ソーニャ文庫

歪んだ愛は美しい。

会員限定特典小説

あなたの眠りが安らかでありますように

 空気が震える気配に目が覚めた。
 まだ闇が深い時間、静寂にすすり泣く声が聞こえる。セルジュは腕の中で眠る愛しい人の頬にかかる髪を払った。睫毛に光る滴がある。
「……か、ないで」
 か細い声が哀願を紡いだ。
 またあの夢をみているのか。
 ずくり…と胸の奥深い場所が軋んだ。
 彼女が味わった孤独は、いつまで彼女を苛み続けるのか。「大丈夫、幸せだ」と笑ってくれていても、それが彼女なりの気遣いであることを察せないほど鈍くはない。
 リディアも気づけないほど深層心理に巣食った孤独。
 それを与えたのは紛れもなくセルジュで、彼女が夢にうなされる度にその罪の深さを思い知らされた。
 リディアは五年もの間、こんなふうにひとりきりの夜を過ごしていたのだ。それはどれほど過酷だっただろう。四肢を丸めるのは、押し寄せる不安から身を守るための無意識の行動なのか。
 目を覚ましている時はかつての生命力溢れるリディアでも、ひとたび眠りにつくと儚さが際立つ。列車内で何度も感じた心許なさの理由は、これだったのだ。
 またいつかセルジュが離れて行ってしまうのではないかと考えているのかも知れない。
『行かないで』
 記憶を失ったことで、自分はどれほどリディアを傷つけてきただろう。彼女の孤独も知らず、他人から与えられた人生を謳歌していた。見当違いな憎悪だけで故意の再会を企て、ひたすら彼女を凌辱し続け、真実を知った途端、怖くなって手放した。
 臆病者だと謗られて当然だった。
 それでも、リディアはまたこうして腕の中で眠ってくれている。
 列車の火災事故の後、父であるクレマン子爵に助けを求めひとり故郷へ戻った彼女の婚約者として現れたセルジュに、リディアは自分こそが臆病者だったと懺悔し涙した。
 けれど、それは違う。そうさせたのはセルジュの方だ。
 自分が不甲斐なかったばかりに、彼女に辛い選択を強いていただけだ。守ると言いながらも、実際に守られていたのは自分の方だった。彼女の言う通り、人生の選択はいつだって彼女に委ねていた。己への自信が無いばかりに彼女の強さに甘えていたのだ。
 愛しているから、格好悪い姿は見せたくなかった。
 それこそが格好悪いことだとも分からず、優しい男に徹していた。あの当時は、それくらいしかできなかったから。自分は彼女が思うほど心の広い人間でも、優しい男でもない。
 その証拠に身分が逆転した途端、彼女への態度は不遜なものとなった。記憶を失くし憎しみを抱いていたことを差し引いても、傲慢だった。挙げ句、すべてが明るみになり纏っていた虚勢が剥がれて露呈したのは臆病風に吹かれた憐れで愚かな自分。
 ――よく見限られなかったと思う。
 それどころか、彼女は人生と引き替えにしてでも、窮地に立ったセルジュを救おうとしてくれた。
 この細腕にあとどれくらいの重責を抱えようとしていたのかと思うと、胸が潰れそうになる。
「リディア」
 顔を寄せ、耳元で彼女の名を呼んだ。ややして、ゆるりと瞼が持ち上がる。ぼんやりとした薄紫色の目がセルジュを捉えると、「……また、泣いてた?」とかすれ声が問うた。
「今夜も何も覚えていないのですか」
「――うん」
 ぱちぱちと目を瞬かせた拍子に、目尻に溜まっていた涙が頬を伝った。それを唇で追いかけると、少し擽ったそうに首を竦める。
「私、何か言ってた?」
