくれる日は来ないようだ。
 ――こういう方を好きになった自分が悪かったのよ……。そう思って、諦めるしかないのでしょうね……。
 夫の腕の中でため息をついた時、視界の端に白っぽいものが映った。
 壁にずらりと掛けられた額縁のうち、一つだけエヴァリーンの絵がはめ込まれていないものがある。どうやら白い布が飾られているようなのだが……。
「あの白いものは何ですか?」
 エヴァリーンが指を差して訊くと、とんでもない答えが返ってきた。
「初夜のシーツ――夫婦となった私たちが愛し合った証だ」
「つ……っ」
 よく見ると、うっすらとしたシミのようなものが幾つも確認できる。お互いの体液が染み込んでいるようだ。細かい皺が寄っているのが妙に生々しい。
「いやぁ……っ」
 見ていられずに目をつぶったら、耳の中に熱い吐息を吹き込まれた。
「恥ずかしがることはない。あの夜のあなたは情熱的だった。私のものを呑み込んで、一晩中放さなかったな……?」
「そういうことは……言わないでください……。私が嫌がることを知っているくせに……」
 エヴァリーンは頬を真っ赤に染めて、ひどい人――という目で夫を睨んでやったが、ルドルフは嬉しそうに目尻を下げている。
「赤くなるあなたがかわいくて、つい意地悪を言ってしまった。許せ、エヴァリーン」
 横抱きにしたエヴァリーンのドレスの裾を割って、ルドルフはほっそりとした脚を撫で始める。
「あ……だめ……っ」
「だめだと言っても、やめられない。あなたの子どもが欲しい。私の子を産んでくれ」
「もう……十分でしょう……?」
 結婚して三年で四人も子どもを産んだ。末の子は双子だった。なぜか男の子ばかりだ。どの子もルドルフと瓜二つで、エヴァリーンの血なんて一滴も入っていないような気もする。
 侍女のジェシカは、「王太子殿下の精力が強すぎて、お子様方にお嬢様の要素が入り込む隙がないのですね」と呆れていた。
 顔が似ると、性格も似てしまうのかもしれない。どの子も母親のエヴァリーンが大好きで、毎日エヴァリーンの取り合いをしている。そこにおとなげなくもルドルフが参戦するものだから、エヴァリーンは五人の銀髪男子にもみくちゃにされる日々を送っていた。
「子は何人でも欲しい。今度はエヴァリーンとよく似た女の子を作ろう」
「また、あなたとそっくりな男の子ができる気がします……」
「ふっ、それもいいだろう」
 優しく微笑んだルドルフが、高らかな靴音を響かせ始める。エヴァリーンを胸に抱き上げたまま、向かう先はどうやら寝室のようだ。
「い、今からですか?」
「私をその気にさせたあなたが悪い」
「でも、子どもたちが……」
「たまには乳母に仕事をさせてやれ。しかし、母親を恋しがるだろうから、夕食までには終わらせてやろう」
「夕食って……」
 先程、朝食を食べたばかりだ。朝から晩まで自分を抱き続けるつもりか。
 ――無理。身体がもたないわ……。
 エヴァリーンは眉根を寄せて首を横に振った。
「そんなに困った顔をするな、エヴァリーン。――わかった、昼食までにしよう」
 それでも四、五時間は寝台の中なのだが、過酷ともいえる妥協案に頷いてしまう自分は、やはり彼を愛しているのだと思う。
 エヴァリーンは幸せな束縛に酔いしれながら、ルドルフの厚い胸に頬をすり寄せた。

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