占いの行方
小さな頃から、春蘭は占いが好きだった。
そんな彼女のためにと、かつて雹華がくれた占いのおもちゃを見つけたのは、徒華を巡る騒動がようやく一段落した頃のことである。
はれて夫婦となり、月華の部屋に住まいに移した後、改めて荷物の整理をしていた春蘭はそのおもちゃを見つけたのだ。
幽鬼の国に来ると決まったとき、自分で荷物に入れたものだったが、慌ただしい日々と月華との出会いに浮かれていたせいで、存在をすっかり忘れていた。
(そういえばこれも、月華様が作った神器なのよね)
見た目は小さな箱だが、これにもまた不思議な力が宿っている。
占って欲しいことを考えながら箱の蓋を開けると、結果の書かれた紙が出てくるのだ。
懐かしさを覚え、春蘭はそっと蓋に手をかけた。
「やっぱり占いと言えば恋よね……。『月華様との今後』を占ってもらおうかしら」
使うのは久々だったが、蓋に触れると不思議な温かさを感じる。
そしてゆっくりと開けると、中には紙が一枚入っていた。
「……え?」
しかし取り上げた紙を見て、春蘭は思わず息を呑む。
『愛の試練。想い人に女の影あり』
警告を促すように、赤い文字でそんな言葉が書かれていたのである。
(女の影って、月華様に……?)
月華が自分以外の誰かに目移りするとは思わないが、まさか結婚直後にこんな結果が出ると思わず狼狽えてしまう。
それも恋の障害となるような相手とはいったい誰なのかと考えていると、突然ポンッと肩を叩かれた。
「あらやだ、ずいぶんな占い結果が出ているじゃない」
振り返れば、そこにいるのは春蘭の親友、雹華である。
「い、いつからいたの!?」
「春蘭が占いの箱を持ってニヤニヤしてたころから」
「いるなら話しかければいいのに」
「ごめんごめん」
謝ってはいるが、たぶん反省していないだろう。幽鬼である春蘭は、こっそり盗み見をしたり突然話しかけて人を驚かすのが大好きなのだ。
「それにしても、兄様に女の影ねぇ」
「ありえないわよね」
「ありえない……と、いいたいところだけど」
雹華が難しい顔をする。
「さっき見たとき、兄様の様子がちょっと怪しかったのよね」
「怪しいって、どんなふうに?」
「こそこそ離れのほうに歩いて行くのを見たの」
言いながら、雹華は悩ましげに腕を組む。
「離れって神器を作る高炉がある場所でしょう? なら、神器を作りに行ったのではない?」
「最初はそう思ったけど、高炉から煙が出てないのよ。でも用もないのに行くような場所じゃないし……」
言いながら、雹華はじっと春蘭を見つめる。
「それに結婚して以来暇さえあれば春蘭にべったりだったのに、突然一人で離れに行くなんて絶対怪しいわ!」
雹華がばっと腕を振り上げる。
その勢いに春蘭が戦いていると、なぜか雹華が側の窓を思い切り押し開けた。
「い、いきなり窓なんて開けてどうしたの?」
「調べに行くのよ」
「へ?」
「兄様よ! 今すぐ、調べに行きましょう!」
目を輝かせ、雹華は開いた窓の外を指さす。
「こっから飛べばすぐだし、ほら、いきましょう!」
「で、でも何かご用事があるなら邪魔するのは……」
「用事があっても春蘭なら邪魔にはならないわよ。それに占いの結果も、気にならない?」
「確かに気にはなるけど……」
「なら行きましょう。幽鬼になった今ならひとっ飛びだし、一気に行くわよ!」
言うなり腕を掴まれ、雹華は春蘭と窓を飛び出す。
「ま、待って……私まだ飛ぶのは慣れないの……!」
幽鬼になったとはいえ、つい先日まで人の身だったため雹華のように軽々とは飛べないのだ。
飛ぶだけでなく壁抜けなどもまだ上手くできず、結局まだ人だったときと同じように過ごしている春蘭である。
「大丈夫よ。ほら、もう着くから!!」
そんな台詞を五回ほど繰り返されたところで、ようやく離れの上空へとたどり着く。
必死に身体を浮かせていると、そこで春蘭が「あっ!」と声を上げた。
「兄様がいたわよ!」
雹華が指さす先を見ると、そこには月華がいる。
そして確かに、雹華が言うように彼の様子はなんだかおかしい。
何かを抱きかかえ、彼は薄暗い倉庫のほうへと歩いて行く。
「怪しいわ。怪しすぎるわ」
「そ、そう?」
