エリックの優雅な軟禁生活
古城に夕闇が迫っていた。
周囲を森に囲まれたこの城は、狩りのシーズンにしか使用されない。
滅多に使われないだけに、澱んだ空気が染みついて、どこか陰気で薄暗い。雨の日などは朝から灯りを灯さなければ本も読めないほどだ。
ここに軟禁されて半年が経つ。
僕以外、城にいるのはわずかな使用人と警備兵たちだ。
「時間だ」
警備兵といっしょに侍女が入ってくる。
半ば強制的に身支度をさせられていると、新人らしき侍女が気の毒そうな顔で僕を見てきた。
――お願い、僕を逃がして。
手のひらに文字を書くと、彼女は慌てたように目を逸らす。
ここには味方がひとりもいない。
僕は罪人ではない。ただ利用されただけだ。
政治的圧力で貴族の娘を娶った。その父親と僕の叔父が王太子暗殺計画を謀った。僕を王太子にして、実権を握ろうとしたのだ。
けれど彼らの計画は未遂に終わった。その日から計画に加担した者たちが次々と投獄されていく。
そしてある晩、僕のところに王太子と王太子妃が訪れた。
「私を裏切った罰は受けてもらうぞ」
いつもやさしかった兄が、いまでは害虫を見るような目で僕を見ている。
「信じていたのに……」
隣で涙を浮かべる王太子妃は、かつて僕の婚約者だった女性(ひと)だ。
いつどこで、僕は間違ってしまったのだろう。
つねに兄を尊敬し、彼女とはひととき結婚を夢見ていただけだ。
それなのに運命は、僕の意図しないところで未来を決めてしまった。
僕は兄の信頼と、彼女からの淡い想いを失ったのだ。
「さっさと歩け」
辱めるためだろう。僕はいつも女物の夜着を着せられていた。
下着をつけることは許されず、薄布の夜着の下からは冷たい空気が流れ込む。そのせいで呼び出されるときは不安と絶望を煽られる。
先には進みたくない。けれど逃げる術などありはしない。
「入れ」
警備兵に強く肩を押され、よろけるように主賓室に入ると、背中で堅く扉が閉ざされる。
この部屋は、週末だけに訪れる特別な客人のために整えられていた。
客人たちはいつも仮面をつけてやってくるが、彼らがどこの誰で、なんの目的で古城にやってくるのか、この城にいる者で知らないものはいない。
ただ気づいていないことになっているだけだ。
いまからなにが起きようと、ここには助けてくれる者はいない。
「一週間ぶりだな、我が弟よ」
見事な彫刻が施された豪奢な椅子に腰かけるのは、いまや国王となった兄だ。
「始めろ」
兄が冷ややかな声で命じると、控えていた男が僕に歩み寄ってくる。
彼は表向き娼館の主だが、実際は集めた情報をもとに王の手足となって動く影の男だ。
「や、やめてください、ダンテさん……」
体を震わせ懇願するが、彼は慣れた手つきで僕に首輪と手枷を後ろ手に装着すると、天蓋付きのベッドの柱に金の手綱を固定した。
金の鎖は適度な長さがあって自由に動き回れるが、扉までは届かないようになっている。
ダンテはベッドのそばに僕を跪かせると、手綱を引いて無理やり顔を仰のかせた。
それを見届けると、王が「来い」と誰かに命じる。
すると毛布の山が動いて、ベッドのなかから寝乱れた様子の女性が下りてきた。
すでに王に抱かれたのだろう。
一糸まとわぬその姿は見蕩れるほどに美しい。
首筋や胸に残る紅い痕。つんと上向く乳首は散々吸われたせいか色が濃くなっている。下腹の下の淡い茂みに至っては、心なしか濡れて妖しく光って見えた。
そんな情交の痕跡(あと)を残しながらも、彼女の――ライラの清らかさは損なわれることがない。
淫乱な聖女――その姿を想像するだけで、夜着の下で欲望が熱く疼くのを感じた。
婚約者だったライラと、僕は一度も同衾したことがない。
兄が彼女を求めているとわかったから、僕は潔く身を引いた。
尊敬する兄に嫁いだほうが、彼女も幸せになれるはず。
そう信じていたけれど、いまはその決断が正しかったのかどうか自信がない。
王は彼女の肩を抱くと、僕の顔を注視したままライラの耳もとで囁いた。
「見ろ、おまえを見て欲情しているぞ」
僕は真っ赤になって脚を閉じたけれど、そこの膨らみは隠しようがない。
恥ずかしさといたたたまれなさに顔を俯けようとしたが、ダンテに金の鎖を引かれていると顔を下げることもできない。
僕は無様な姿を王とライラに晒してしまう。
「ライラ。おまえの可愛いその足で、行儀の悪い弟のそこを思いきり踏みつけてやれ」
「っ……そんなことできないわ」
ライラが青ざめる。当然だ。彼女は誰よりもやさしい人だ。
けれど残酷な王がそれを許すはずもない。
「おまえは私より弟を選ぶというのだな」
「い、いいえ、違います」
「ならば行動で示せ。そして私に愛を誓うのだ」
ライラは絶句して、王から僕に視線を移す。
そこからどれくらいの時が経っただろう。
実際は数分だろうが、僕とライラにとっては死刑を待つ罪人のように長く感じた。
やがて意を決したようにライラが前に踏み出すと、その体を支えるように王も近づく。
