ソーニャ文庫

歪んだ愛は美しい。

会員限定特典小説

出逢い

「今日はクラウスの奢りだからな。皆、遠慮なく飲め!」
 三人の騎士団員に向かって、ヒューは笑顔で言った。クラウスに誘われて城近くの酒場に入ったヒューは、そこでたまたま部下である彼らに会った。
 無理やり彼らの席に割って入ったが、彼らは嫌な顔をすることなくヒューとクラウスに席を勧めてくれたので、あまり大きいとは言えない丸いテーブルを男五人で囲んでいる。
「ヒュー隊長の奢りじゃないんですか?」
 常識人のクリスは、あまり交流のないクラウスに奢ってもらうのは申し訳ないと言うように眉を顰め、
「クラウス様、ご馳走様です!」
 調子のいいルイは、隣に座っているクラウスに頭を下げ、ちゃっかりと店員に酒の追加を注文し、
「……ただ飯なら何でもいいです」
 最年少のエリアスは、ぼそりと呟いて早速料理に手を伸ばした。
 ヒューには、ここにいる三人以外にも何人も部下がいるが、なぜか皆、少々個性的である。面倒見のいいヒューなら彼らを見捨てないだろうと、団長がそういう人間を次々によこしてくるのだ。しかしそれは表向きの理由で、ただ単に面白がって押し付けてきているだけだとヒューは知っている。
 そんな経緯があって彼らのリーダーを務めているヒューだが、自分でもなかなかうまく珍獣たちを扱えていると思っている。個性的な面々ばかりのヒューの隊は、今では騎士団一の実力を誇る最強集団になっていた。
「クラウス様は、どうしてヒュー隊長と仲がいいんですか? 友人は選んだほうがいいと思います」
 ヒューを非難するような口調でクリスが言った。するとルイも笑いながら頷く。
「全然共通点が見つからないですよね。ヒュー隊長と違って、クラウス様は完璧ですからね~」
 本人が目の前にいるというのに、平気で失礼なことを言う。そんな二人にヒューは唇を尖らせた。
 しかも、彼らに挟まれるようにして座っているエリアスまで、その言葉を肯定するようにうんうんと頷いているので、ヒューの機嫌は更に下降する。
 部下の中でもこの三人は特に、上司を敬うということを知らない。注意するほどではないが、本人の前でくらいは、ほんの少しでいいから敬意を払ってほしい。
 ヒューは、猫かぶりのクラウスにばかり彼らが尊敬の眼差しを向けるのが面白くなかった。
「そういえば、ヒュー隊長とクラウス様はいつからの付き合いなんですか?」
 憮然と酒を呷るヒューを無視して、ルイがクラウスに訊いた。クリスも興味津々といった様子でクラウスの返事を待っている。
 すると、当時を思い返しているのか、クラウスは遠い目をして答えた。
「俺が騎士団に入った時からだから……五年前、かな」
「その前から顔見知りではあったんだよな。俺はもう騎士として働いていたけど、まだまだひよっこでなぁ」
 すかさずヒューが口を挟むと、クリスとルイが先を促すようにこちらに顔を向けて身を乗り出した。それに気を良くしたヒューは、上機嫌でクラウスとの出逢いを語る。
「クラウスが騎士団に入る一年くらい前か。俺がまだぴちぴちの新人だった頃、街を見回りしている時に強盗の現場に出くわしたんだ。追い詰めたら、そいつが近くにいた少年を人質にしやがってさ。少し苦戦したけど、隙を突いて犯人をぶっとばして一件落着。その人質の少年っていうのがクラウスでな」
「あの頃から、ヒューの剣術は並外れて優れていたよ」
 にっこりと微笑んで褒めてくれるクラウスだが、その眩し過ぎる笑みの胡散臭さにヒューは眉を寄せる。
「お前のことだから、俺が助けなくてもどうせ自分で切り抜けられただろうけどな。ナイフを首に突きつけられてるっつーのに、やけに冷静で可愛くなかったのはしっかりと覚えてるぞ。だからその後、騎士団に入ってきたお前と再会した時は驚いたけど……なんか嬉しかったんだよなぁ」
