ソーニャ文庫

歪んだ愛は美しい。

会員限定特典小説

深愛のくちづけ

 暖かな陽差しに包まれた窓際のソファに腰かけ、ルーシアは刺繍に没頭していた。
 初恋の人であるアイザックと身も心も結ばれ、神の前で永遠の愛を誓ったのは三ヶ月前のことだ。
 子爵夫人となってからの日々は瞬く間に過ぎていき、つい先日、医師から待望の懐妊を告げられた。
 その日を境に、舞踏会や晩餐会に赴くこともなくなり、朝の散歩で外に出るくらいで、あとは屋敷で静かに過ごすようになっている。
 医師からは、乗馬や馬車で遠出をしてはいけない、ダンスもほどほどにするようにと言われた。けれど、外出までは禁じられていない。
 それなのに、身重の妻を心配するアイザックは、勝手に屋敷から出ることを許してくれず、まるで籠の鳥のような生活になっていた。
「ルーシア、ルーシア」
 大声と足音を響かせながら、アイザックが居間に姿を現す。
 帰宅の知らせを受けていなかったルーシアは驚きに刺繍の手を止め、歩み寄ってくる彼に声をかける。
「お帰りなさい、早かったのね」
「ただいま、ルーシア」
 目の前に立った彼が柔らかに微笑み、身を屈めて額にそっと唇を押し当ててきた。労るようなくちづけに、思わず頬が緩む。
「身体はどう? 辛くないかい?」
 隣に腰かけてきたアイザックに優しく腰を抱き寄せられ、ルーシアは笑顔で小さく首を横に振る。
「そんなに心配しなくても大丈夫よ」
「でも、今朝は悪阻が酷かっただろう?」
 あまりにも心配そうな顔をされると、こちらの身体を気遣ってくれているとわかっていても困ってしまう。
 懐妊の知らせを受けてからの彼は、驚くほど人が変わった。こんなにも心配性だったのかと呆れるくらい、ちょっとしたことでオロオロしたり、外出しても不安でしかたないのか、予定の時間より早く帰ってくるのだ。
「悪阻は誰にもあることなのだから、気にしすぎるのはよくないって、お医者さまも仰っていたでしょう?」
「そうだけど、苦しそうな君を見ていると、居ても立ってもいられなくなってしまうんだよ」
 アイザックは不安を隠そうともしない。それだけ愛してくれているのだと思うと、これ以上は強く言えなくなってしまう。
「あなたは優しいのね」
 ルーシアはにこやかに言いながら彼の手を取り、わずかながらもふっくらとしてきた己の腹へと導く。
「ルーシア?」
「愛するあなたの子がここにいるのよ、悪阻なんて少しも辛くないわ」
 笑顔できっぱりと言い切ると、アイザックがふっと口元を綻ばせた。
「キスしていいかい?」
 わざわざ訊ねてきた彼をおかしく思いつつも、躊躇うことなく大きくうなずき返す。
「愛しているよ、ルーシア……」
 力強い腕で抱き締めてきた彼が、深く唇を重ねてくる。
「んふっ……」
 搦め捕られた舌をきつく吸われ、甘い吐息が零れた。
 くちづけ合うほどに、自然と体温が高まっていく。肌のそこかしこがざわめき始め、身体の芯までが熱を帯びてくる。
 服越しに伝わってくる鼓動がいつになく激しいのは、アイザックが同じように昂揚しているからだろう。
 ところが、彼は唇を貪るばかりで、いっこうにその先へと進む気配がない。ルーシアの身体を気遣う彼は、湧き上がる欲望を自らを抑え込んでいるのだ。
 熱は容易く鎮まらない。それどころか、ますます高まっていく。けれど、身体に宿った愛の証をなによりも大切に思う二人は、柔らかな陽が差し込む静かな居間で、ただただくちづけを交わし続けていた。

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