政敵の王子と結婚しましたが、推しなので愛は望みません!
- 著者:
- 春日部こみと
- イラスト:
- 森原八鹿
- 発売日:
- 2024年09月04日
- 定価:
- 858円(10%税込)
俺を幸せにしてくれるんじゃないのか?
かつて自分を救ってくれた騎士を崇拝し、恩返しをすることを夢見ていたアイリーン。だが突然、兄を名乗る貴族が現れ、政略結婚をさせられることに。お相手はなんと、あの恩人の騎士クライヴだった!? しかも彼は第二王子で、父の政敵であるという。この結婚がクライヴを陥れるためのものだと知ったアイリーンは、密かに彼を守ることを決意する。一方、アイリーンを警戒していたクライヴは、彼女の突飛な言動や自分への献身に次第にほだされていき……?
不遇の第二王子×夫(推し)を守りたい元平民令嬢、謀略を越えてたどり着く政略結婚の結末は――?
アイリーン
クライヴを神と崇める元平民の娘。第一王子派の父たちにクライヴを探るよう命じられるが、うまくごまかしている。
クライヴ
優秀な第二王子。アイリーンを第一王子派の間者と疑っているが、彼女の言動があまりに突飛で困惑している。
「君は俺の妻だ」
クライヴは淡々と繰り返した。
(そうだ。彼女は俺の妻だ。たとえ敵方の娘であろうと、俺を陥れようと企んでいても、俺の妻であることに変わりはない)
彼女が本性を現す時──すなわちクライヴを陥れようと行動するその時までは、自分の“妻”として扱って良いのではないか。
「せ、政略結婚の、妻と言われれば、そうですが……、ですが私はそのような恐れ多いことを望んではいませんので……。あ、あの……殿下……」
可哀想に、アイリーンは唐突な『妻』扱いに、すっかり狼狽えてしまっている。
だがクライヴは容赦しなかった。
「殿下、ではない。クライヴだ。俺は妻には名前で呼んでもらいたい」
「えっ!? む、無理です! そんな恐れ多いこと……!」
アイリーンは目を剝いてブンブンと頭を振ったが、クライヴは三度繰り返す。
「君は俺の妻だ」
「そ、それはそうですが……!」
「俺は、妻に名前で呼んでもらうことを望む」
「えええ……」
情けない声で眉を下げるアイリーンに、クライヴは寂しげに半眼を伏せてみた。
「むろん、妻である君にはそれを拒む権利はあるが」
「こ、拒むだなんて……! そんな恐れ多い!」
思った通り、寂しげな顔をした途端、アイリーンは慌てたようにまた『恐れ多い』を繰り返したので、クライヴはニコリと笑う。
「では、夫の望みを叶えてくれるか?」
「ぅヒィ……は、はぃ……殿下……」
なんだか小動物の鳴き声のような呟きを漏らしつつ、アイリーンが承諾した。
よし、この調子だ。
「殿下ではない。クライヴだ」
「う、うう……く、く……、ク、クライヴ……さま」
今にも消えそうな声だったが、初めてアイリーンに名前を呼んでもらえて、クライヴは満面の笑みを浮かべる。
「うぐぅ……ま、眩しい……溶けてしまう……」
アイリーンが妙なことを呟いているが、彼女の珍奇な言動にはもう耐性がついてしまっている。
「アイリーン、君は以前、俺に“幸せになるべき人だ”と言ってくれたな」
「え、は、はい! そうです! 殿下は──」
「クライヴ」
「く、くぅ……く、クライヴ様、は、絶対に幸せになるべきです!」
彼女からもう一度同じ発言を聞けて、クライヴは目を細めた。
「君はそう言ってくれたが、俺は自分の幸せが何か分かっていない。ずっと生き延びるのに精一杯で、自分にとって何が幸福なのかと考える余裕がなかったんだ」
「……そう、なのですね」
クライヴの言葉に、アイリーンが痛ましそうに眉根を寄せる。その表情が真に迫っていて、本当に自分に同情してくれているようにしか見えず、クライヴは苦く笑った。
(……これが噓であってもいい。その代わり、そうやって最後までずっと、俺に心を傾ける演技を続けたままでいてくれ)
そうすれば、たとえ陥れられて死ぬことになったとしても、アイリーンだけは自分の死を悼んでくれるだろうと、期待を抱いて死んでいける。
沈んだ顔をしていたアイリーンが、何かを思いついたのか、パッと顔を上げた。
「で、ですが、これからは! 騎士職を辞された今なら、ク、クライヴ様の幸せについて考える余裕ができるのではないでしょうか?」
クライヴを励まそうと必死になっている彼女の顔が、演技であろうとそうでなかろうと、非常に愛くるしくて、クライヴの胸がぎゅっと軋む。
「……そうだな。だから、それを見つけようと思う」
「ハイッ!」
「まずは、夫婦の幸福について、どんなものなのか知りたい」
「ハイッ……えっ? 夫婦?」
「俺には父以外、肉親と呼べる者がいない。全員、死んでしまったからな。家族の愛情や幸福というものを、妻である君が教えてくれると嬉しい」
「えっ……あの、それは……」
「俺を幸せにしてくれないのか?」
「……っ、じ、尽力しますぅ……?」
おそらく意味を理解しないまま請け負うアイリーンの顔に、クライヴは苦笑いを浮かべた。
そのまま顔を下ろしていくと、アイリーンがしきりに目を瞬きながら、焦ったような声を上げる。
「で、殿下……」
「クライヴだ」
「ク、クライヴ様、あの! ご、ご尊顔が……あの! 美しいご尊顔が!?」
「しぃっ……」
囁くように言いながら、クライヴは彼女の唇に自分の唇を重ねた。