ソーニャ文庫

歪んだ愛は美しい。

会員限定特典小説

幸せの確認

「嬉しい報告があるんだ」
 ウィステリアに住むライナスの両親とのビデオ通話にて。ライナスがパソコンのモニターに映る両親に笑顔で報告すると、二人の表情が僅かに強張った。
『嬉しい報告……一体なんだ?』
 わかりやすい反応だ。彼らは息子がなにを言うのか勘づいているのだろう。
 ライナスは内心緊張している両親に、変わらない笑顔で報告する。
「婚約したんだ。今すぐにでも籍を入れたいと思っている」
『……っ!』
 両親が息を呑んだ。彼らは視線でなにかを語り合い、ライナスの父が息子に恐る恐る尋ねてくる。
『その相手はまさか……』
「二人の想像通り、沙羅だよ」
 母の顔色がみるみる青ざめて、手を口で覆う。そんな妻を支えるように、父が肩を抱いて落ち着くようにと囁いている。
 この婚約の報告は両親に相当な衝撃を与えるだろうと思っていた。予想通りだが、母に気絶されなかっただけよかったと思う。
 父から疑いの混ざった眼差しを向けられる。真意を確かめるような視線は、息子に向けるものではない。家族の団らんのはずがすっかり仕事のときと同じ空気になってしまった。
『私たちは何度も罪は犯すなと言っていたが、まさか無理やり婚約したのか? 彼女を脅したわけではないな?』
『まさか妊娠……!?』
 二人のあんまりな問いかけに、ライナスは苦笑した。二十年以上も息子がひとりの女性に執着していることを知っているから当然の確認かもしれないが、どうやら思っていた以上に信頼がないようだ。
「安心して、ちゃんと順番は守るよ。もちろん彼女の気持ちを優先している。嬉しいことに沙羅が愛を返してくれたんだ。これ以上はないと思うほど今幸せを感じているよ。すでに沙羅のご両親には結婚の承諾をいただいている」
『なんですって? 夏月さんから? 嘘ではないのね?』
 母に確認されて、ライナスはしっかり頷いた。これはきっと、自分たちの目で確認しない限り信じてくれないだろう。
「不安なら二人も日本に来たらいい。沙羅を紹介しよう。きっと沙羅も喜んで会ってくれるよ」
 沙羅がライナスの両親に挨拶をしたいと言っていたのを思い出す。つい先日婚約したばかりだから、そんなにすぐ会えるとは思っていないだろうが。
 ――まあ、忙しい人たちだしすぐに日本に来る暇はないだろう。最短で来月かな。
 ……そうのんきに思っていた予想は珍しく外れることになった。