 リディアは自分が夢を見ていたことを覚えていない。こうして共に眠るようになって、はじめて夢で泣いていることを知ったと言う。
 覚えていたくないほど悲しい夢なのに、告げてもいいのだろうか。迷ったが、薄紫色の目の訴えには敵わない。
「行かないで、と」
「そう……」
 聞いたままを告げれば、リディアはそれきり口を噤んだ。小さく身じろぎ、体をすり寄せ「……どこにも行かないで」と額を胸に押し当ててくる。
 震えているのは発した声だけではない。その不安ごと抱きしめてやりたくて華奢な体を腕の中に囲い、柔らかな髪に口づけて彼女を宥めた。
「私はどこにも行きません」
 何度も伝えた誓いを今また、伝える。
「たとえあなたが私を望まなくなったとしても、私はあなたの傍に居続けます」
 言葉だけではきっと足りない。だから、一生かけてこの誓いが本物であることを示していく。
 もう二度とリディアを忘れたりしない、と。
 離れられないのは自分の方なのだから。
 埋める顔を上向かせ、口づけた。軽い啄みを繰り返し、唇を薄く開かせる。
「ん……」
 もう幾度となく繰り返している行為なのに、舌を絡めさせる瞬間の感覚に慣れずにいる初心さが鎮まっていた欲望に火をつけた。
「駄目、さっきも……したのに」
 口づけから逃れた唇がこの先の行為を拒むけれど、それは聞き入れられそうにないお願いだった。彼女が眠りに落ちる間際まで存分に彼女を堪能したはずなのに、体はもうリディアを欲している。
 力を漲らせ始めた欲望を彼女の腰を引き寄せることで誇示した。抱き合ったまま眠ったから、この熱も直に彼女に伝わっているはずだ。
「あ……」
 そうして、たったそれだけで恥じらう姿にまた欲情してしまう。
(何なんだ、この可愛さは)
 もう一度口づけ、彼女の体を弄った。手のひらに吸いつく柔肌は触れているだけでぞくぞくする。たっぷりとした質量と張りのある乳房を撫でれば、ビクリと腕の中でリディアが震える。その頂は愛撫を与えなくても硬く尖っていた。
 白い肌に実る薄桃色の蕾を指の腹で押し潰し、爪の先で弾く。徐々に上がっていく吐息を道しるべに、彼女が一番感じる行為を探る。
 彼女が乳房を弄られることに抵抗を覚えていると知ったのは、結婚してからだ。
 もどかしそう身を捩るリディアが可哀相だと思いつつも、そんな姿も可愛くて、なによりこの感触を味わってしまった後では止められるはずがなかった。
 指から伝わる弾力と、快感を覚えることで艶めく肌は、容易くセルジュを性の下僕へと変える。
 なのに、当の本人はそのことに気づきもしない。
「セル…ジュ。今夜は……もう」
 こくりと混じり合った唾液を嚥下し、懇願の色を浮かべた瞳がセルジュを見つめている。縋る眼差しが更なる獣性を目覚めさせているなど、彼女はきっと思ってもいないだろう。
(叶えてあげたいけれど、今夜は無理ですよ)
 孤独に囚われた夢など見なくて済むように。そんなものが彼女の心にいつまでも巣食っていられなくする為にも。
 目を細め、分かっていると言わんばかりに頷いて見せる。
「あなたを眠らせてあげたいだけです」
 ――リディアの心を占めていいのは、自分ひとりだけだ。
「や……、違うのっ。そうじゃなくて……あ、…ぁん!」
 本格的に彼女に覆い被さり、体の重みを使って足を割り開かせる。股の奥へと手を這わせれば、まだ先ほどの残滓が残っていて、新たに溢れた蜜と混じり合い十分すぎるほど湿っていた。なぞった蜜襞にそれを塗りたくり、秘部に指を挿し込む。
「はっ、あ……ぁっ」