 剣の筋はいいし、勘もいい。常に冷静で視野が広い。そして何より度胸がある。
 鍛え甲斐のある新人に、ヒューの心は躍った。だから団長に無理を言って、クラウスを自分の下につけてもらったのだ。
 そして二人は仲良くなり、クラウスが騎士から文官に転職した後も、親友として付き合いが続いていた。
「懐かしいね。騎士団にいた頃は、ヒューのおかげで毎日楽しかったよ」
 クラウスはヒューを見て、小さく笑った。作り笑いではないそれに、彼が本心からそう言っているのだと分かり照れくさくなる。
「どうだ、お前ら。友情っていいもんだろう?」
 満面の笑みでヒューが部下たちの顔を見ると、彼らはなぜか皆微妙な表情をしていた。
「……運命の出逢い」
 ぽつりと呟いたエリアスに、クリスが慌てて言う。
「クラウス様が女だったらそうかもしれないけど、二人とも男だから! ……でも、もしクラウス様が女だったら、今頃、ヒュー隊長と結婚して子供もいたかもしれない……」
「俺も同じこと考えてました。男同士で残念でしたね、ヒュー隊長」
 上司の失恋歴を知っているルイは、笑いながらヒューの肩に手を置いた。
 彼らに言われるまで気づかなかったが、もしクラウスが女だったら確かに運命を感じていたかもしれない。そう思ってしまったヒューは、慌ててその考えを頭から追い出し、ルイの手を払いのける。
「全然残念じゃない! 俺は、美人で優しくて気配りができて家庭的で清楚でエロい嫁をもらうんだ!」
 テーブルを叩いて叫ぶと、クリスが呆れた視線を向けてきた。
「クラウス様が美女と婚約したからって、そこまで高望みをしなくても……。それに、清楚でエロいって何ですか」
「馬鹿野郎! 普段は清楚だけどベッドでエロい嫁は、男のロマンだろうがっ!」
 ヒューは立ち上がって力説する。しかしそれに同意したのはルイだけだった。他の三人はなぜこのロマンが分からないのか、ヒューは心の底から彼らの感性を疑った。
 こいつらは、男として大事なものが分かっていない。このままでは人生を謳歌することなく年老いていくだろう。そう危惧したヒューは、男のロマンを教えてやろうと、口を開く。
 しかしヒューが声を発する前に、ルイがクラウスに言った。
「クラウス様とアイル様はお似合いですよね~。まさに美男美女! 羨ましいです」
 その言葉に、クラウスは誰もが見惚れる完璧な笑みを浮かべる。
 ヒューに白い目を向けていたクリスも、その話題には顔を綻ばせ、ここぞとばかりに質問した。
「クラウス様はたくさんの女性から言い寄られていたのに、どうしてアイル様を選んだのですか?」
 アイルのことを訊かれたのが嬉しいのか、クラウスの表情が甘く綻ぶ。
「気持ちを言葉にするのは難しいけど……。俺はずっと小さな世界の中で生きていた。そのことに気づかせてくれたのがアイルなんだ。人の心は簡単には手に入らないと教えてくれたのも彼女だ。彼女がいなければ俺は今でも、小さな世界の中で自己陶酔をしたまま生きていただろうね」
 そう言って微笑むクラウスは、最愛の恋人のことを考えているのか、表情がとても優しく愛しげで、部下たちはそんな彼にあてられたように口を噤んでしまった。
 人前ではいつも同じようにしか笑わない親友のそんな顔を見て、ヒューは目を細めた。
 クラウスがアイルに出逢い、そして変わったことを嬉しく思う。
 『完璧人間』だと言われ続け、その通りに生きてきたクラウスに、心から安らげる場所ができた。奇跡のような幸せな出来事だ。
 ヒューは、祝杯をあげるために拳を突き上げて店員を呼んだ。