 ◆ ◆ ◆

土曜日の朝、沙羅は淹れたてのコーヒーを飲んでから綺麗に焼かれたオムレツにナイフを入れた。中からチーズがとろりと溢れてくる。焼き加減も沙羅の好みで、バターの風味も塩味もちょうどいい塩梅だ。自分ではなかなか作れそうにないオムレツやサラダにスープは、すべてライナスが作ったものだ。
 ライナスと婚約してから早二週間が経過した。金曜日の夜から月曜日の朝まで、沙羅はライナスの自宅に泊まるようになっている。自分の部屋に帰るのは平日のみ。ずっと一緒に住んだらいいと言われているが、まだ沙羅のマンションの更新まで半年以上あるため保留になっている。
 ――甘やかされてるなぁ~。全然ごはんを作らないって言っていたのに、来るたびに何かしら作ってくれて、いつの間にか私より料理が上手になってるし。
 土日は朝ごはんを作ってから沙羅を起こしてくれる。前日の夜に散々体力を消耗させられているので沙羅の朝が遅いのは仕方ないが、頬にキスをしながら「おはよう」と起こされるのが未だに慣れない。朝一番に視界に入るのが美形の微笑というのは破壊力が凄まじい。
「おいしい?」
「うん、このオムレツすっごくおいしい。ライ、また料理の腕が上がったね」
「それはよかった。可愛い婚約者が喜んでくれるから、作り甲斐があるよ」
 ホットサンドメーカーなど、沙羅が泊まり始めた頃にはなかったのに、いつの間にかキッチン家電が増えている。それもライナスが甲斐甲斐しく料理を作って沙羅を喜ばせるためだと思うと、素直に嬉しい。
「夕ご飯は私が作るね。なにがいいかな。食べたいものがあったら言ってね」
「じゃあお鍋にしようか。寒くなってきたし、温まるから」
 沙羅の数少ないレパートリーの中から一番手がかからない料理を言ってくれるところも優しい。最近気温がグッと下がり、鍋がおいしい季節になってきた。
「またお鍋でいいの? じゃあ後で一緒に買い物に行こうね。今日はなに鍋がいいかな~」
 こんな他愛ない話ができるのもくすぐったい。毎日職場で顔を合わせているのに、ライナスといることが全く飽きないのは、彼といることが幸せで居心地がいいからだろう。
 朝ごはんの片付けをして、使った食器を食洗器に入れていると、玄関のベルが鳴った。
「あれ、誰だろう?」
 オートロックのマンションだが、どうやら来訪者はもう玄関前にいるらしい。この部屋の鍵を持つ人物が来ていることになる。
 ライナスは仕事の電話がかかってきたようで、書斎で話をしているようだ。彼を呼ぶより、自分が行った方がいいだろう。ライナスの運転手か、彼の関係者が来ているのかもしれない。
 ――マンションの住人もこのフロアには来られないし……どなたかな。
「はーい」
 沙羅は玄関の扉をゆっくり開いて、硬直する。
 目の前にはライナスそっくりの美貌を持った美男美女が立っていた。
 ――え、どちら様? いや、待って、ライにめっちゃ似てる!?
 間違いなく彼の両親だろう。ライナスの美貌は母親譲りのようだが、目元は父親似のようだ。
「突然ごめんなさいね、ライナスの母と父です。あなたは、沙羅さん?」
「っ! は、はい! 沙羅です、はじめまして! お邪魔してます」
 ――ご両親が来るなんて、ライから聞いていないんだけど!
 パニックになりながらも、沙羅は来客用のスリッパを用意して二人をリビングに通す。玄関先で握手をしたライナスの父は日本語が話せないようだったが、英語で挨拶を交わしたところ素敵な美声の持ち主だった。映画俳優と言われても納得してしまう。とても絵になる二人だ。
沙羅は慌ててコーヒーを用意しながら、ライナスの母が日本語が話せるようでよかったと安堵する。ライナスは母方の祖母が日本人だと言っていたが、彼女は西洋人の血の方が強いようだ。
キッチンから出て、ソファに座る二人の前にコーヒーを置いた。手が震えてしまいそうなのを気合いで誤魔化したが、気づかれていたら恥ずかしい。
――っていうか、普段着なのも恥ずかしい! こんなカジュアルなニットワンピじゃなくて、もっといいのを着ておけばよかった!
「コーヒーありがとう。沙羅さんも座って。これ、お口に合うかわからないのだけど、お土産のお菓子を持ってきたの。よかったら食べてね」
「恐縮です、ありがとうございます!」
 お土産のお茶菓子の箱を受け取る。これは今出してもいいのだろうか、それとも後で食べてということなのだろうか。ぐるぐる考えながら、「今開けてお出ししてもいいですか?」と尋ねると、快く頷いてくれた。
