贈り物
なにかティルザに贈り物をしよう。
そう思い立ったローデヴェイクは、はたと気付いた。十二歳のときに婚約が決まり、それ以降他の女性を遠ざけてきた彼には、女性に贈り物をした経験が全くなかった。
(ドレスやアクセサリーは贈り物として定石か、あとティルザは甘い菓子や果物も好んで食べるし……)
なにを贈ればティルザは喜ぶだろう、と考える。優しい性格の彼女は、ローデヴェイクがその辺で手折った雑草を贈ったとしても恐らく喜んでくれるだろう。
(……逆に難しい……)
なにを贈っても喜んでくれるだろうが、どうせなら他の誰が贈った物より嬉しいと喜んでもらいたい。
ローデヴェイクは懸命に考えるが、いかんせん場数を踏んでいないため目新しいものを思いつくことができなかった。
贈り物をすることを思い立って三日後、ローデヴェイクはティルザにそれとなく探りを入れることにした。
執務の合間に挟むティータイムに、なにげなさを装って聞いてみる。
「ティルザは今までもらったもので、一番嬉しかったものはなんだ?」
外はカリッ、中はしっとりの焼き菓子を味わっていたティルザは、急な質問に目を瞬かせた。
「どうしたんですか、急に」
お茶を一口飲んでから、ティルザはにっこりと微笑む。ローデヴェイクを愛し、愛されたティルザは美しく、日に日に輝きを増すようだった。
(ティルザの美しさは国宝級だ……)
一瞬見惚れてしまったローデヴェイクは本来の目的を忘れそうになり、咳払いをして気持ちを整えた。
「いや、特に意味はないのだが……」
素晴らしい贈り物を用意してティルザを驚かせたい。喜ぶ顔が見たい。ローデヴェイクは気持ちを必死に隠した。
彼の不自然な態度をどう思ったのか、ティルザは小首を傾げ少し考えたあと、ああ! と胸の前で手を叩いた。
「物、と限定するならヘンリーのリボンですね」
ヘンリー?
急に男の名前が出てきて、ローデヴェイクは眉間にしわを寄せた。
(なぜ急に男の名など。私と一緒にいるというのに。そもそもそいつは誰だ、聞いたことがない)
城内の人物を頭の中で総ざらいするが、該当する人物が出てこない。ならば、ボルストの人間か。ローデヴェイクのしわは深くなるばかり。
そんな彼をよそに、ティルザは傍にいたメイドに声を掛ける。
「申し訳ないのだけれど、わたしの寝室からヘンリーを連れてきてくれるかしら」
「なっ! 寝室から?」
ローデヴェイクは声を上げて椅子から立ち上がった。そのあまりの驚きようにメイドが小さく悲鳴をあげたほどだ。
「ええ、ヘンリーは寝室にいるので。お願いね」
メイドはローデヴェイクの形相に慄きながら部屋を出て行く。
今までティルザの愛を疑ったことのないローデヴェイクだったが、これには衝撃を受けた。ローデヴェイクの頭の中は動揺しすぎて頭痛がするほどだった。
(どういうことだ……ティルザの寝室に……男が? それもメイドが承知するほどに入り浸っていると……?)
己の知らぬところで、もしやティルザは……?
そんなことはありえないと頭を振るが一度噴出した疑念はなかなか消えてくれない。
胡乱な視線をティルザに向けても、彼女はいつもと変わらぬにこやかな表情で焼き菓子を口に運んでいる。
(あぁ、ティルザ。女はいくつもの顔を持っているというが、まさか君は……まさか……)
信じられない、信じたくない、と天を仰いだローデヴェイクの耳に扉をノックする音が聞こえた。
ティルザが応じると先ほどのメイドが戻ってきたようだった。
(よくもまあ、夫の前に堂々と間男を連れてきたものだ……!)
