ソーニャ文庫

歪んだ愛は美しい。

会員限定特典小説

記念日

「やっぱり……」
 姿見の前でルーチェは溜め息を漏らした。
 薄々感じてはいた。けれど気のせいかもしれないと誤魔化していたのに……
 もう間違いない。どう見てもこれは。
「太ったわ……」
 以前より、服がきつい。
 ルーチェが身に付けるドレスはどれも既製品ではなく、フォリーが手配し採寸をして作られたものだ。それほど身体を締め付けるデザインではないけれど、必要以上のゆとりがある訳でもない。
 それがここ最近お腹回りに遊びが減った気がする。ピッタリと言えばそうだが、座った際などおかしな皺が寄らないか心配だ。
 そして何より気になるのが―――
「胸が苦しい……」
 以前はささやかな膨らみであったものが、今は布地を押し上げ主張している。
 それでも他の女性と比べれば、さほど大きいというほどでもないが。
 だが急激に変わった体型は、ルーチェに戸惑いを引き起こした。
 以前ならば見た目など大して気にしなかったかもしれない。今でも自然体であるのが一番であると思うし、清潔感や立ち居振る舞いの方が大切だと感じている。
 だが、聞いてしまったのだ。
 年若いメイド達が「太ったせいで彼に捨てられてしまったら、どうしよう」「女は所詮見た目よね」と語り合っているのを。
 それに周囲に気を配り、注意し見聞きしていると、男性の使用人達も「どこそこの女が細くて可愛い」だとか「色っぽくて堪らない」なんて会話を囁きあっている。
 つまり、人は見た目が大事というのも一理あるのではないだろうか。
 勿論、体型や顔貌が全てであるはずはない。尊ばれるべきは、内面だ。
 重々理解している。だが―――
 ルーチェは世間知らずだ。それは自分でもよく分かっていた。だから、浮かんだその考えを否定出来るだけの材料が見つからない。
「フォリーも痩せている女の人が良いのかしら……」
 元々ルーチェは発育不良気味で、肉感的とは程遠い。今まで特に気にもしなかったが、ひょっとしたらフォリーはそういう中性的な身体が好みなのかもしれない―――と考え出したら、怖くなってしまった。
 もしもそうなら、丸みを帯び始めたこの身体は彼の興味を損なう可能性がある。
「……っ、だって仕方ないじゃないっ、ご飯が美味しいんだもの……!」
 そう。びっくりする位、食事が美味しいのだ。
 聖女として島にいた頃は、空腹を紛らわし最低限の栄養をとる程度の意味しかなかったのに、今や一日の楽しみの一つにもなっている。
 作ってくれる調理人の腕が良いのは勿論だが、フォリーと一緒にとる食事は一際美味しい。ついついもう一口、と手が伸びてしまう。
 昔と比べ、食事量は格段に増えただろう。
 またデザートとして供される甘い物が素晴らしくて……
 その結果が、これ。
 エイラは「女はぽっちゃりしている位が丁度いいんです」なんて言ってくれるが……フォリーがどう思うかは分からない。
 ルーチェは鏡越しの己を見詰めて、決意を固めた。
「少し痩せなきゃ。せめて、胸がキツくなくなるまで」