「見て、兄様のあの怪しい歩き方。周りに誰もいないのに、コソコソしすぎじゃない?」
確かに挙動不審だが、月華は割と普段から挙動不審なところがあるので、春蘭はその差がわからない。
出会った当初と比べればだいぶマシになったが、今だって「春蘭があまりに可愛い」という理由で突然身もだえたり。釣りの最中にうっかり川に落ちたりするのが月華なのだ。
「うん、やっぱりあれは何か隠しているときの兄さんだわ!」
一方春蘭より月華と付き合いが長い雹華は、何か確信があるらしい。
「きっとさっき占いに出た女の影よ」
「けど今のところ人影はいないし」
「でもこの後で女の幽鬼がひょっこり現れるかもしれないでしょう」
月華は人間嫌いだから、現れる女性は幽鬼に違いないと雹華は言う。
「さあ、兄様を問い詰めましょう」
「べ、別にそこまでしなくてもいいんじゃない? あの月華様だし、浮気とかそういうことじゃあるまいし」
「だからこそでしょう、下手したら怪しい詐欺とかに引っかかってるのかも」
「さ、詐欺……!?」
「兄様は引きこもり歴が長すぎてちょっと世間知らずのところがあるから、すぐ詐欺とかに遭うのよね」
確かにありそうだと、人の良い月華のことを思うと春蘭も同意しかけてしまう。
「騙されてることにはわりとすぐ気づくんだけど、あの通り人が良いから『罪を犯す前にまず相談しなさい』とかいって、結局すぐお金とかあげちゃうのよね」
「月華様はお優しいのね」
「むしろお人好しすぎるよ。だから、罠にかかる前に止めないと!」
言うなり、そこで雹華が春蘭の腕をより強く掴む。
「ということで、いってらっしゃい」
「へ……?」
直後、雹華はあろうことか春蘭の身体を月華のほうへ放り投げる。
(と、止めるって物理的に……!?!?)
更に背中を思い切り押され、宙を飛んでいた春蘭の身体はすごい勢いで下降しはじめる。
「きゃああああああ」
一人では飛べない春蘭は悲鳴を上げながら投げ出され、その声で月華が振り返った。
「春蘭……!?」
放り投げられた妻に気づき、月華が慌てて腕を伸ばす。
新しい身体になれない春蘭と違い、すでに幽鬼の身体を物にしている月華はすばやく身体を浮かせた。
逞しい腕に抱き留められ、春蘭はほっと胸をなで下ろす。
「まだ一人で飛ぶのは危ないだろう」
「ご、ごめんなさい。ただ、その、雹華が……」
「あいつのせいか」
ため息をこぼすと、月華は宙に浮かぶ雹華を睨む。
その鋭い瞳に臆したのか、彼女はそこで慌てて姿をかき消した。
(に、逃げた……)
勝手に春蘭を連れてきたあげく、置いて逃げるなんてと呆れ果てる。
雹華の逃げ足の速さに呆れているのは月華も同じらしく、彼はそこでため息をこぼした。
「ひとまず、怪我はないか?」
「はい、問題ありません」
月華はまだどこか不安そうだったが、そこで抱きしめていた春蘭をそっと地面に降ろす。
「……あら?」
そのとき、春蘭のつま先に何やらふかふかしたものが当たった。
気になって真下を見た瞬間、「うぐっ」と月華が妙な声を上げた。
(なに、これ……)
春蘭の足元に転がっていたのは、大きな人形だった。
小柄な女人ほどの大きさがあるそれは、綿が詰められた頭部と木の棒の手足からできている。
纏う着物と面立ちから察するに、たぶん女人を模した人形なのだろう。
とはいえその面立ちはなんとも珍妙で、左右の目の位置はずれ、鼻は傾き、唇は人外かと思うほど腫れぼったい。
糸でできた髪もぼさぼさで、見ているだけで吹き出してしまうような造形だ。
「あの、これは?」
素直な疑問を言葉にすると、月華がものすごい勢いで人形を拾い上げ、それを背中に隠した。
とはいえ人形は大きく、珍妙な顔が背中から覗いているので全く隠せていないが。
「こ、これは……あの……」
「なにか、見られたらまずいものですか?」
「まずいというか、恥ずかしいというか……」
ごにょごにょと口ごもる月華を怪訝に思っていると、春蘭はふと人形の襟元に『冥々』という名前が刺繍されていることに気づく。
(待って、冥々って聞いたことあるかも……)
月華と出会った頃、彼は曾祖父である九狼から受けた恥ずかしい仕打ちのことを話してくれたのだ。
人間嫌いを拗らせた彼のためにと、九狼は『冥々ちゃん』という名前の人形を用い、女人の扱い方を学ばせたと言う。
