ソーニャ文庫

歪んだ愛は美しい。

会員限定特典小説

愛の策略

 飛鳥族の第二姫、沙良がガーディアル王国に嫁いで、早半年の月日が流れた。
 当初は人身御供としてガーディアル王国の王、シルフィードに差し出されたと陰口も叩かれていたが、夫婦仲は周りが羨むほどによく、何よりシルフィードの沙良への寵愛は目を瞠るほどのものであった。
 二人の仲の睦まじさから、ガーディアル王国の今後の発展を疑う者はいないほどだった。

 シルフィードは執務室の窓から庭を見下ろした。そこには最愛の妻、沙良が、供の由里と庭師たちと共に談笑をしている。
 沙良が来てから、張り詰めた空気の宮殿の中は明るい雰囲気に包まれるようになった。たった一人の存在でこんなにも環境が変わるとはさすがにシルフィードも考えていなかったが、素直で、誰に対しても変わらずに真摯な態度で接する沙良の評価は高まるばかりだ。
 自身の目に狂いがなかったことは当然だが、この状況はあまり好ましくない。自分以外の人間が沙良に好意を抱くことを許せるほど、シルフィードは広い心の持ち主ではなかった。
 もちろん、沙良の自分に対する想いは信じている。兄に向けるような感情は、今やちゃんと恋愛感情を含んだものに変化しているということも。だが、まだ色恋沙汰に慣れない沙良の歩調に合わせているので、シルフィードの溢れんばかりの愛は胸の中で渦巻いた状況だ。
 毎夜、瑞々しい身体に己の欲を注ぎたいと思っていても、それも沙良の身体を気遣って我慢している。沙良は単なる欲望のはけ口などではなく、シルフィードの愛を捧げる唯一の相手だ。その身も心も完全に手に入れるまで、いや、それ以降も、沙良という愛の花を大切に大切に慈しむつもりだ。
「……それには、この状況を少々変えなければな」
 どう言えば沙良の中にシルフィードへの不安の芽が生まれないように誘導できるだろうか。
 シルフィードはじっと沙良を見つめる。何を話しているのか、輝くような笑顔を惜しげもなく庭師たちに晒しているのに、シルフィードは無意識のうちに射殺すような視線を男たちに向けていた。

 その夜、夕食を済ませ、それぞれ湯浴びを済ませて部屋に戻った時、シルフィードは自分のために甲斐甲斐しく茶の準備をしようとしてくれる沙良を呼んだ。
「沙良姫、ここに来てください」
「はい」
 素直に頷いた沙良はシルフィードの側に立つ。だが、呼んだのはそこではない。
「ここに」
 シルフィードはもう一度わからせるように自身の膝を叩いた。ようやく沙良は意図に気づいてくれ、たちまち恥ずかしげに頬を赤くする。もう何度もその身体を抱き、もっと深く交わっているというのに、いつまで経っても初々しい反応をする沙良が可愛くてしかたがない。
「沙良姫」
 促せば、沙良は少し躊躇った後、ちょこんとシルフィードの膝の上に座った。緊張している肩を撫で、そっと腰に手を回して、細い首筋に顔を埋めた。香油の良い香りが鼻をくすぐる。
 熱いほどに感じる体温は、きっと湯上りのせいだけでないはずだ。
「に、兄さま?」
 シルフィードの行動に、動揺する沙良が震える声で問いかけてくる。このまま焦らし、甘い身体を味わってしまいたいが―――シルフィードは昼間考えたことを実行すべく、沙良を抱きしめたまま告げた。
「沙良姫、そろそろ一度由里を飛鳥に帰してやりませんか?」
「え……」
 思いがけなかったことなのか、沙良は大きな目をさらに丸くしてシルフィードを見つめてくる。その真っ直ぐな眼差しに邪な思いを見破られないようにしながら、シルフィードは沙良の頬に一度唇を寄せてから続けた。
「確か、彼女には飛鳥の地に思う相手がいると言っていましたね? あなたが来てくださってからあっという間に半年が経ちました。ですが、彼女にとっては長かった半年なのではないでしょうか? 愛し合う者同士がそれほどの間離れているというのはいかがでしょう」
 多分、飛鳥の族長も、そして由里自身も、数年という時間を考えて沙良についてきたのに違いがないはずだ。だが、シルフィードにとって由里は邪魔な存在だった。いくら沙良がシルフィードを想ってくれるようになってきても、宮殿の中の人間が沙良に対して忠実に仕えるようになってきても、幼い時から側にいる人間とは交わす信頼が違う。
 案の定、沙良はどうしていいのかわからないように、黙ったまま俯いてしまった。シルフィードの言うことはわかるが、自分自身が寂しく感じてしまうのもまた、事実なのだろう。
「どう思われますか?」
「……私……」
「……」
「私……」
 シルフィードは沙良をもう一度強く抱きしめた。思いに囚われていた沙良は身体を強張らせたままだったが、辛抱強く宥めるように揺すってやると、ようやくシルフィードの胸に頭を寄せてきた。
「……私は、こんなにも幸せなんだもの……」
「……」
「……由里だけに我慢を強いるなんて……できない……」
 どうやら、沙良の気持ちはシルフィードの望む方に傾いたらしい。優しい彼女の気持ちを利用することになったのは心苦しいが、これも二人だけの愛の関係を築くためだ。
「これが永遠の別れではありませんよ」
「……そう、ですよね」
(ただ、二度と会わせないだけだ)
 信頼する友人が側からいなくなれば、沙良はよりいっそうシルフィードに依存してくれる。何をするにもシルフィードの言葉を聞き、その意向を優先してくれるだろう。昼間から淫らな夫婦の営みを強いることも容易になる。
 沙良に対する強い忠誠を持つ由里を説得するのは少々厄介だが、それも沙良の口から伝えるようにすれば無理ではない。
 沙良は既に由里がいなくなってしまった時のことを考えているのか、涙で瞳を潤ませている。可哀想なのに、ゾクッとするほど嗜虐心をそそられた。
「沙良姫」
「……兄さま……」
「フィー、でしょう?」
 この後の濃厚な時間を意識させるためにわざわざ言い変えると、沙良はシルフィードの首に抱きつき、消え入りそうな声で「フィー」と呼んでくれる。
 なんと素直で、可愛らしいのか。
「悲しいことなど考えないで。沙良姫、私はずっとあなたの側にいますから」
「……フィー……」
 シルフィードは膝に座る沙良に、下からすくうように唇を合わせた。舌を差し入れれば、最初は戸惑っていたそれがおずおずとしながらも反応を返してくれる。くちづけを交わしながら沙良を抱き上げたシルフィードは、奥の寝台へと向かいながら、明日のことを考えた。
 由里が帰国を納得するまで、絶対に本当の思惑を知られないようにしなければならない。少しでも怪しい言動を見せてしまうと、敏い由里は何かに感づいてしまうだろう。この国から、いや、この宮殿から彼女の姿が見えなくなるまで、シルフィードは紳士の仮面を被り続けるのだ。
(すべては、私と、沙良のために)
 しかし、今は目の前の身体を思うさま貪りたい。
 二人きりの時は滴る欲情を隠す必要もないと、シルフィードは華奢な身体に覆いかぶさった。

                                       終

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