  * * *

「ただいま、アイル」
「おかえりなさい、クラウス様」
 屋敷に戻ったクラウスは、笑顔で迎えてくれたアイルを軽く抱き締める。
 いつもはそれで挨拶が終わるのだが、今日は彼女の髪をひと房手に取り、それに口づけてみた。そして上目遣いで青紫色の瞳を覗き込む。
「…………」
 案の定、アイルの顔からは笑みが消え、半眼でクラウスを見つめてきた。
 変わらないその冷たい反応に安心して、クラウスの顔は綻ぶ。
 クラウスは、アイルの冷たい視線が好きなのだ。アイルはクラウスの顔に見惚れることはない。それは彼女が、他の女性のようにクラウスの外見だけを見ているわけではないからだ。そして、格好つけようとするクラウスを苦手としているから。
 クラウスにとっては、それが嬉しかった。自分の前では自然体でいていいのだと言ってくれているようで、心が安らぐのだ。
 もう一度華奢な体を抱き締めてから、クラウスはアイルと並んでソファーに腰掛けた。
「今日は少し飲み過ぎたな……」
 アイルの頭に頬を押し付け、寄りかかるように体を傾けながらクラウスは呟く。するとアイルは優しく微笑んだ。
「楽しかったのですね」
「アイルの自慢をしてきたんだ。あと、ヒューと初めて会った時の話もしたな」
 手触りのいい赤茶色の髪の毛を撫でながら酒場での出来事を報告すると、その話に興味を引かれたらしいアイルは、クラウスの顔を覗き込んで首を傾げた。
「ヒュー様とは、どういう出逢いだったのですか?」
 アイルがヒューの名を呼び、興味深そうにしている。まるで彼女がヒューのことを知りたいと言っているようで面白くなかった。そういう意味で訊いているのではないと分かっているが、もやもやとした不快感がクラウスを侵食していく。
 クラウスはアイルの肩を抱き、自分以外の男の名を呼ぶ唇を塞いだ。
「……っ……!」
 突然のことに驚いた様子で、アイルはクラウスの腕を掴んで体を離そうとする。しかしそれを押さえつけ、ほんの僅か唇を離す。
「……アイル、俺の名前を呼んで」
 クラウスが囁くと、アイルは不思議そうに眉を寄せながらその名を呼んだ。
「クラウス様……」
「そうだ。アイルは俺の名前だけ呼べばいい」
 クラウスは頷き、アイルの唇に食らいつく。そして思う存分口腔を蹂躙し、彼女が甘い声で何度も自分の名を呼ぶのを聞いてから、満足した気分で唇を離した。
 息が上がっているアイルを腕に抱く。無防備に体を預けてくる彼女の頭の中は、クラウス一色になっているだろう。そのことに充実感を覚えながら、クラウスはヒューとの出逢いを語った。
 人質にされたクラウスを助けてくれたのがヒューだったと聞いたアイルは、恋人同士の運命の出逢いのようですね、と言って笑った。
 ヒューの部下たちと同じ事を最愛の恋人に言われてしまうと複雑な気分になる。
 しかしクラウスは思う。クラウスとアイルの出逢いこそが運命的なものだった、と。
 初めて言葉を交わしたあの時、アイルが倒れこんできてくれて良かった。どんな理由があったにしろ、アイルがクラウスに関心を持ってくれて良かった。
 苦しいこともつらいこともあった。けれど今、こうしてアイルが笑っている。それがどんなに幸せなことか。
 もしあの時、アイルと言葉を交わさなかったら。アイルがクラウスをパーティー会場から連れ出さなかったら。……クラウスはアイルの孤独を知ることなく、人を愛することもなく、オリヴィアと結婚していたのだろうか。
 そう考えると恐ろしい。
 アイルと出逢い、愛し合えたのは奇跡だ。
 クラウスは、愛し愛されたこの奇跡を一生大事にしようと心に誓った。
「アイル、君と逢えて本当に良かった」
 首を傾け、アイルの顔を覗き込みながらそう言うと、彼女は、口元は微笑みをたたえたままで、鋭い視線をこちらに向けている。
 クラウスが格好をつけて、完璧な笑みを浮かべたのが悪かったらしい。
 しかし、
「私も、クラウス様と逢えて良かったと思っています」
 と言葉にしてくれたので、クラウスは満面の笑みを浮かべてアイルを抱き締めた。
 直に感じるアイルの温もりが愛おしい。
 近頃彼女は、素直に好意を口に出してくれるようになった。そしてその度に、ほんのりと頬を赤らめて俯くのだ。その姿が非常に可愛らしく、クラウスは胸を高鳴らせた。
 きっと、この先も変わらずアイルの一挙一動に心をときめかせるのだろう。
 今日も明日もこれからもずっと、クラウスはアイルに恋をするのだ。

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