肖像画
午後。政務に勤しんでいたディアナは来客の報せを受け、王宮の客間に向かった。
客間には髭を長く伸ばした年配の男性と、彼の弟子である若い青年が三人いた。
部屋の中央には、ディアナの身長くらいの高さのある大きな物が置かれている。赤い布が掛けられているため、中はまだ見えない。
「完成したのですか?」
「はい、どうぞご確認ください」
年配の男性はディアナの問いに微笑みを浮かべ頷き、弟子たちに目配せをした。
赤い布が外され、精緻な筆遣いで描かれた肖像画が現れた。
肖像画に描かれているのは二人。ドレスを纏った銀髪の女性と正装姿の黒髪の男性だ。女性は無表情で椅子に座り、男性は薄らと笑みを浮かべ女性に寄り添うように立っている。
ディアナはじっとその肖像画を見つめた。
「……ご不満な点がございましたら、修正いたしますが」
見つめたまま黙っているので、ディアナが仕上がりに不満を持っていると思ったのだろう。年配の男性――肖像画の画家が、申し訳なさげに言う。
「いいえ。問題ありません。素晴らしい肖像画だと思います」
ディアナの言葉に、画家は安堵したしたように息を吐いた。
レハール王国では、国王夫妻の肖像画を描く習わしがあった。描かれた肖像画は、王宮内の賓客をもてなすための客室に飾られる。
通常は、結婚前から準備を始め一年後には完成し飾られる。しかしディアナとハインツの肖像画が完成したのは結婚から三年後だった。
ハインツとの結婚が想定外だったうえに、結婚までの期間も短かった。そのうえ、結婚してすぐ王太后マルグリットの不義が明らかになり、国内が落ち着くまでに時間がかかった。そして――。
「どうせなら、ヨハンも一緒に描いてもらえばよかったですね」
完成した肖像画を見上げながら、ハインツが少し残念そうに言った。
「飾るのは国王夫妻の肖像画という決まりなのです。家族の肖像画は別に頼まねばなりません」
ヨハンというのは、ディアナとハインツの息子の名である。
ディアナが出産で慌ただしくしていたため、肖像画の完成が遅れてしまった。
「ああ、確かに。どの肖像画も二人ですね」
ハインツはぐるりと部屋の壁を見回しながら言った。
壁には代々の国王夫妻の肖像画が並んでいた。
ディアナが生まれる前に亡くなった祖父の横には、若かりし頃の祖母の姿がある。その隣には、父と母の肖像画があった。
昨日画家からもらい受けたばかりのディアナとハインツの肖像画は、父と母の肖像画の横に飾られていた。
「ひとつ、お訊ねしていいですか?」
「何でしょう?」
「ここには、ニコラウスとの肖像画があったのでしょう?」
「……ええ」
三年前、ここにはディアナとかつての王配ニコラウスの肖像画が飾られていた。
ニコラウスの死亡後も飾ってあったが、ハインツと結婚した頃に外された。
「王の肖像画は一枚のみしか飾られませんから」
肖像画が外されたのは、ニコラウスの横領や死が理由ではない。ハインツとの肖像画が飾られることになったので外されたのだ。かつてディアナと同じように、先妻を喪い後妻を迎えた王も、後妻との肖像画のみが飾られていた。
「なら……俺が死んであなたが再々婚したら、この肖像画も外されるんですね。長生きしないと」
ハインツは軽い口調で言う。
冗談の一種なのだろうが、全く楽しくもなければ面白くもない。不謹慎だ。
じろりと睨み上げると、ハインツも不謹慎だという自覚はあったようで「すみません」とすぐに謝った。
(もしも……ハインツが死んでしまったら……)
再び肖像画に目をやりながら、ディアナは『もしも』のときを想像する。
すでに跡継ぎの男児は産んでいるが、何かあったときのためもう一人必要だと臣下や民たちはディアナに再々婚を望むかもしれない。
国のために再々婚をすることがあったとしても、ハインツ以外の男は愛せないだろうと思った。
「子どもを作る努力をせねばなりませんね」
ヨハンに弟がいれば、ハインツが亡くなったとしても、再々婚を望む者はいなくなる。
「俺を閨に誘っているんですか?」
「違います」
ディアナは即座に否定する。
いや子ども産むためには閨事をせねばならない。誘っているといえば誘っているのだけれども。
「再々婚しないための方法を考えていたのです。それで……」
言い訳するように続けると、ハインツの大きな手がディナアの頬に触れた。
「わかっています。長生きするように頑張りますよ。もちろん子作りも頑張ります」
からかう口ぶりだったけれど、眼差しは優しく真剣だった。
「もしも……私より早く亡くなったら、あなたの顔の部分をかぼちゃ頭に修正しますから」
かつてハインツから『俺がかぼちゃでも結婚したいと思いますか?』と訊かれたときのことを思い出しながらディアナは言う。
眉を寄せて首を傾げたハインツだったが、そのときのやりとりを思い出したのだろう。声をあげて笑い出した。
◆ ◇ ◆
夕方、王宮での仕事を終え屋敷に戻ったキッテル伯爵は、白い煙が漂っているのに気づいた。
(庭師が落ち葉を燃やしているのだろうか)
屋敷へ入りかけていた足を止める。夕方まで働いている庭師を労おうと、キッテル伯爵は煙が立っている方へ向かった。
「ハインツ。何をしているのだ」
庭師ではなく、火を燃やしているのはハインツだった。
「ゴミを燃やしているんです。もう終わりますよ」
「何も庭で燃やさずともよいだろう」
落ち葉ならばわかるが、ゴミならば専用の焼却場に持って行けばよい。
「まあ、そうですね。すみません」
ハインツは謝る。声に抑揚がなく、飄々としているので本心からの謝罪なのかはわからない。
パチパチと音を立てている炎の中に黒く焼け焦げていく、大きな板のようなものが見えた。
「何を燃やしているのだ?」
「いらないものですよ。いらないのは半分だけ、でしたけど」
「……半分だけ?」
「半分は大事なんで迷ったんですけど……半分だけ残して、残り半分は燃やすことにしました」
曖昧な言い方なので、何を燃やしていたのかさっぱりわからなかった。
「ハインツ、何を燃やしていたのだ?」
「言いませんよ。父上は怒るというか困るだろうし。父上は知らないほうがいいです。もし知ったとしても知らないフリを続けてください」
ハインツは首を竦めて、言う。
キッテル伯爵の脳裏に、ディアナ女王の元王配、三年前に亡くなったニコラウスの姿が浮かんだ。生前の姿ではなく、滑落死した無残な姿だ――。
「……そうだな」
キッテル伯爵は噛みしめるように言う。
確かに、知らないほうがよいことがある。
「火の始末はきちんとするように」
そう言い残し、屋敷の中へと戻った。
数日後、キッテル伯爵は王宮の宝物を管理している者から、保管している絵画が一枚見当たらないとの報告を受けた。
ディアナ女王と元王配ニコラウスの肖像画であった。
すでに役目を終えた肖像画なので、画家に返却をした――とキッテル伯爵は何食わぬ顔で答えた。