二人の前で包装紙をはがす。じっと見つめられていることが居たたまれない。
 ――ライの電話はまだかなー!?
 緊張しすぎて変な汗が出てきそうだ。身体がすでに熱い。
「わあ、おいしそうなクッキー! ありがとうございます。今お皿用意しますね」
 そう言ってまたキッチンに戻ろうとするのを、二人が引き留めた。
「大丈夫よ、座って。私たち、沙羅さんに訊きたいことがあったの。息子が来ないうちに確認しておきたくて」
 何故かソファに座りながら、二人が前のめりになっている。まるで秘密話をするように。
 思わず沙羅も声を落として、彼らと視線を合わせながら耳を傾けた。
「はい、なんでしょうか」
「沙羅さん、正直に話してね。……もしもライナスに脅されているのなら、今すぐ私たちに言ってちょうだい。私たちが助けに入るから」
「……はい?」
 予想外のことを言われて、つい間抜けな返事をしてしまう。もしかして、ライナスが無理やり沙羅と婚約したのではないかと疑って、急に押しかけてきたのだろうか。日本に直接訪ねてくるほど、彼らにとって深刻な問題なのかもしれない。
『もしも私たちの助けが必要なら、今すぐ言ってほしい。ライナスは君が彼を愛してくれていると言っていたが、私たちは正直自信がない。本当に君がハッピーでいるのか、確認したくて来たんだ』
 ライナスの父がゆっくりと、沙羅にもわかりやすいように英語で話した。その内容に思わず口許が引きつりそうになる。
 ――ご両親に信用されていないって、ライはこれまでなにをしてきたの……。
 思わず遠い目になりそうになったが、沙羅は安心させるように二人に微笑んだ。
「ご心配ありがとうございます。でも私は今幸せです、最高にハッピーですよ」
しかし彼らはまだ不安そうな表情を浮かべている。
「本当に? 無理していない? 本当にライといて幸せ?」
 沙羅が再度肯定しようとした瞬間、背後から冷ややかな声がかけられる。
「話し声が聞こえると思ったら……何故二人がここにいるの。急に来るなんて聞いていないんだけど」
「ライ」
 電話を終えたライナスが沙羅の隣に腰かけた。珍しく戸惑っているらしい。
 ――やっぱり予想外の訪問だったんだ……。
「ライが言ったんじゃない。心配なら直接会いに来たらいいって。だから予定を全部キャンセルして、すぐに駆け付けたのよ」
「……まさか三日後に会いに来るとは思わないでしょう。沙羅に変なことを言って困らせてないよね?」
「そんな、困らせるなんて……」
 気まずそうにライナスの母が目を伏せるので、沙羅は思わず「大丈夫よ!」と口を挟んだ。二人の行動力が凄まじくて圧倒されているが、これは絶好のチャンスだ。
「ライのご両親にはいつかお会いして、結婚の挨拶がしたいと思っていたので。お会いできて光栄です」
「こちらこそ、私たちと会ってくれて嬉しいわ」
 どこかぎこちない笑顔なのは、まだ沙羅が彼らの再確認に返事をしていないからだろう。ライナスの父が『大事な話をしていたのにお前が邪魔をしたから彼女の本心が聞けていない』と詰っている。
「大事な質問? 沙羅、二人になにを訊かれていたの」
 ライナスが不安そうな目を向けてくる。彼もなにか思うところがあるのだろうか。
 三人の憂いを払うように、沙羅は笑顔ではっきり答える。
「私が今幸せかって、確認を。私はライと一緒にいられて幸せです。彼といたらなにも怖くありません。お二人の不安が消えるように、時間をかけてこの幸せを証明できたら嬉しく思います」
「沙羅……」
 沙羅の言葉に嘘がないと思ったのだろう。ライナスの両親が安堵したように、心からの笑顔を見せる。
「そう、よかったわ。本当に……沙羅さんがそう言ってくれるのなら。でも、なにか困ったことがあったらいつでも頼ってね」
「はい、ありがとうございます」
 ライナスの母に手を握られる。その優しい温もりが嬉しくて、沙羅の心がじんわりした。
 ――私がライのご両親に笑顔を見せ続けることが、いつか幸せの証明になるのかな。それにしても、こんなに心配されるほどライはなにをやっていたの? 後で問い詰めよう!
 どうやら愛しの婚約者にはまだまだ秘密があるらしい。

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