執事の寝ている間に……
レイナルドは鏡の前に立つと、テイルコートにネクタイという姿に安堵の息を漏らした。
やはり自分は、執事の格好をしているときが一番落ち着く。
眼鏡の奥から鋭い視線を飛ばし、レイナルドはあらゆる角度から自分の姿に落ち度がないか何度もしつこく確かめた。
執事はある意味、屋敷の顔だ。
訪問者は執事の出で立ちやその振る舞いで、屋敷の格式や主人の品位を推し量る。
それゆえ身支度には人一倍神経をつかっている。
痩せたせいでぴったりだったテイルコートにわずかに風がそよいでいるが、太ってボタンがはち切れそうになるよりはましだ。
これ以上、お嬢様にご迷惑をかけるわけにはいかない。
ここしばらくレイナルドは執事職から遠ざかっていたが、明日からいよいよ本格復帰することになる。
ふたたび主に仕えることができる喜びで、執事の気分は自然と高揚していた。
レイナルドは両手に白い手袋をはめると、最後の仕上げとばかりに鏡に向かって笑ってみせた。
それは執事にとって最大限の微笑みだが、第三者から見れば唇が歪んだだけのささやかな変化に過ぎない。
レイナルドには他人と一線を画すような潔癖さと冷静さがつねに備わり、容易に人を近づけないような硬質な空気をまとっていた。
執事は久々に着替えついでに、一階を見てまわろうと思い立つ。そうすれば明日からの仕事もスムーズに運ぶに違いない。
そんな思いで洋燈を手にして食堂に入っていくと、
「あれ、レイナルド? こんな時間にどうしたんだい?」
柔和な笑みと穏やかな眼差しの男が、親しげに声をかけてきた。
「そういうノーラン様こそどうされたのですか?」
レイナルドがラッセル家の客人に声をかけると、男はやけに愉しそうに目を細める。
「ちょっと、喉を嗄らしてね」
そう言う男の声はなめらかで、夜も更けたせいかどことなく艶めいて聞こえた。
「それでは私が水を汲んで、お部屋まで水差しをお届けします」
「うーん……でも君、復帰は明日からなんだろ?」
「はい。ですが、体をならすにはちょうど良いと思います」
「そうだなあ……」
男はしばらく考え込んでいたが、やがて笑顔の手本とでも言うべき微笑みを満開にする。
「それじゃあ、お願いしようかな」
男は空の水差しをレイナルドに渡すと、そのまま食堂から出て行った。
十分後――。
レイナルドは水差しを持って、客間のある二階へと歩いていた。
しばらく動いていなかったせいか、階段を上るだけで息が乱れる。
息を整えながら廊下の一番奥にある男の客間へ近づいていくと、ほんの微かだが女のすすり泣くような声がした。
いまのは……?
不審に思いながらドアをノックすると、女の声もぴたりと止んだ。
空耳かと思い直していると、ドアがわずかに開いて男が顔だけ出してくる。
剥き出しになった肩から、男が半裸でいることがわかった。
「ありがとう、レイナルド。そろそろ寝ようと思って、着替えをしていたところなんだ」
聞いてもいないのに、男が愛想良く話しかけてくる。
「先ほど女性の声がしたような?」
「女性? ああ、たぶん窓を開けていたせいだよ。だいぶ風が出てきたから、さっき閉めたところなんだ」
どうやらすきま風を女の声と聞き間違えたらしい。
確かに考えてみればこの屋敷にいる女性はお嬢様だけで、そのお嬢様と男の関係はとても良好とは言い難い。間違っても、ここにいるはずがないのだ。
「おやすみ、レイナルド」
男は水差しを受け取ると、執事ににっこり微笑んだ。
「おやすみなさいませ、ノーラン様」
ドアが閉じるまで執事は律儀に礼を取る。
「――明日に備え、早くベッドに入ろう」
レイナルドは気持ちを切り替えると、地階にある自分の部屋へと戻っていった。
その頃ノーランは紳士の仮面を脱ぎ捨てて、水差しから直に水を口に含むと、ベッドの上で裸に剥かれたリリィローズの上にふたたび舞い戻った。
「危うく気付かれるところだったな、リリィローズ」
「ん……っ……」
口移しで水を飲ませると、リリィローズはやっとの思いで不満を声にする。
「ひ、ひどいわ、わざとここにレイを呼んだのでしょう?」
「さあ、どうかな」
意地の悪い笑みを浮かべ、ノーランはすぐに白い脚を割ると、リリィローズの秘裂の奥へと腰を進めた。
「あ、ぁ……っ」
「やっぱり君は二度目のほうが感じるみたいだな」
肉襞を抉るように律動が始まると、リリィローズは腰を仰け反らせ、せつない声を漏らし始める。
さきほど執事が部屋を訪れるまで、リリィローズは声を嗄らすほど男に責め立てられていたのだ。
「ほら、また。そんなに声を上げたら、レイナルドに聞かれるぞ」
「やぁ……っ……」
男に屈しまいと、碧い瞳が気丈に男を睨みつけてくる。
その瞳でノーランの欲望はさらに膨らみ、リリィローズの胎の中でみっしりと質量を増した。
「水も時間もたっぷりある。今夜も朝までいじめてあげるよ」
「あ、ぁああ……っ」
助けを求めるように伸ばされた手は、すぐに男に捕まってベッドの上に縫い止められてしまう。
そうして執事が寝ている間に、またしても望まない長い夜が始まろうとしていたのだった。