ソーニャ文庫

歪んだ愛は美しい。

会員限定特典小説

冷徹フェチ公爵さまの、密かな悩み

 毎日、アーロンは愛しくてたまらないクロエの様子を真剣にうかがう。
 公爵家に生まれ落ちたアーロンは、その屋敷にいるときには何もかも使用人にしてもらうのが常だ。
 起きれば使用人が飛んできて、着替えをさせられる。顔を洗うためのたらいも運ばれ、自分では何もしなくとも心地よく支度が調っていく。
 そんなふうに何もかも他人にしてもらう生活の反動もあるのか、最近では愛しいクロエに何かしろと命令してもらいたくて仕方がなかった。
 ――あなたのために、何でもしてあげたい。
 それこそ、おはようからおやすみまで。
 朝起きたクロエのベッドに行って髪をくしけずり、眠るときにはその足から室内履きを脱がして、肩に毛布をしっかりとかけてあげたい。
 お風呂に入れて洗いたい気もする。
 何かしらクロエの役に立ちたい。
 自分がこのような下僕体質だったなんて、クロエと出会うまでは知らなかった。
 だが、屋敷ではそれはそう簡単にできない。公爵夫人であるクロエのために大勢の使用人が雇われているので、彼らが職責を全うさせるのを邪魔するわけにはいかない。
 ――だけど、したいんだ、私は。クロエのために。
 下僕体質と言っても、アーロンは誰にでもひざまずきたいわけではない。
 今は、アーロンの最愛の妻、クロエにだけだ。
 その美しいあごをぐっともたげて、少し上から目線で自分に何かを命じてくれないだろうか。
 そうされることを想像しただけでも、アーロンは甘美な喜びにぼうっとしてしまいそうになる。
 ――先日はとても良かった。クロエに、お茶の支度を言いつけられたとき……。
 アーロンは公爵家の当主であるから、軽々しく他人のために動くことはない。
 だが、クロエのために丁寧にお茶を入れ、よくできました、とばかりに微笑んでもらったときの甘い記憶が、今もなお消えない。
 アーロンに何かを命じるときのクロエの声は凜としていて、神々しく逆らえない雰囲気がある。
 アーロンはそれを思い出しただけでも、かしずきたくなって足が疼くような心地に陥った。
 ――ご褒美が欲しくて、尻尾を振る犬のようだ。
 そんなことを考えながら、アーロンは向かい合って朝食をとるクロエに、視線を向ける。
 自分では欲望を表に出していないつもりだったが、何やら異様に思い詰めた顔でもしていたのかもしれない。
 何気なくアーロンのほうに視線を向けたクロエが、ビクッと肩をふるわせた。
 その拍子にフォークを落とす。
 だが、それを拾うのはアーロンの役目ではないのだ。
 クロエの背後に控えていた従僕がフォークを拾い、代わりに新しいフォークをそっと差し出す。
 アーロンは羨望を感じながら、その従僕を眺める。思わず、ため息が漏れた。
 その様子に、クロエがけげんそうな視線をアーロンに向けてくる。
「とても怖い顔をしておられて。……何か、気に障ることでもございました?」
 ――怖い顔!
 アーロン自身は、怖い顔をしていた自覚はない。
 むしろ自分では、ご褒美が欲しくて舌なめずりをしている犬、ぐらいの気分だった。
 だが、自分はことさら愛想良くしないと、他人から怖く思われる顔の造形の持ち主だとあらためて思い直す。
 ――不本意だ……! あなたの役に立ちたいだけなのに、クロエ。
 だから、あえて笑顔を浮かべてみせた。
「いや、あなたが問題ではない」
「でしたら、他に何か心配ごとでも?」
 そんなふうに返されて、アーロンは詰まった。
 今、自分の胸に満ち満ちている「クロエの役に立ちたい」という思いを伝えてもいいのだろうか。
 下僕体質を晒したことで、彼女に困った人だと呆れられはしないか。
 だが、何も語らなかったことで失敗した過去もある。特に自分たちは、彼女がいう『一度目の人生』を破綻させた後だ。
「いや。……心配ごとというよりも」
 そこまで言ったときに、アーロンの頭にひらめくことがあった。
 クロエに尽くすべき理由が見つかった。
「もうじきやってくるあなたの誕生日に、……何を贈ったらいいか、と」
 誕生日ならば、彼女を喜ばせる理由もつく。そんな理由などなくとも、毎日のように彼女のベッドを花で埋め、抱えきれないぐらいのプレゼントを贈りまくりたい心境ではあるのだが。
「あら。プレゼントを何にするかを考えて、あんなにも怖い顔をしてらしたの?」
 クロエは驚いたように目を見張り、それからクスクスと笑ってくれた。
 その表情と声が、アーロンの心を心地よくくすぐる。クロエが喜んでくれている様子を見るのは、とても好きだ。
「アーロンさまは、私が渡したクローバーを大切にしてくださいました。私はアーロンさまからいただいたものでしたら、それこそ道端の草でも嬉しいんですのよ」
「それでは困るのだ、クロエ」
 アーロンは必死で言った。
 道端の草でいいと言われたら、質が落ちるぶん、量を増やさなければならなくなる。
 クロエの部屋が埋まるほど草を詰めこんでも、アーロンにとってはそれで十分ではない。
「草ではあなたが窒息してしまう。だから、どうか我が儘を言って欲しい」
 アーロンの願いが、どこまで通じるのだろう。
 クロエは欲深くもなければ、万事控えめな性格だ。だけど、たまにアーロンですらハッとするほど大胆なところがある。
 とんでもない願いをしてくれるのを待って、アーロンは黙りこむ。
 クロエはそんなアーロンの姿に、しばらく考えこんだ。
 結婚したころよりも、クロエはますます綺麗になっていく。
 アラバスターの肌の色や、輝く髪の艶。大好きな唇や、頬や瞳を眺めてうっとりとしていると、クロエがいいことを思いついたかのように瞳を巡らせた。
「でしたら、アーロンさまをいただけますか?」
「私を?」
「ええ。首にリボンをおつけになって、まるごと差し出してください。その日は、アーロンさまは私のもの。どんなことでも、私の命令には従わなくてはいけませんよ」
 そんな提案をされたことで、アーロンはあまりの驚きと喜びに卒倒してしまいそうになった。
 クロエのために、身体を差し出せとは大胆だ。
 何をさせられるのだろうか。
 どんなことでもしてみたい。クロエのためなら。
「ああ。何でも従おう」
 アーロンの声が興奮にかすれる。
 クロエの誕生日が、楽しみで仕方なくなる。
 そんなアーロンを前に、クロエは困った人、とでもいうように笑うかと思った。だが、挑戦的な笑みを浮かべてくれたので、そんな表情にも惚れ惚れと見とれてしまうのだった。

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