第三王子の恋情と筋肉
エヴリン公爵領での暮らしにすっかり慣れた、九月の暑さも和らいだある朝のこと。
汗を拭きながら寝室に戻ると、窓辺の椅子に座っていたジュディスが笑顔で迎えてくれた。
「おかえりなさい、フレド。今朝も精が出ますね」
「ただいま。そう言うジュディスも精が出るね。新しくできた孤児院にも寄付金は十分出してるんだから、そんなに頑張らなくてもいいのに」
「会いに行ってあげられないから、せめて皆の分の靴下を編んであげ――きゃっ」
ジュディスの手元から毛糸玉が落ちる。慌てて立ち上がろうとするジュディスに「座ってて」と言うと、フレデリックは毛糸玉を拾ってジュディスに近付いた。腰を屈めてそれを渡しながら、ジュディスの可愛いおでこに唇を押し当てる。
そのとき、フレデリックはジュディスから緊張を感じ取った。
「ん? どうかした?」
唇を離して顔を覗き込むと、ジュディスは真っ赤になって視線を泳がせる。
「その……シャツのボタンが……」
「ああこれ?」
鍛錬をして暑くなったためボタンをほとんど外していたのだけれど、その隙間から鍛え抜いた身体が見えたのだろう。フレデリックの身体なら数えきれないくらい見ているはずなのに、それでも恥ずかしくなったらしい。
「今更恥ずかしがることないのに」
フレデリックはにんまりと笑うと、シャツの前合わせをわざと開いてみせる。するとジュディスは「それもそうね」と言わんばかりに恥じらうのをやめた。この切り替えの早さに、フレデリックは目を瞬かせる。
「せっかくなのでお聞きしたいんですが、殿下はどうやってそんなに大きくなったんですか?」
「何? 唐突にその質問?」
「先日お越しになったヴェレガー子爵が、伺ってみるといいですよと仰って」
「――あの野郎」
悪態が口を衝いて出る。
ヴェレカー子爵トレバー・カニングとは互いの望みを叶えるために手を組んだだけの関係だが、付き合いが長いために否応なく相手のことをよく知っている。
「トレバーのことだ、こう言ったんだろう? 『あのひょろっこかった殿下が、細マッチョとはいえどうしてマッチョになったか不思議だと思ってらっしゃるでしょう? そうでしょう! 是非エヴリン公爵にどんな努力を重ねたか伺ってみてください。面白い話が聞けるかもしれませんよ?』とな」
「わあ、すごい! 口調までそっくりです!」
ジュディスは目を丸くして拍手する。フレデリックはがっくり項垂れた。
「……ジュディス、こんなことで褒められたって、私はちっとも嬉しくないんだ」
「それで、どんな努力をなさったんです?」
フレデリックはぐっと喉を詰まらせる。過去の苦い思い出が脳裏を過った。
――大きくなりたい? 成長期なんですから食べて寝るだけで大きくなれると思いますがねぇ……ああ、〝早く〟大きくなりたいということですか。でしたら身体作りが第一でしょうね。いつもの走り込みを倍に増やしてみてはいかがですか?
自分が平均より小さいという自覚はあった。だからジュディスと運命の出会いを果たしてすぐから、彼女に内緒で様々な努力を重ねてきた。なのに、なかなか背は伸びないし、体格はひょろひょろのまま。
身体にコンプレックスを持っていることも他人に知られたくなかったのに、外遊先の近衛騎士たちに知られてしまった。
――フレデリック王子殿下! 大きくなりたいのでしたら筋トレが第一ですよ! 筋肉がぷるぷるするまで追い込むんです!
――身体を鍛えるだけじゃ駄目です! 食べなければ何も身になりませんよ! 肉がいいです肉!
――背を伸ばすなら牛乳が唯一無二でしょう! 飲んでも伸びない? じゃあ飲む量が足らないんですよ。もっとたくさん飲まなくちゃ!
早く大きくなりたかったフレデリックは、恥を忍んでアドバイスを謙虚に受け入れた。
その結果、フレデリックは全身筋肉痛に加え、食べ過ぎ飲み過ぎで腹を壊して寝込んだ。
介抱してくれた年配の女性使用人がこう言った。
――まあまあ、あの筋肉バカたちの言う通りに? 王子殿下はまだお小さいので、あのバカたちと同じことをしていたら身体を壊して当然です。身体は寝ているときに、蓄えられている栄養を使って成長するものなんですよ。よく食べてよく寝れば、すぐに大きくなれますとも。
フレデリックは初めて耳にする真実に驚愕した。計画遂行のための活動の合間に身体作りを行っていたため、その分睡眠を削っていたのだ。昔から読書をしたくて夜更かしばかりしていたが、なかなか成長できなかった理由が睡眠不足にあると気付いて愕然とした。
その後、睡眠を十分取るようになると、今までの分を取り戻すかのように身体はぐんぐん成長した。
筋肉については、トレバーが「大きくなれてもぶよぶよだと幻滅されてしまいますよ。せめてお姫様抱っこができるくらい筋肉付けましょうよ」と言ったから、筋トレを継続したわけではない。――あんなふざけた助言などなくとも、するつもりだったんだ。
「フレド、怒っちゃいましたか?」
フレデリックははっと我に返る。ジュディスはしゅんとして謝った。
「ごめんなさい。面白がって聞くべきじゃありませんでした」
昔と変わらず素直なジュディスに、フレデリックの頬は緩む。にやりと笑うと、サマードレスに身を包んだジュディスを軽々と抱き上げた。
「え? え??」
「悪いことしたと思うなら、私の言うことを聞いてくれる?」
「――! 何をするつもりですか!」
ベッドにジュディスの身体を横たえると、起き上がる隙を与えず覆いかぶさる。
「待って! もうすぐ朝食に呼ばれっ」
「朝食なんてあとあと」
「いやー! 恥ずかしすぎる!」
恥ずかしがっているだけで本気で嫌がっているわけではないことを確認すると、フレデリックはジュディスの口を唇で塞いだ。