迷惑な新入り
「駄目っ、離して」
腕の中で必死に抵抗するか細い身体を、アドリアンはさらにきつく抱きしめた。
「もうこれ以上は待てない」
「でもっ、服が皺になってしまいます。まずは着替えないと――」
その言葉には答えず、アドリアンは柔らかい胸元へと手を差し入れた。
「まさか、三日も足止めを食らうとは……陛下もフォーレ公爵もなにかと理由を付けて私を王宮に引き留めようとする」
マリーの口元から甘い吐息が漏れる。優しい愛撫に早くも身体が反応している様子だ。
彼女の身体から立ちのぼる花のような香りに、アドリアンはようやく帰り着いたのだと胸が熱くなる。できることなら片時も離れず側にいたい。それなのにうるさい外野がそれを許してくれないのだ。
皆から祝福されて結婚式を挙げ、早三ヶ月。元どおりに公務に復帰したが、以前よりも雑用が増えた気がしてならない。ゆっくりと館で過ごせないことが、大きなストレスになっていた。
「……それだけ信頼していただいているということでしょう、ジェルマン様もそう仰ってました」
「ジェルマンが?」
アドリアンはふと手を止める。
と同時に、細く開いたドアから小さな金色の塊が飛び込んできた。
それは手のひらに乗ってしまうほど小さな子猫。一直線にアドリアンの足下に駆け寄ると、彼の足首に思い切り爪を立てる。
「なんだ、この猫は……」
見かけない猫だ。アドリアンは子猫を掴み上げようとするが、足にかじり付いたまま離れようとはしない。
「アドリアン、強く握らないで」
マリーは床に屈むと、子猫を呼び寄せ優しく抱き上げる。
「どうしたの、ジル。寂しかったの?」
子猫は満足げにマリーにすり寄り、ミャアと可愛らしい声を上げた。でもそんな姿すら、アドリアンにとっては忌まわしいばかりだ。
「また拾ってきたのか。いい加減にしなさい、今に館が動物で溢れてしまう」
「違うわ、この猫はジェルマン様がくださったの」
金色の毛並みを撫でながら、マリーは答える。
「昨日、視察の途中でこの館にお寄りになったの。見て、この子の毛はジェルマン様の髪と同じ色なのよ?」
「私の留守中に、あいつを館に招き入れたのか」
こちらは王宮で雑多な業務に追われていたのだ。その隙になんてことだろう、まったく油断も隙もあったものではない。
「どうしてそんな言い方をするの、ジェルマン様はわたしの大切なお友達よ。一緒にお茶をいただくくらい、許してくださってもいいじゃない」
頬を膨らますマリーの腕の中で、子猫は居心地良さそうに喉を鳴らして目を細めている。そのふてぶてしい態度までがジェルマンにそっくりだ。そう思うと、さらに面白くない気持ちになる。
「とにかく、その猫を部屋の外に出せ。今すぐにだ」
アドリアンが急に近づいてきたのに驚いて、子猫が床に飛び降りる。それでも全身の毛を逆立て、必死にこちらを威嚇していた。
「――リアン、そこにいるか?」
部屋の外に声を掛けると、黒い犬が鼻先でドアを押して入ってくる。
「こいつを外に連れて行け、私がいいと言うまで絶対に中に入れるなよ」
賢い犬はすぐに館主の言葉を理解したらしい。未だに絹を裂くような鳴き声を上げ続けている子猫に近寄ると、その襟首をそっとくわえ、部屋を出て行った。
「さあ、これで邪魔者はいなくなった」
満足げにそう言うと、アドリアンはふたたびマリーを抱き寄せる。
「……もう、子猫相手にみっともないわ」
すみれ色の瞳が非難の色に揺れている。彼女の顎に手を添えると、そっと上向きにさせた。
「小さくても、あいつは男の目をしている」
唇を重ね、舌を絡め合う。その一方で、胸元のリボンを解き、大きくはだけさせた。
「やめて、……まだこんなに明るいのに」
朝一番に王宮を出た。だから、まだ昼前だ。マリーが異を唱えるのももっともである。しかし、アドリアンはすでに我慢の限界まで来ていた。
「私よりも猫を優先した罰だ、今日はとことん付き合ってもらうぞ。お前は誰のものなのか、しっかりと身体に刻みつけてやる」
嫉妬が欲望に火を付ける。ゆっくりと確かめ合うように愛を交わすつもりだったのに、やはりどうも上手くいかない。
それでもマリーはすべてを受け止めてくれる。まだ快楽を覚えたばかりの身体で、乱暴な行為のすべてを包み込んでしまうのだ。
やはり、諦めなくてよかった。
何度も自分に負けそうになった。でもそのたびに強い意思を持った眼差しに引き戻される。
壊れるほどに強く抱きしめながらも思う、この命を自分のすべてをかけて守り抜こうと。
* * *
けだるさを額に感じながら瞼を開くと、窓の外はもう夕暮れだった。
傍らのマリーがゆっくりと起き上がる。
「……どうした?」
細い腰に腕を回して抱き寄せると、彼女はくすぐったそうに肩をすくめた。
「ジルはどこにいったのかと思って」
「また猫の話か?」
アドリアンが眉を少し上げると、マリーは困ったように微笑む。
「だって、あの子はまだこの館に来て二日目なのよ? 母猫と離れて寂しいのか、昨日はずっと鳴いていたの。可哀想だから、夜寝るときも一緒だったのよ」
またしても嬉しくない報告だ。しかし、これ以上彼女を困らせるのも良くないだろう。アドリアンは小さく溜息を吐くと上体を起こした。
「まずは服を着なさい、私も一緒に探してやろう」
子猫の名前を呼びながら廊下を歩いていくマリーをランプを手に追いかける。
扉の間までたどり着いたとき、暗がりからクゥンと小さな鳴き声がした。
「……まあ!」
マリーが小さく叫び声を上げる。
石の床に丸まって寝そべったリアンのおなかの上に、金色の子猫がうずくまって眠っていた。大人しくしていればそれなりに可愛らしくも見える。その計算高さまでが贈り主にそっくりに思えて気に入らなかった。
リアンは耳をピンと立ててこちらを向いているが、身体を動かそうとはしない。子猫のことを気づかっているようだ。
「もうすっかり仲良しなのね、まるでジェルマン様とアドリアンみたい」
「――どこがだ」
無邪気に微笑むマリーに、アドリアンは呆れ顔で答えた。
「どう見たって、リアンの方が落ち着いていて立派だ。やはりもともとの出来が違うんだな」
そう言って頭を撫でてやると、リアンは満足げにぱたぱたと尾っぽを振った。