 夕食を終え、部屋で寛いだ時間を過ごすルーチェのもとに、フォリーはいつもよりも早い時間に訪れた。
「誕生日おめでとう、ルーチェ」
 蕩けんばかりの笑みを浮かべ、フォリーがリボンの掛けられた箱を差し出す。
「……え?」
 予想外の出来事にルーチェがポカンと口を開ければ、悪戯が成功した子供の様に得意気な顔がある。
「今日はルーチェの誕生日だよ」
「でも、私は……」
 どこで生まれたのかも知れない身だ。当然、詳しい日にちなど知る由もない。
 それに記念日として祝われた経験もないから、どんな顔をすれば良いのか分からなかった。
「僕が決めた。今日がルーチェの誕生日。だから祝わせて?」
 誕生日って、勝手に決められるものなのかしら? と思わなくもないが、満面の笑みと期待のこもった瞳を向けられては、違うと主張するのも何だか不粋だ。
「早く開けて見て。きっとルーチェに似合うから」
 手の平に乗る大きさの箱は綺麗な包装が施され、鮮やかなリボンが結ばれている。解くのが勿体無いほど趣向を凝らした形に、暫く見惚れた。
「ねぇ、早く」
 フォリーの強請る声に急き立てられ、紙を破かぬよう注意しながら開けば、中から現れたのは髪飾り。
 銀細工で型取られた花は繊細に咲き誇り、優美な花弁を広げている。中心には紫色の石が嵌め込まれていた。
「……綺麗……」
 触れる事さえ躊躇われる美しさに、知らず嘆息が漏れた。
 箱から出す事もせず眺め続けていると、焦れたようにフォリーがルーチェを覗き込んでくる。
「……気に、いらない……?」
 不安気に下げられた眉尻が今にも泣き出す直前に思え、ルーチェは慌てて頭を振った。
「ち、違うわ! あまりに見事な細工だったから、見惚れてしまっただけ……!」
 実際こんなに素晴らしい装飾品は見た事がない。派手ではないが華やかで、抑えた色味が品良く纏まっている。絶妙なバランスは可愛らしさも持ち合わせていた。
「ルーチェの瞳の色に合わせたんだ。このすぐ傍にある赤い石は僕。寄り添っているみたいでしょう?」
 見れば中央に嵌る紫色の石の横には、蕾を模した小さな紅玉が添えられている。
「随分大きさに差がない?」
 そんな訳はないと思うが、暗に太った事を指摘しているのかと穿った見方をしてしまった。
 若干怯えながら問いかければ、「僕の世界の中心はルーチェだから」と返され、素直に受け取れない己を恥じる。
 ―――人様から頂いたものを疑うなんて……
「ね、つけているところが見たい。僕がやってあげるから後ろを向いて」
 いそいそと櫛を取り出すフォリーに苦笑しながら背を向ければ、丁寧に髪を梳かれた。
 元々長い割には絡まりにくいルーチェの髪は、彼の手の中で清流の様に流れ、ランプの光を受けてキラキラと光った。
「いつ触っても心地が良い……」
 掴んだ一房に口づけを落とされ、鏡越しに微笑まれた事で体温が上がる。肌に触れられたのでもないのに、身体中に熱が回った。
 その様子をつぶさに観察されているのを感じ、無性に気恥ずかしいのと、一瞬でもフォリーの真心を疑った罪悪感、拭えない不安から逃れるように視線を逸らした。
 誤魔化すために鏡に映る自身だけに集中する。
 パチリと軽やかな音を立て右耳の上にとめられた飾りは、自画自賛するつもりは無いが良く似合っている気がした。
「良いよ。想像以上に素晴らしい。ルーチェの美しさをこの上なく引き立てている」
 ルーチェとて年頃の女なので、綺麗なものは嫌いじゃない。何より、フォリーにそう思われるのは、とても嬉しい。
「あ、ありがとう……」
 手放しの賛辞に頬を赤らめつつお礼を告げれば「まだ、それだけじゃないよ」と返された。
「お祝いだから、特別なスイーツも用意させたよ。エイラ、持って来てくれるかい?」
 そうして運び込まれたものに、ルーチェは目を見張った。
 本物の薔薇かと見まごう細工を菓子で施されたケーキが、芸術品のように周囲に果物を敷き詰められ鎮座している。それは美味しそうであると同時に感嘆の息を漏らすほど美しい。
「すごい……」
「見た目だけじゃないよ、味も素晴らしいんだ」
 ルーチェはケーキをもっと見ていたかったが、フォリーはあっさりとフォークを突き刺してしまった。
 白いクリームで覆われた一角が崩され、中からはふっくらとした黄色いスポンジが覗く。
「口を開けて」
「う、うん……でも……」
