完璧なデートに魔法を添えて
ある日の午後――、偉大な魔法使い『ウェルナー』は、いつになく疲れ果てた顔の自分と鏡越しに向き合っていた。
「ネフィア、私はあと何回着替えればいいのだ……」
「完璧なデートをしたいって言ったのはあんたでしょう? だったら、服装も完璧にしないとだめなの」
「しかしもう一時間は服を着替え続けているし、どの服もさほど違いがないようだが」
「あるわよ! あんたは無駄に顔がいいし髪の色も独特だから、上手く組み合わせないと服がまけるのよ! ってことで、はいこれ次!」
「む……」
「子供みたいにむくれない! ステラに喜んでほしいんでしょ!」
恋人の名を出されると、ウェルナーはそれ以上何も言えない。
それに、ネフィアが言うとおり「完璧なデートがしたい」と言い出したのはウェルナーなのだ。
ホムンクルスを巡る騒動から半年ほど経ち、ほんの少しだがウェルナーの周りは落ち着きを取り戻した。
その間もステラとはできる限り一緒に過ごし何度も愛を交わし合ったが、改まったデートをする時間はなかなかとれなかった。
唯一のデートらしいデートはルドラで出かけたのが最後。あのときは体調不良もあり散々だったため、今度こそ完璧なデートをしようとウェルナーは意気込んでいた。
(ただ、ネフィアに協力を仰いだのは間違いだったかもしれない)
経験不足なウェルナーに変わり、ネフィアはデートの計画を練るのを手伝ってくれた。
ありがたいものの、問題だったのは彼女が必要以上の鬼教官であったことだ。
デートの計画表は四十回も書き直しを要求され、服選びもダメ出しに次ぐダメ出しを受け、結果彼女に選んでもらっているという状況だ。
「よし、これならいいでしょう!」
二十三回の着替えの後、ようやくOKが出たのは出かける時間ギリギリだった。
「今日はきっちりめかし込んだんだから、おかしなことはしちゃだめよ」
「おかしなこととは何だ」
「子供になったり、抱っこをねだるのは禁止だからね」
「……さすがに、今日はしない」
したくならないように、昨日の夜ステラを抱っこしたり、逆に抱っこされたりしておいたのは、秘密である。
「ルアは私が責任を持って面倒見ておくから、ビシッとキメてきなさいよ」
「心得た」
「くれぐれも、子供っぽいまねだけはしないようにね」
「無論だ」
うなずくウェルナーにネフィアは心配そうだったが、昔と比べたら愛やデートについての知見も増えている。
(それに、今日の計画は完璧だ。問題など起こるはずがない)
そして今度こそ完璧なデートを行い、ステラに惚れ直してもらうのだとウェルナーは意気込んでいた。
――の、だが。
(どうして、こうなった……)
わずか三十分後、ウェルナーの完璧な計画はいきなり頓挫しつつあった。
ネフィアと共に選びに選び抜いた、高級レストランでのことである。
(なぜよりにもよって、こやつがここにいるのだ……)
そんなことを考えながら、ウェルナーがにらんでいるのは前菜である。
正しくは、前菜の片隅でテラテラと輝いているニンジンだ。
ウェルナーはこのニンジンというものが大の苦手なのだ。特にゆでたものが大嫌いで、初めて口に入れたときはついに永遠の命が潰えるかと思ったほどである。
(事前に、もっとメニューを確認しておくのだった……)
ステラの好物があるかどうかはチェックしていたものの、自分の苦手な食べ物については意識が向いていなかった。
「あの、師匠……。もしお嫌でしたら私のお皿に魔法で移してください」
ウェルナーの好き嫌いを誰よりも把握しているステラが、心配そうに覗き込んでくる。
今日のためにと、彼女は以前ウェルナーが贈ったドレスをまとってくれている。その美しさに見惚れかけるが、視界の隅にちらつくニンジンがそれを邪魔する。
「料理を移すのは……マナー違反だろう」
「魔法なら気づかれませんよ。それに、いつもは言われなくてもやっているじゃないですか」
ステラの笑顔につられて魔法を使いかけて、ふとウェルナーは我に返る。
「いやしかし、今日は子供っぽいまねはしないと決めたのだ」
「でも師匠、ニンジンだけは本当に苦手ですし」
「それでも、デートでは男を見せるものだろう。だからニンジンくらい……くらい……」
震える手でフォークを握りしめ、小さなニンジンを三つ先端に刺す。
一気に食べてしまおうと腹をくくった瞬間、ぐっとステラが身を乗り出してくる。
「で、デートなら……あーんをすべきではないですか?」
「あーん……?」
「あーんです」
「それはあの、大人が子供に給仕をする……」
「あれは、恋人同士でもすることなんです。それをぜひ、今すぐ!」
いつになく真剣な瞳に、ウェルナーは思わずフォークをステラの口元に運ぶ。
すると彼女はニンジンをパクッと頬張った。
ウェルナーなら気絶しかけるところだが、ステラは笑顔でもぐもぐとニンジンを食べている。
それがあまりに可愛くて見惚れていると、彼女は満足そうに席に座り直した。
「おいしかったです、ありがとうございます」
にっこり笑うステラを見つめながら、ウェルナーは彼女が気を遣ってくれたのだとようやく気づく。
ウェルナーが一番気に病まない方法で、彼女はニンジンを処理してくれたのだ。
「俺は情けないな」
「そんなことありません。私だって苦手なものはあります」
