ある家族の肖像
ルイは書斎の壁に掛けられた肖像画を満足げに見つめた。
肖像画は二枚ある。
一枚目は長男のエリクが生まれてすぐに描かせたもので、ルイの腕に抱かれたエリクを、アンジュが幸せそうに覗き込んでいる絵だ。
二枚目は、長女のリタが生まれてすぐに描いてもらった絵である。
アンジュの腕には小さなリタが、ルイの腕にはぷくぷくと太った一歳半のエリクが抱かれている。アンジュは満面の微笑みを浮かべ、輝くように美しかった。
「三枚目の肖像画も発注しないといけませんね」
幸せな気分で独りごちたとき、書斎の扉が叩かれる。
「どうぞ」
「あなた、お茶をいただきましょう?」
訪れてきたのは、腕に生まれたての赤子を抱いたアンジュだった。今日の彼女も幸せそうな笑顔である。
アンジュのドレスの裾には二歳になったリタが掴まり、足元では三歳半のエリクがちょこちょこと駆け回っている。
「もうそんな時間でしたか」
ルイは微笑み、アンジュに抱かれた次男のアンリを抱き取った。
まだ首も据わらない乳児だが、意志の強そうな目元はアンジュにそっくりだ。
「ああ、可愛いな。なぜアンリはこんなに可愛いのでしょう?」
言いながらルイは、産毛に覆われた頭に何度も口づける。短い手足をバタバタさせていたアンリは、あやしているうちに落ち着いたのか、すぐに大人しくなった。
「私室のほうにお支度ができておりますわ。参りましょう」
微笑むアンジュの両手に、エリクとリタが飛びつく。先ほどまで赤子を抱いていた母と手を繋げて、心から嬉しそうだ。
「おかあさま、あかちゃんに、おはなあげたい」
不意に、エリクが言った。アンジュが笑いながらエリクに答える。
「お花? アンリにはまだ分からないわよ?」
「リタもあげたい! リタも!」
兄の真似をして、リタが言った。伸ばしたつやつやの髪には、ピンクのリボンが揺れている。最近乳母のところに選んだリボンを持って行って、『これを結んで』とねだるらしい。
まだまだ幼いのに一人前の淑女だ。そう思うと、ルイは親馬鹿な笑みを抑えることができなかった。
――この前生まれたばかりなのに、こんなに喋れるようになって。
昨夜アンジュと『女の子は言葉が早い』と話し合ったことを思い出し、ルイはますます微笑んだ。
子どもたちのことで頭をいっぱいにしていられるのは、幸せだった。
ちょうど兄の王太子にも男の子が二人生まれている。
一人は王太子妃の子で、もう一人は最近迎えた愛妾との子である。
王太子の寵姫は多い。王位継承はどろどろとしたものになりそうだが、王位継承にまつわるすべてを放棄し、ピアダ侯爵となったルイにはもうなんの関係もないことだ。
「ねえっ、おとうさま、あかちゃんに、おはなあげたいよ!」
花好きのエリクが、ルイの脚に抱きついてきた。
ルイはアンリを抱いたまま、エリクに微笑みかける。
「じゃあ、父様と一緒にお庭のお花を摘んで、アンリのゆりかごのそばに飾ってあげようか?」
「うん!」
ルイの答えに、エリクが目を輝かせる。日に日に息子と会話が成り立つようになってきて楽しい。
ふにゃふにゃの赤子の頃の可愛さも最高だったが、こうして一人前の人間になってきた姿にも愛しさと感慨を禁じ得ない。
――子どもは可愛い。何人いても可愛いな。こんな時間が永遠に続いてほしいくらいだよ、エリク、リタ、アンリ。
満足げなエリクが再びアンジュと手を繋いで歩き出す。
「おとうさまと、おはな、とってくる!」
「あら、良かったわね。だけど無駄に摘んでは駄目よ。お花も生きてるんだから」
「リタも! リタも!」
「はいはい、お兄ちゃまと仲良くね」
妻子の姿を眺めながら、ルイは心の底から思った。
――貴女たちがいてくれたから、父様はまともになれたんです。
愛する家族は、自分の悲しみに閉じこもるだけだったルイの目を開かせてくれたのだ。
ルイは今、ピアダ侯爵として、自領における子どもの福祉政策に取り組んでいる。
子どもを得て、よその子どもたちの暮らしぶりが気になって仕方なくなったからだ。
――僕たちの子はもとより、生まれた子どもたちには皆、幸せに暮らしてほしい。そう思えるようになったということは、僕も子どもたちに成長させてもらったからでしょうね。
他の貴族たちは、ルイのように福祉政策に力を入れていない。
貧困施策に熱心なルイは、社交界において少々変わり者だと思われている。貴族というのは己が贅沢を極めた上で、残った金で『施しをしてやる』という考えの人間が大半だからだ。
だが、アンジュはルイを支持してくれた。
『ルイ様のおっしゃるとおりだわ。誰かを見殺しにして着飾るよりは、助けの手を差し伸べた方がずっといいです』
そう言って、ドレスや宝石の購入を後回しにして、ピアダ侯爵家が支援する孤児院や母子保護施設を訪問し続けてくれている。
お腹が大きな時も、アンジュはその活動を欠かさなかった。
そして助けの手が回りきっていない箇所を見つけては、細やかにルイに報告してくれる。
元々細やかに気が利くアンジュのおかげで、ルイの福祉施策はかなり助けられているのだ。
社交に長け、ルイの補佐としても頭角を現わしているアンジュを、人々は『ピアダ侯爵家の賢夫人』と呼ぶようになった。
今ではもうアンジュを『クーレングーシュのアヒル姫』なんて呼ぶ者はいない。アンジュは自力で周囲の敬意を集めるようになった、本物の貴婦人なのだ。
それに彼女はルイに、最愛の宝である三人の子を与えてくれた。
彼女にはきっと、ずっと頭が上がらないだろう。
「だけど、お花を摘みに行く前におやつをいただくのよ、わかった?」
アンジュがそう言って、両手に繋いだ子どもたちの手を優しく振る。子どもたちは無邪気な笑い声を上げ、ぴょこぴょこと飛び跳ねた。
一緒に笑っていたアンジュが、輝くような笑みのままルイを振り返る。
「ねえあなた、お飲みになりたいお茶はある?」
「子どもたちが好きな、カミツレの花茶にしましょう。アンリは乳母やにお乳をもらおうね」
そう言い終えたあとルイは思った。
三枚目の肖像画も、きっと幸せな時間をそのまま切り取ったような、最高の仕上がりになるだろう、と。