 上壁の少しざらついた部分を擽り、瞳を覗き込みながら彼女の中の快感を呼び覚ます。潤んだ目で見上げる表情は扇情的で、股間の欲望はさらに熱を孕んだ。
 あぁ、早く彼女の中へ入りたい。
「リディア、私が欲しいと言ってください」
 ぐち、ぐちと彼女の感じる部分ばかりを擦り訴えた。セルジュの両肩に手を添えているリディアがいやいやと首を横に振る。
「も……いっぱい、言った……わっ」
「何度でも聞きたい。ほら、ここは何と言っていますか」
「や…ぁぁっ」
 差し込む指を二本に増やし、中をかき混ぜる。快感に落ちていく様には何度見てもたまらない支配欲を覚えた。
「すごく締まってきた。イきたいですか」
「い…ぁ、あ……あぁ、ん! や……、セル…、セルジュッ」
「欲しいと言って。私を求めてください」
「だめ、だめ、や……あぁ、あっ!」
 限界を迎える間際で、セルジュは指を引き抜いた。寸でのところで止められた快感に、リディアは泣きそうな顔でセルジュを見上げる。
「な…んで」
「言って、リディ」
 ――私が欲しいと、私しか欲しくないと言って欲しい。
 たっぷりと蜜がついた指を舐めながら、蜜口へ欲望を宛がう。それだけで秘部は切なくひくつき、セルジュを奥へと招き入れようと腰が蠢く。絶頂へ行きそびれた快感で苦しいのだろう。薄紫色の目を涙でいっぱいにしながら、リディアが欲望に手を伸ばしてきた。
「や……、セルジュッ」
 その手をシーツに縫いつけ、先端で秘部を擦る。その度に、びくびくと跳ねる体にほくそ笑めば、リディアがむずかった。
「リディア、早く」
 ねっとりと耳殻を舐め上げ、鼓膜に囁きをひとつ落とす。
「どうして欲しいですか?」
「……て、入れてぇっ! あぁ――っ」
 半ば脅迫じみた催促にリディアが屈した直後、セルジュは一気に最奥まで腰を進めた。
「ひぁ……、あ……っ、は…ぁ、う…んんっ」
 この快感を待ち望んでいたのはお互い様。愛しい人の中というだけでも意識が持って行かれそうなのに、絡みつく蜜壁が予告もなくセルジュを締めつけてくるからたまらない。
 深く腰を沈め、先端で最奥を何度も小突く。
「やっ、あ…、あ……っ」
 蜜口ぎりぎりまで引き抜き、浅い場所からも律動を送る。そうして、また最奥まで潜った。
「んん――っ」
 緩急をつけた快感は、リディアから妖艶な色香を匂い立たせる。薄目を開けた恍惚とした表情と振動に揺れる乳房の艶めかしさに、埋め込んだ欲望が肥大するのを感じた。
(狂わされる)
 ぞくり…と背筋に言いようのない快感が走った。
 嫌だと言いながらも、どこまでもセルジュを受け入れてくれるリディアに囚われていく。
(――だが、私はそれを望んでいる)
 薄く開いた唇から零れる吐息、のぞかせた舌が下唇を舐める仕草に目を細め、腰を穿つ速度を上げた。
 体中を渦巻く欲望が限界を叫んでいる。
「あ……ん、んんっ」
 走り始めた欲望の赴くまま、腰を振る。快感に歪む表情にすべてが持っていかれそうだ。
 零れそうになる快感の声をリディアに口づけることで誤魔化した刹那、
「……ッ!」
 びくんと秘部が痙攣し、リディアが絶頂を迎えた。強烈な締めつけに促され、セルジュも最奥へ精を放つ。
 腰骨から湧き上がる快感に身を震わせた後、ゆっくりと口づけを解いた。
「は……ぁ」
 くたりと弛緩したリディアは気だるげで、そのまま眠りの淵へと下りていく。セルジュは汗ばんだ前髪を梳いてやりながらそれを見送った。
「おやすみ、リディア」
 願わくば、あなたの眠りが安らかでありますように――。

一覧へ戻る