人嫌い王子が溺愛するのは私だけみたいです?
- 著者:
- 春日部こみと
- イラスト:
- 氷堂れん
- 発売日:
- 2024年02月05日
- 定価:
- 858円(10%税込)
俺をこんな気持ちにさせるのは君だけだ。
たった一人で森で暮らすエノーラは、亡くなった祖母から、なぜか、髪を染めることと森を出ないことを厳命されていた。だがある日、狼に襲われそうになっていた元軍人エルネストを救う。怪我で将軍職を辞した彼は、どんな病や怪我も治すという「森の魔女」の噂を聞いて森にやってきたらしい。祖母以外の人間を知らないエノーラと、ある事情から人嫌いなエルネスト。孤独な二人は次第に心を通わせるようになるが、彼らの邂逅は国を揺るがす事態に発展し……。
人嫌いな英雄×薄幸の森の乙女、一途な想いは頑なな男の心を溶かしてゆき……。
エノーラ
これまで一度も森を出たことがなかったため世間知らずだが、素直で地頭がいい。使用人たちからも愛されている。
エルネスト
前王の不義の子であったため、貴族社会で蔑まれてきた。社交を好まず直截な発言が多いため、人嫌いと言われている。
「……エルネスト様?」
男に押し倒され、のし掛かられているというのに、エノーラは悲鳴を上げるでもなく、不思議そうにこちらを見上げてくるだけだ。
(危機感がないのは、無知だからだ。だから言葉で教えてやればいい)
かろうじて残っている理性がそう囁くのを、エルネストの中の凶暴な怪物が一蹴した。
自分以外の男がエノーラに触れるのを目の当たりにして、エルネストの中で何かが目覚めてしまった。
彼女に触れようとする男の手を切り落としてやりたかった。
邪な眼差しを向ける目をくり抜いて、下卑たことを言う口に放り込んで塞ぎ、あの舞踏室の天井に吊るしてしまえば、この煮えるような腹立ちが少しは収まるかもしれない。
「エルネスト様、痛いです……」
か細い声にハッとなって目をやれば、エノーラの苦悶の表情があった。
彼女は両手首を頭の上で摑まれ押さえ込まれている。
信じられないことに、彼女の手首を拘束しているのは、己の左手だった。
「……ッ」
エルネストは驚いて息を呑んだが、自分がその手を離したくないと思っていることに気がついて、さらに驚いた。
「……エノーラ」
自分で自分を制御できない。こんなことは生まれて初めてだった。
エルネストは軍人だ。冷静さを欠けば判断を誤る。それはすなわち敗退であり、死だ。己の死だけではない。任せられた全ての兵士たち──何万という部下の死でもある。己の肩にかかる命の重さを思えば、否応なしに頭は冷える。だからエルネストは、何か行動を起こす際に己を制御できなかったことなどなかった。
それが今、己の感情も、身体も制することができないでいる。
二人きりの馬車の中で、自分よりも一回り以上も小さな女性を組み敷いている。彼女は痛がっていて、怯えた表情をしている。許しがたい蛮行だというのに、エルネストには彼女を拘束する手を離すつもりはなく、さらに悪いことには、彼女に口づけようと思っている。
普段のエルネストなら、そんな輩は秒で殴り飛ばして再起不能にしているだろう。
「エルネスト様……?」
エノーラは怯えながらも、不思議そうにこちらを見上げていた。
夜の暗がりの中でも、その紫水晶の瞳が発光しているかのように煌めいている。美しく、曇りのない赤子のような眼差しだ。
無垢で世間知らずな彼女には、今自分が置かれている状況を理解できてすらいないのかもしれない。
(……だからこそ、あんな場所で男と二人きりになどなってしまえる……)
祖母と二人きりの世界で生きてきた娘だ。異性のいない生活の中で、男に対する警戒心が身につくはずがない。
彼女が無防備であることは最初から分かっていたことだ。だから咎があるとすれば、あの狼の巣穴のような場所で彼女から目を離したエルネストだ。
罰せられるべきは己自身。
そう分かっているのに、腹の底に燻る怒りが消えない。
「……クソ!」
低い罵り声に、エノーラが困ったように視線を泳がせた。
「……あの、すみませんでした……」
「……それは何に対して謝っているんだ?」
不機嫌な声色になった自覚はあったが、止められない。エノーラがちゃんと理解できてないのに謝ってきたのだと分かったからだ。
案の定、彼女は少し怯えたように顔を顰めたが、おずおずと口を開いた。
「……だって、エルネスト様、怒っています。私が何か、エルネスト様を怒らせるようなことをしてしまったのですよね?」