「でも、お前は残さず食べる」
「無理してですよ。それにもっと魔法が使えたら、こっそり師匠のお皿に移していたかも」
「ならば今後は移すといい。ステラは前より魔力が増えたし、きっとできる」
「なら、教えてくださいますか?」
無論だとうなずき、ウェルナーはさっそく魔法の理論を語り始める。
ついつい熱の入った解説をしていると、今度はメインディッシュが運ばれてきた。
(……今度は、お前か……)
ウェルナーは再び硬直した。
肉料理の片隅に、しれっと陣取っているのはエンドウ豆だ。こちらも、ウェルナーが大の苦手としているものである。
(いやしかし、今度は……。今度こそは……)
震えそうになる手でフォークを握ると、またステラがわずかに身を乗り出した。
「さ、さすがに、今度は自分で処理するぞ」
「でも私、ぜひ魔法を実践したいです」
「実践?」
「今教えてくださった魔法ですよ。あれを使ってみたいです」
言うなりステラがそっと指を動かす。
次の瞬間エンドウ豆は目の前の皿から消え、ステラの皿へと移動していた。
「見てください、できました!」
「ああ、上出来だ」
どうやらステラは飲み込みが早い。今までは魔力がなかったから使えなかっただけで、素養はあったのだろう。
「お前はいずれ、俺を越える魔法使いになるかもしれないな」
「野菜を移したくらいで大げさですよ」
ステラがもう一度指を小さく動かと、彼女の皿にあったカボチャがウェルナーの皿に素早く移動する。
「……もしや、それがステラの苦手なものか?」
「た、食べてくれますか?」
おずおずと尋ねてくるステラが可愛すぎて、断ることなど不可能だ。
カボチャはウェルナーも得意ではないが、彼女のためならいくらでも食べられるだろう。
「無論だ。ようやく、男を見せられそうだ」
「別に師匠は師匠のままでいいと思いますけど」
「俺のままだと、色々と至らなすぎるだろう」
「それでいいんです。そういう師匠が……その……大好きなので……」
ベッドの中ではもう何度も聞いた言葉だが、こうして改まって言うのは照れるのだろう。
頬を赤らめ声を潜めるステラに、思わず笑みがこぼれる。
こういうところが愛らしいなと思いながら、ウェルナーはステラの皿から移されたカボチャに手をつけた。
(……意外といけるな……)
好きな味ではなかったはずなのに、ステラのためだと思うと嫌な気持ちにはならない。
「ステラ、俺は苦手な野菜を効率的に摂取する方法を発見したかもしれない」
これは世紀の大発明だと、ウェルナーは目を輝かせる。
「魔法で……、いやさきほどの『あーん』を足したらより効果があるかもしれん。これはぜひ研究を重ね、論文にまとめたい」
「ろ、論文って本気ですか……!?」
「無論だ。よし、今後は色々と実験をしよう。とはいえニンジンはまだ恐ろしいから、まずは段階を踏んで……」
独り言をブツブツこぼしながら、ウェルナーは思考の海へと旅立ってしまう。
こうなるとなかなか現実に帰ってこないのがウェルナーだ。
彼はひたすら考察を重ね、ようやく我に返ったのは食後のコーヒーが運ばれてきた頃だった。
(……し、しまった)
無意識に口に含んだコーヒーの苦みで現実に戻ってきたウェルナーは、激しい後悔に見舞われる。
よりにもよって、デートの席で思考を飛ばすなんてとうなだれると、ステラがおかしそうに笑う。
「かまいませんよ。ご飯はちゃんと食べていましたし」
「しかし、お前を放置したも同然だ」
「でも私、考えにふける師匠を見るのが大好きなので」
だから気にしないでというステラが可愛すぎて、ウェルナーは今すぐにでも家に帰りたい気分になる。
(いやしかし、この後は彼女とウィンドウショッピングを……)
それに公園に行ったり、カフェでお茶を飲む計画もあるのにと思う一方、自分を見つめるステラの表情もなんだか少し熱っぽい気がする。
「あ、あの……師匠……」
「どうした」
「い、色々と巡る前に、一瞬だけお部屋に帰りませんか?」
「具合が悪いのか!?」
「そ、そうじゃなくて……」
声をすぼめ、ステラがもじもじと手を組む。
「師匠をずっと眺めていたせいか、なんだかその……キスがしたくなってしまって……」
次の瞬間、ウェルナーは未だかつてない速度で転移魔法を組み立て部屋に戻っていた。
そして目にもとまらぬ早さで、ステラと共にベッドの上へと移動する。
「ちょっ、お会計!!」
「案ずるな、ちゃんと置いてきた」
言うと同時にステラを組み伏せ、ウェルナーは彼女にキスをする。
長くて甘いキスを施すと、ステラは困ったように目尻を下げた。
「そんなキスをされたら……キスだけじゃ我慢できなくなります」
「それが狙いだ」
さらに二度、三度と口づけを重ね、ウェルナーはステラを抱きしめた。
途端に彼女もぎゅっとすがりついてきて、あまりの可愛さに拍動が乱れてしまう。
「完璧なデートというのは難しいな……」
「完璧じゃなくてかまいません。そのほうが、私たちらしいですし」
「なら、キスをやめなくてもいいか?」
「私もやめたくないので、もっと……お願いします……」
愛らしいおねだりに頬を緩め、ウェルナーはステラの願いを叶える。
完璧なデートにはほど遠いが、二人で過ごす時間は十分すぎるほどに甘く、幸福だった。