 恥ずかしいのと甘い物を食べる不安に少し躊躇うと、口元まで近付けられたフォークが催促する動きで左右に揺れた。
 仕方なく口を開きかけた刹那―――
「……きゃっ……!」
 胸元へと甘い香りのそれは零れ落ちた。
「ああ、ごめん。手が滑ってしまった」
 ニッコリと笑うフォリーは心底楽しそうで、悪びれた様子もない。
「勿体ないから、これは僕が食べても良いよね?」
「え? ひゃ……っ!?」
 言うが早いか、ルーチェのささやかな谷間へ滑るクリームを舌で掬い取る。離れる直前に唇で強く吸い上げる事も忘れずに。
「や、フォリー……!?」
「甘くて、美味しい」
 フォリーの赤い舌が口の端を舐める動作が艶めかしい。その色香に惑わされそうになってしまう。
「もっと食べさせて……?」
 駄目、と拒否する間もなくフォリーが指で直接赤い果物を摘み上げ、ルーチェの肌へ滑らせた。その際、付いていたクリームが滑らかな胸に軌跡を描く。
「冷た……っ」
 コロリと苺が落ち着いた先はドレスに隠された膨らみの間。
「……!?」
「動いちゃ駄目だよ? もっと中まで入っちゃうから」
「で、でも……っ」
 フォリーの長い指が殊更ゆっくりと襟ぐりから忍び込み、淫らな意思を持って動くのを、ルーチェはなす術もなく見詰めていた。
 ゾク、と背筋が震える。顔や耳だけでなく、身体中が発熱するかのように燃えてゆく。
「ああ……ルーチェが動くから、奥に入ってしまった」
 クラクラする眩暈に翻弄されながらも、ルーチェはドレスを脱がそうとするフォリーの不埒な手を押し留めた。
「ま、待って! 見たら嫌……っ!」
 このままではふっくらした身体を見られてしまう。そうしたら、幻滅されてしまうのではないかと恐ろしい。
「だって、汚れちゃうよ?」
「でも……でもっ、エイラもいるし……っ」
「誰もいないよ。だから大丈夫」
 全く大丈夫ではない状況に驚いて辺りを見回せば、フォリーの言葉通り二人以外は室内から消えていた。
「いつの間に……」
「ね? だから僕に任せて。ほらルーチェも食べてごらん」
「……ふ、あっ」
 フォリーのクリームに塗れた指がルーチェの口内に押し込まれ、焦らすように舌を撫でた。
 甘さと共に、酸味のある果実の香りが鼻腔を刺激する。
 美味しい。でも、できれば普通に食べたい。いや、食べたくない。と混乱する頭でルーチェは考えた。
「その……っ、美味しいけれど、今はお腹がいっぱいなの! だから……」
「ふぅん。じゃあ、お腹が空くように運動でもする?」
「え」
 抵抗する間もなく抱え上げられ運ばれた先は、当然のように寝台の上。手際の良さに驚いているうちに、次々と身に纏う衣類は剥ぎ取られてゆく。
「あの、だ、駄目っ、やめて!」
 いつに無いルーチェの強い拒絶にフォリーの手が止まった。
「……僕を拒むの」
 確実に室内の気温が下がった、と思える冷気が忍び寄り、ルーチェを焦らせる。
「違うの……! 私……その、ふ、太った……の」
 掠れた語尾はフォリーに届いたかどうか、最早吐息に近く消えてしまった。
 顔を真っ赤にして眼を閉じたルーチェは、止まってしまったフォリーの手に傷つく。
 ―――やっぱり……嫌なんだ……
「どこが?」
「え?」
 笑いを含んだ問いが落とされ、思わず固く閉じていた瞼を押し上げた。
「だって……服が、特に胸辺りがキツイの」
「ああ……よく育ってきたね」
「育つ?」
 成長期などとっくに終わっている。そう思い首を傾げれば、情欲を隠さないフォリーがルーチェを抱きしめた。
「ううん、こっちの話。ルーチェは太ってなんかいないよ、気にしないで。でも仮に、ルーチェがエイラみたいな体型になっても、僕は構わない。ルーチェでありさえすれば、全部好き」
 クスクス笑う彼はとても嬉しそうだ。そこに嘘や慰めは感じられず、ルーチェは安堵の息を漏らした。
「本当……?」
「ルーチェを騙したりしないよ」
 湧き上がる喜びに突き動かされ、フォリーの背中に手を回す。
「良かった……」
「誕生日、おめでとう」
「ありがとう」
 今度こそ、屈託無くお礼が言えた。
 ―――そう言えば、今日はあの島を出た前日だわ―――というルーチェの思考は、フォリーが熱心に胸へ与える愛撫により霧散していった。


END

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