その答えが予想通りで、エルネストは皮肉っぽく笑う。
「やっぱり何も分かっていないな」
自分の答えが間違っていると暗に言われ、エノーラはオロオロとした表情になった。
「……あ、あの、私が何かいけないことをしたのならば、教えてください」
必死に言い募る彼女が可愛くて、可哀想で、エルネストは摑んでいた細い手首を離して、彼女の頬にそっと触れる。指の腹に感じる肌の感触は、白磁器のように滑らかで、自分と同じ人間とは思えないほど柔らかかった。
「君はいけないことをしたんじゃない。しなければならないことを、しなかったんだよ」
「し、しなければならないこと……ですか?」
「そうだ。異性を警戒することをしなかった。いいか、エノーラ。男は女よりも力が強い。身体も大きい。君のように華奢で小さな女性など、あっという間に襲われてしまう。だから、決して二人きりになってはいけない。男は若かろうが年寄りだろうが、全員下心がある。隙あらば君を手籠めにしようとするだろう」
エルネストの言葉に、エノーラは驚いたように目を丸くして、フルフルと首を横に振った。
「噓です。全員ではないです」
曇りのない目をして否定され、エルネストの中に苛立ちが込み上げる。
チッと舌打ちをすると、ジロリとエノーラを見下ろした。
「噓じゃない。男は皆、邪な肉欲に支配された狼だ」
「噓です! だって、エルネスト様は違います!」
再びキッパリと否定されて、エルネストはカッとなった。
ハッと短く嘲笑し、うっそりとした笑みで口元を歪める。
「俺だって同じ男だ、エノーラ」
「エルネスト様は違います!」
エノーラの表情はまっすぐで強い。エルネストを信じて疑わない強さに満ちていた。
だが今は、その信頼が酷く癇に障る。胸の裏を引っ搔くような不快感に、ますます顔が皮肉げに歪んだ。
「……分からない子だな。ならば教えてやろう」
言うや否や、エルネストはエノーラの唇を奪った。
「……っ!?」
唐突に唇を塞がれて驚いたのだろう。エノーラはビクリと身体を震わせ、顔を左右に振って逃れようとした。だがエルネストはそれを許さず、片手で顎を摑んで固定し、キスを続けた。
エノーラの唇は小さかった。こんなに小さな口で、呼吸をし、物を食べ、話しているのかと思うと、「よく頑張っているな」と頭を撫でてやりたくなる。
だが同時に、この幼気な唇を思う存分しゃぶり貪って、一欠片も残さず腹の中に収めてやりたいという凶暴な願望もあった。
大事にして甘やかしてやりたいという庇護欲と、奪い尽くして全てを自分の物にしてしまいたいという支配欲──相反する欲望に葛藤しながらも、エルネストはエノーラにキスすることをやめなかった。
柔らかく甘い肉を喰み、擦り合わせているうちに、エノーラが呼吸しようと閉ざしていた唇を開く。その隙を逃さず舌を滑り込ませると、彼女は仰天したようにジタバタと身動ぎをした。それはそうだろう。男女の交際はおろか、異性との接触すらない生活をしていたのだ。唇を触れ合わせるだけのキスだって今が初めての純粋な娘に、舌を差し入れれば驚くに決まっている。
そう分かっていても、エルネストは容赦しなかった。
逃げるエノーラの小さな舌を追い回し、絡め取り、擦り合わせて馴染ませる。最初は抵抗していたエノーラも、次第に慣れてきたのか、エルネストの動きに合わせるようになってくる。
上顎の敏感な部分を撫でると、仔猫のような声で鳴くのが、ゾクゾクするほど可愛いかった。もっとその甘えた鼻声が聞きたくて執拗に口内を弄っていると、快感を覚えたのか、ビクビクと身体を揺らし始めた。
体温の上がった女の身体から甘い体臭が立つのを感じて、エルネストの中の雄が目を覚ます。ドクドクと全身の血脈が早鐘を打ち、頭の中が欲望で白くなっていく。
長く深いキスに、エノーラが降参するように唇を外した。呼吸ができず苦しかったのだろう。ハァハァと忙しなく息をする彼女を見下ろすと、乱れた胸元が露わになっていた。
エルネストが片手で摑んでしまえそうな細い首、浮き出た鎖骨、コルセットの賜物なのか、仰向けになっていても盛り上がった乳房がきれいな山を作っている。
まるで極上の菓子のように、美しく、美味そうだった。
知らず、ゴクリと喉が鳴り、クラヴァットを外そうと上体を起こした時、エノーラの潤んだ瞳と目が合った。
大きな宝石のようなその目から、透明に光る涙が一筋、こめかみを伝って流れ落ちる。
「……エルネスト様……」
その瞬間、エルネストの頭から欲望の酩酊がザッと引いた。