旦那様の趣味
「ユーリ、ちょっと来てもらえますか」
調理場で昼食後の洗い物をしていたユーリは、夫――ルーファスに呼ばれ、濡れた手をエプロンの裾で拭きながら彼の後に続いた。
ルーファスが彼女を連れてきたのは二人の寝室である。まさかまた昼から求められるのかと警戒心を露わにするユーリに、ルーファスはにっこりと微笑んで、寝室の扉を開けた。
すると、そこには……
「えっ」
今朝寝室を出た時には何もなかったはずのテーブルの上や床の上に、たくさんの白い箱が置かれている。大小様々なそれには町の百貨店や仕立屋のロゴが印字されており、全てに赤いリボンが結ばれていた。
「あなたへのプレゼントですよ」
「…………」
さあ、と背を押され、おずおずと箱の山に近付いたユーリはそのうちの一つを手に取り、リボンを解く。中に入っていたのは、淡いピンク色のドレスだった。
「ま、また……?」
ユーリは困ったように、傍らで得意気な顔をしている夫を見上げた。ルーファスが彼女に服飾品を贈るのは、これが初めてではない。しかも一度に買い求める量が多いのだ。いくら裏稼業で稼いでいるとはいえ、こうも大量にドレスや装飾品を買われても困る。
ましてユーリのクローゼットには、まだ袖を通してもいないドレスがたくさん入っているのだ。
贅沢な悩みだとわかってはいるが、クローゼットを開ける度に、家事をするにはどうも綺麗過ぎて袖を通せないドレスの山を見てため息を吐いているユーリは、「ごめんなさい」とルーファスに頭を下げた。
「気持ちは嬉しいけど、こんなにたくさん貰えないよ。まだ着てないドレスだってあるのに、勿体ないから」
「……なら着ればいいのに、どうして着ないんです。気に入りませんか?」
ルーファスの赤い双眸が、むっと不機嫌そうに細められる。
ユーリは慌てて首を振った。
「ちがうよ! ただ、私には綺麗過ぎて……」
「あなたに一番似合うものを、私が選んでいるんです。夫の目が信じられませんか?」
「そ、そういうことじゃなくて……。それに、ただでさえルーファスにはたくさんお金を使わせていて、申し訳ないから……」
「ユーリ……」
心を通わせた今でも、いや、通わせたからこそ、ユーリにはルーファスに対する負い目がある。彼が自分のために借金を肩代わりしてくれたこと。そして、ユーリの夢のために、敷地内に新しく花屋を建ててくれていること。どちらも大金が動いている。
「気に入らないとか、嫌とか、そういうのじゃないの。嬉しいよ。でも……」
感謝の気持ちと同じくらい、心苦しくもあるのだ。
「……馬鹿な人ですね」
ルーファスはそっと、ユーリの頬に手を添えた。
「負い目を感じる必要なんてないんですよ。ドレスも装飾品も、すべて私があなたに着てほしくて、身に付けてほしくて勝手に買ってきているものなんですから」
「ルーファス……」
夫の優しい微笑に、ユーリの胸がトクン……と脈打つ。
そんな彼女の手から淡いピンク色のドレスをとって、ユーリの体に当てながら、ルーファスは「やっぱり、よく似合う」と満足気に笑みを深めた。
「これはもう、私の道楽なんです。好きなんですよ、あなたに似合うだろうかと想像しながら、ドレスや宝石を選ぶのがね」
だから気にせず、楽な気持ちで身に付けてほしいとルーファスは言う。
「それに、このドレスは胸元のリボンがほどけやすいのがお気に入りなんです」
「えっ?」
「そうそう、こんな物も作らせたんですよ」
なにやら不穏な言葉を口にしたルーファスは、上機嫌に別の箱を開け始めた。何箱か開け、ようやく目当ての物を見つけたのだろう。(そこに至るまでにいかにも高級そうなドレスや、やたらと露出の多い夜着や下着が出てきたが、ユーリは見なかったことにした)
ルーファスが「私がデザインを考えたんですよ」と言いながら取り出したのは、薄い水色のストライプ模様がはいったドレスと白いエプロンが一緒になっているものだった。袖口はふんわりと丸く膨らんでいて、胸元から縦二列に並んだ白いボタンでエプロンを留めるようになっている。さらに、胸元のボタンと揃いのボタンが飾りとしてついている白いナースキャップと、白のタイツまで入っていた。
随分可愛らしいデザインになっているが、看護師の制服……のように見える。ユーリが医院を手伝うこともあるから、その時に着ろ……ということだろうか。
「あ、ありがとう。医院のお手伝いをする時に、着させてもらうね」
するとルーファスは、「はあ?」と眉を顰めてみせる。
「駄目です。他の男に見せるために作らせたわけじゃありませんからね」
「え……?」
それじゃあなんのためにこんなデザインにしたのかと首を傾げるユーリに、ルーファスはにやっと口元を笑ませながら言った。
「これを着たあなたと、医院で……って、やってみたかったんですよねぇ」
「医院で……って、え……? ええ!?」
ようやくルーファスの意図を察して、ユーリの頬がかあああっと赤くなる。
「そっ、そんなことのためにわざわざ……!?」
「そんなこととはなんです。大事なことですよ。だから、ね? ユーリ」
「っ……」
逃げようと後ずさるユーリの手をぱしりと捕らえ、ルーファスは彼女の小さな耳に低く囁きかけた。
「……さっそく、試してみましょうか」
そして彼の手が、ドレスを脱がせようとユーリの襟元に伸びる。
「え、ちょっと……ま、待って! 待って!! ルーファス……っ!!」
「待ちません」
その日、ブラックフォード医院は今週何度目かの休診日となったのだった。