どうしてくれよう、と歯ぎしりし、メイドのほうに顔を向けたローデヴェイクは、目が点になった。
件のメイドはクマのぬいぐるみを手に持っていたのだ。明るい茶色の毛並みに、大きな黒い瞳のクマである。その首には白いリボンが結ばれている。
「ありがとう」
ティルザはメイドからぬいぐるみを受け取ると、自らの膝にちょこんと載せた。
「これです、ローデヴェイク様」
細い指で首のリボンを摘まむティルザが照れくさそうに微笑む。
「……クマのぬいぐるみ?」
「ええ。生まれたときから一緒なんです。わたしの最初のお友達、ヘンリーです」
確かにティルザの寝室にはクマのぬいぐるみが飾られていたと記憶している。ローデヴェイクはぬいぐるみに一家言あるわけではないため、特に気にしたことはなかった。
ローデヴェイクは自分の早合点を恥ずかしく思い、それを誤魔化すように咳払いする。ティルザに間男など、いるはずもないのに愚かなことを考えてしまった。
近寄って片膝をついたローデヴェイクは初めてまじまじとそれを見つめた。生まれた頃から一緒だったいうだけあって多少くたびれてはいるものの、汚れたりはしておらず、大事にしていることが窺える。
「……そうか、クマのぬいぐるみか」
心の中でクマのぬいぐるみに「すまなかったな」と謝罪するローデヴェイクは首に巻かれたリボンに視線を引き付けられた。
「……ん?」
真っ白で、端に木の葉の刺繍がしてあるそれに、とても見覚えがあったのだ。
「思い出されました?」
「これは……」
ティルザがいたずらっぽく片方の瞼を閉じた。
クマのヘンリーの首に巻かれた白いリボンは、十二歳の時にローデヴェイクが辺境伯の手紙に同封した、誕生祝いのリボンだったのだ。
「わたし、これが大のお気に入りで髪を結うのに使ったりしていたんです。なくしてしまうのがいやで、今はヘンリーに預かってもらっているんです」
わたしお転婆だから、と笑うティルザを、ローデヴェイクが優しく抱き寄せた。
「ローデヴェイク様?」
「ああ、ティルザ……。君に喜んでほしくて贈り物をしたいと思っていたのに、私のほうが大きな贈り物をもらってしまった」
(ティルザはこんなにも純粋なのに、私ときたら醜い嫉妬ばかりで……)
自らの下種の勘繰りを深く反省したローデヴェイクは腕の中の愛しいティルザをぎゅうぎゅうと抱きしめた。
その夜ベッドの中で愛し合った二人は、心地よい疲労の中でまったりとしていた。とりとめのない話をしているとローデヴェイクに腕枕をしてもらったティルザが眠気に誘われたのか、ふわあ、と欠伸をする。
「そういえばティルザ、なにか欲しいものはあるか」
「……ううん、ほしいもの……?」
トロンとした表情で聞き返すが、ティルザは既に夢の世界に片足を踏み入れているようで、今にも瞼が落ちそうだった。
「そうだ。なんでもいいから欲しいものを言ってくれ」
ローデヴェイクは答えを待ちながらうんうん、と頷いた。
(秘密にするからおかしなことになるのだ。最初から素直に本人に聞けばよかった)
なんでも好きなだけ買ってあげようと心に決めていたローデヴェイクはティルザの答えに目を剥いた。
「うう、……ん、そうですね……。ローデヴェイク様の……金魚の爪は、お日様に当てると色が……変わるので……取り替えて、欲しい……」
「んん? なんだって?」
「ですから……ローデヴェイク様の人参の前歯ですぅ……」
聞き返すが、ティルザは既に健やかな寝息を立てていた。その素っ頓狂な答えにローデヴェイクは笑いをかみ殺す。
あまり笑ってはティルザが起きてしまうとわかってはいるが、駄目だと思えば思うほどに笑いがこみあげる。
「く……っ、ふ、ふ……っ」
なんとか笑いを収めることに成功したローデヴェイクはすやすやと寝息を立てるティルザの寝顔を見ながら幸福感に包まれていた。
(私だけがこんなに幸せでいいのだろうか)
もっともっとティルザのことを幸せにしたいと思わずにいられないローデヴェイクであった。