ライラは可哀想なほど震えていた。
王への愛と、義弟への罪悪感にいまにも泣き崩れてしまいそうだ。
「さあ、力いっぱい踏みつけろ」
王の片手が彼女の太股を掴み、強制的に行動を促す。
彼女は目を閉じると、僕の中途半端に膨らんだ男根を踏みつけた。
「い、ぐっ」
衝動で腰を引こうとしたが、ダンテの足に邪魔されて、かえって腰が前に押し出される。
けれど浅ましいことに、僕の欲望はライラに触れただけでどんどん硬度を増した。
裸足の裏で、彼女も強く感じていることだろう。
恥ずかしくて情けない。僕まで泣きたい気持ちになる。
「弟に言ってやれ、おまえが誰のものなのか」
「わ、わたしは……王のものです……」
王は満足げに微笑むと、彼女の腿をさらに押した。
「ひ、ぐっ」
股間への圧力が強まって、僕の陰茎はそれに反発するように硬度を増す。
「私は寛大な王だ。いまから哀れな雄犬に餌を恵んでやろう」
そう言って王はライラの膝裏を抱えるように抱き上げると、僕に見せつけるようにして彼女の花唇を割り広げた。
「さあ、私のものが受け入れやすいように舐めて解せ」
「いやっ、止めて」
彼女は激しく嫌がるが、そんなことをしても兄を歓ばせるだけだ。
それに言われた通りにしないと、あとでライラが苦しむことになる。
兄の男根は凶器に近い。
あれを前戯のないまま受け入れるのは酷だ。
それに僕も彼女を悦ばせたい下心がある。
彼女にはじぶんから触れることはできないが、兄に捧げるためならばこうして彼女に触れることが許される。
「ライラ、許してください」
僕は昏い欲望を胸に秘めながら、眼前のご馳走に顔を近づけた。
そこは甘い蜜に混じって、兄の匂いも漂う。
「ああ……」
僕は陶然としながら、吸い寄せられるように舌を突き出すと、陰唇の割れ目に――。
「却下です!」
そこまで原稿を読んでいたライラが顔を真っ赤にすると、隣にいた兄様に残りの原稿を投げ渡した。
「こ、こんな淫らなこ……うっ」
彼女は慌てて口を押さえ、なんとか吐き気に耐えているようだった。
ここには懐妊の知らせにきたというのに、義弟から渡された祝いの品が、性癖を反映させた自作の官能小説なのだから、その精神的ダメージは計り知れない。
「エリック」
兄様に睨まれて、僕はてへっと舌を出す。
「ごめんね。軟禁生活があまりに退屈でさあ」
「少し向こうの部屋で休むといい」
兄様は続き間にある僕のベッドに彼女を休ませると、しばらくしてから僕たちのところに戻ってきた。
「おまえの弟は天才だな。これを多少アレンジして舞台化したら客が呼べそうだ」
兄様がいないあいだに原稿を読み終えたダンテが絶賛する。
平民のくせに無礼なやつだが、僕の才能に理解があるのは感心できる。
「ドSな王とドMな義弟に翻弄されるいたいけな王妃……エリック、おまえ王子なんか辞めて、うちの劇作家になったら?」
「え、やりたい。面白そう!」
けれどそのやり取りを聞いた兄様に即座に却下された。
「ダンテ、勝手に弟をスカウトするな。おれたちの子どもが生まれ次第、エリックは恩赦の予定だが、ライラはしばらく子育てで公務がままならないはずだ。その間、エリックにはライラの公務を代行してもらう」
「ええ~、子育てなんかナニーに任せればいいのに~」
僕が不満の声を上げると、ダンテが気安く兄様の肩を叩いた。
「それで? モデルにされた王の感想は? ありなの? なしなの?」
その問いにアーサーは心底嫌そうな顔をしてから、エリックに尋ねた。
「これは未完成だったな?」
「うん、兄様たちが来るとわかってから急いで一章分書いてみたんだけど」
「……完成したらおれに送れ」
「え! 続きを書いてもいいの?」
「ここまで読んだら続きが気になる」
それを聞いたダンテがプッと吹き出す。
「あんたの兄さん、ライラのつわりが酷いせいでこのところ夜がお預けなんだよ。せめて小説のなかでくらい、彼女を抱き潰したいんだよねー」
「……っ」
兄様の目に殺気が籠もる。
けれどダンテはどこ吹く風といった感じで、気持ちいいほど視線を無視している。
兄様と僕は仲違いしているふりをして、反逆者をあぶり出し、一網打尽にした。
まわりはそのことを知らないから、僕の死刑を望む者もいるという。
そこで兄様は僕を古城に軟禁して、恩赦の機会を窺っていた。
そのせいでライラは昼夜関係なく、兄様の尽きない欲望の相手をさせられていたが、今回の懐妊でようやくその責め苦から解放されたようだ。
僕としてはお預けを喰らっている兄様の反動が怖ろしい。
「久々に抱かれるとき、ライラの身が持つといいけどね」
思わず呟くと、原稿の続きに目を通していた兄様が言った。
「いくら創作でも、おれ以外の男にライラを抱かせるなよ」
どうやら一番熱心な読者は、一番迷惑な批評家になってしまいそうだ。
「うーん、考えとく」
僕は当たり障りのない返事をしながら、しばらく続く軟禁生活を趣味全開の創作活動で楽しむことにした。