「もしかして、月華様が口づけの練習をしたという『冥々ちゃん』ですか?」
「な、なぜそれを……」
「前に、お話だけは伺っていたので」
春蘭の返事で、冥々ちゃんのことを話していたことを月華も思い出したらしい。
「そ、そうだ。今朝、部屋の片付けをしていたら奥からこれが出てきて……その……隠そうかと……」
「隠す?」
「これを見ると、冥々ちゃんとのあんなことやこんなことが蘇ってきて、羞恥で死にたくなるのだ」
だから離れの倉庫に隠そうと、ここまで持ってきたのだと月華は告白する。
「でも、別にそんなコソコソしなくてもいいのでは?」
「狼太公にでもみつかれば、冥々ちゃんを用いて嫌がらせの一つでもしかねない。俺の黒歴史をほじくり出し、傷に塩を塗るのが大好きな男だからな」
九狼にからかわれるところを想像したのか、月華の顔色は真っ青だった。
慰めたかったが、確かに九狼ならやりそうなので春蘭も上手い励ましの言葉が出てこない。
だから代わりに、月華の手から春蘭は冥々ちゃんをそっと奪う。
「でしたら、すぐに隠しましょう」
「手伝ってくれるのか?」
「もうすでに雹華にも怪しまれています。あの様子ですと、九狼様にもすぐに話が行きますよ」
「そ、それは困る」
「ならばさくっと隠しましょう」
春蘭は冥々ちゃんを抱えて倉庫へと入る。
一番奥に使われていない寝台を見つけた春蘭は、その上に冥々ちゃんを寝かせた。
念のため、側にあった毛布を掛けて人形を隠す。
「ここなら狼太公もあまりこないし、問題なさそうだな」
冥々ちゃんが見えなくなったおかげか、月華の顔に安堵の表情が浮かぶ。
「これで一安心ですね」
「付き合わせてすまない」
「気にしないでください。それに冥々ちゃんの話を聞いたときから、どんな子なのか見てみたい気がしていたので」
「なかなか、珍妙だろう」
「珍妙ですね。だからこそ、嫉妬せずにすみましたけど」
なにせ冥々ちゃんは、春蘭よりも先に名前を呼ばれ、口づけもされていたのだ。
「……待って、もしかして女の影って冥々ちゃん?」
「女の影? なんだそれは」
「実は、さっき占いで妙な答えが出て」
事情を説明するうちに、あれは冥々ちゃんのことに違いないと確信が芽生える。
「女の影など、俺にはありえない」
説明を聞いていた月華が、そこで春蘭の頬をそっと撫でる。
先ほどまではあんなに情けなかったのに、春蘭を見つめる表情はとても凜々しくて、つい見惚れてしまう。
「それに嫉妬をする必要はない。冥々ちゃんとのことはあくまでも『練習』だ。愛を込めて口づけ、名を呼んだのはそなたが初めてだ」
言うなりそっと唇を奪われ、春蘭は思わず赤面する。
「きゅ、急に格好よくならないでください」
「別に、格好つけているわけでは」
「だからこそ余計に質が悪いんです。月華様、急に情けないところが消えてしまうんだもの」
「情けない俺のほうが好きか?」
「どんな月華様も好きですが、格好よすぎると胸が苦しくなるので」
だからほどほどでお願いしたいと言おうと思ったのに、月華はそこで見惚れるような笑顔を浮かべた。
「どっちも好きだと言ってくれて、嬉しい」
そのままもう一度唇を奪われ、春蘭は月華の腕に閉じ込められる。
ぎゅっと抱きしめられると春蘭の方も離れがたい気分になり、彼の背中にそっと腕を回した。
愛の試練などと書いてあってけれど、この後に辛いことなど待っているわけがない。
やはり占いは外れだったに違いないと考えたところで、春蘭はふと気づく。
(いや、待って……。むしろそれが私にとっては試練なのかも?)
春蘭を愛するときの月華は、本当に凜々しくて格好いいのだ。
さらにそこに妖しい色香も加わり、いつも春蘭は翻弄されてしまう。
そしてそれは今日も同じに違いなく、それはある意味試練となり得るだろう。
「春蘭」
名を呼ぶ声に甘さが増し、月華の表情には妖しい色香が漂う。
(うん、やっぱり試練かも……)
でもきっと、これはつらい物ではない。
甘い予感に胸を高鳴らせながら、春蘭はそっと目を閉じる。
ほどなく訪れた口づけが始まりの合図となり、春蘭は夫の手によって甘くて淫らな試練を与えられることになるのだった。