ソーニャ文庫

歪んだ愛は美しい。

会員限定特典小説

愛しき女王の命令

 その日、ウィリアムは隣国マーシアの王宮から五日かけて馬を飛ばし続け、ようやく祖国のアルバへ戻ってきた。
 マーシア王が自立し、護国卿の役目を退いて久しいとはいえ、厄介な問題が起きればいまだに真っ先に頼られる身である。海向こうの大陸と戦争寸前の事態になったとかで、何とか回避できないかとマーシアへ呼び出されたのがひと月前。
 長く国を空けすぎたせいだろう。先週になり、妻であるアルバ女王から帰国の催促がやってきた。
 手紙は女王らしく格調高い文字と文章でつづられていたものの、要約すれば「こんなにも家族を放っておいて何をしているの? 早く帰ってこないと兵を送って連れ戻すわよ?」という、冗談に模していながらもひそめた怒りの伝わってくる内容だった。
 背筋の冷えたウィリアムは、使える限りの手を駆使して速やかに仕事を終わらせた次第である。
 アルバの王城に戻るにあたり、本来なら手前の街で一泊し、翌日の午前中に到着する旅程だったが――事実、共に旅をする召使いたちにはそうするよう勧めたのだが、ウィリアム自身は護衛を急かして強行軍で馬を進めた。そのため目的地に着いた時には、すでに夜も更けていた。
 まずは二人の子供たち――未来のアルバを担う王子と王女の顔を見に行きたかった。しかし苦労して寝かしつけた幼児を起こし、乳母を泣かせるのも気の毒だったため、今夜のところはまっすぐに妻の寝室へ向かう。
 そっと扉を開けて様子をうかがったところ、室内は真っ暗で静かだった。クレアはすでにベッドに入っているようだ。
 燭台を手に静かに近づいていくと、彼女はぐっすりと眠っていた。くびれた腰を軽くひねった体勢で、豊かな胸が腕に押しつぶされてたわんでいる。
(目の毒だ…)
 ウィリアムは手近な小卓に燭台を置くと、腰のあたりで丸まっていた毛布を引き上げ、魅惑的な妻の身体を隠した。
 若い頃は勤勉な仕事ぶりや、毅然とした人柄で周囲を魅了していた彼女だが、歳を追うごとに美しさを増し、しっとりとた大人の色気をまとうようになり、今や宮廷に集う男たちの目も心も捉えて離さない女王になった。
 夫が長く国を離れている間、寂しい女王の寝室に忍び込もうとする不届きな男がいやしないかと気が気でなかった。
 そんな自分を笑うと、ベッドに腰を下ろし、愛しい妻のこめかみにやわらかく口づける。
「ただいま」
 小さなささやきだったにもかかわらず、彼女はぴくりと肩を揺らして目を開けた。寝返りを打って起き上がり、空色の瞳をぱちぱちと瞬かせてウィリアムの顔を視界に入れると、両腕をのばして抱きついてくる。
「おかえりなさい、ウィリアム。遅いわよ」
 上体を包み込む柔らかい感触に、眩暈のする思いだった。
 身の内を駆け抜ける情動を何とかやり過ごし、穏やかに返す。
「お召しに従い、馳せ参じました。陛下――」
「今さら殊勝ぶっても許さないわ」
 くすくす笑いがウィリアムの鼓膜をくすぐる。ささいな振動が胸から伝わってきた。なんとも悩ましい。
「子供たちは元気だった?」
「えぇ。お父様はまだ帰ってこないのかと、半日ごとに訊ねてきていたわ」
 彼女はウィリアムに腕をまわしたまま見上げる。
「あちらでの仕事は問題なく終わったの?」
「あぁ、早く戻るために手際良く片付けすぎたせいで、国王陛下からは『また何かあったら頼む』とお言葉を頂戴してしまったけれど……」
「ダメよ。しばらくは放さないわ」
 拗ねた口調で言い、クレアは抱きしめてくる手に力を込める。そしてふと首を傾げた。
「ウィリアム、どうしたの? なぜわたしを見ないの?」
「……目のやり場に困っている。君の、その……」
 実は、クレアが仰向けになった弾みに、夜着の胸元のリボンがほどけて開いてしまったのだ。
 気がついた彼女は「あらやだ」と軽く応じる。リボンを結ぼうとしかけ、手を止めた。
「目のやり場に困るも何も……穴が開くほど見て、押し倒せばいいんじゃないの?」
 最愛の妻は大胆なことを言い、見せつけるように開いてくる。
 ウィリアムは眉根にしわを寄せた。
「……頼むよ、クレア。ひと月もお預けだったんだ。優しくできる自信がない」
「あらそう」
 クレアは引き下がるどころか、ウィリアムに抱きつくようにして、ベッドに引き倒してくる。
「うわっ……」
 仰向けになったウィリアムの上に馬乗りになり、彼女は得意げな微笑みを浮かべた。
「そこを何とか堪えて、優しく愛して」
「クレア」
「それに……何度も言ってるでしょう? わたし、耐えているあなたの顔って好き。色っぽいわ」
 彼女は夫の頬を両手で包み、顔を近づけてくる。ウィリアムは苦笑するほかない。
「なんて無慈悲な女王なんだろう、僕の妻は」
「愛しているのよ」
 顔を傾けて、彼女は小さくキスをしてきた。
「愛しているから傍にいて、常に感じていたいの」
 啄むようなキスをくり返す彼女の後頭部をつかんで引き寄せ、ウィリアムは舌をねじ込んで絡めた。深くなまめかしいキスを続けながら、クレアは夫の服を脱がせてくる。
「――――……っ」
 互いの官能をかき立てる口づけに我慢できなくなったウィリアムは、完全に脱がされる前に体勢を入れ替えた。蒸発しそうな忍耐をかき集め、クレアの身体を優しく貪っていく。
 寝室に響く心地よさそうな喘ぎ声をもっと引き出そうと、愛撫に熱を込める。身じろぐ身体をどこまでも追いかける。昂る下肢を押し当て、挑発的に擦りつけた時、クレアは欲望に濡れた瞳で見上げてきた。
「朝まで寝かさないで」
(あぁ――)
 なんて嬉しい命令だろう。
 ウィリアムが彼女を欲してたまらないのと同様に、彼女も求めてくれている。
 そしてようやく、帰ってきたと感じた。彼女のもとこそ自分のあるべき場所。重く暗い八年間、そしてその後の五年間、ずっと変わらずに思い続けた場所だ。
 濡れて熟れたくちびるに再度口づけながら、湧き上がる愛しさと甘い衝動に酔う。
 誰よりも尊い女性を腕に抱く幸せを噛みしめ、ウィリアムはこの上ない尊敬と愛を込めてささやいた。
「仰せのままに。僕の女王陛下――」

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