狂獣騎士は救国の聖女を溺愛で蕩かせたい
- 著者:
- 桔梗楓
- イラスト:
- 国原
- 発売日:
- 2023年08月03日
- 定価:
- 847円(10%税込)
俺だけのものに、なってくれますか?
帝国の皇女ジークリンデは、三百年以上続く戦争の最前線へ旗振り役として遣わされた。そこで出会った、戦うだけの獣のような兵士にバルドメロという名前を与え、彼に人間らしい感情を抱かせるような交流を深めていく。やがて平和の世が訪れたが、実の父である皇帝は彼女に辺境守の任務を与え遠ざける。そこでの暮らしの中、『救国の聖女』ではない自分の在り方に不安を覚えるジークリンデを、バルドメロの情愛が甘く包んでいくのだが……。
殺戮しか知らない男×純潔の姫騎士、戦場で芽生えた愛は、平和の世で乱れ咲く。
ジークリンデ
ハヴィランド帝国第一皇女。戦場の旗振り役としての活躍で「救国の聖女」と讃えられる。何事にも真っ直ぐな性格。
バルドメロ
戦場で「ツヴァイ」と数字で呼ばれていた兵士。獣のような荒々しさで戦うが、ジークリンデにはひたすら従順。
「だって私も、ずっと前から……バルドメロに惹かれていたもの」
諦め半分だったバルドメロの瞳に光が灯る。それは驚きに変わって、琥珀色の瞳が大きく見開いた。
「そんな──噓だ」
「噓じゃないわ」
信じられないためか、弱気な顔を見せたバルドメロに、ジークリンデは首を横に振る。
「だって俺は、あなたに好きになってもらえるような要素がひとつもないです」
「あるわよ。バルドメロにはいいところがたくさんあるんだから!」
バルドメロがどんどん後ろ向きになっていく。ムキになったジークリンデは彼の両手をしっかり握った。
「……ほ、本当なのですか?」
恐る恐る問いかけるバルドメロの声はかすれて、震えていた。
「ええ。最前線で、私も……あなたが好きになっていたのよ」
正直な気持ちを口にすると、こんなにもすがすがしい気分になるのか、と思った。
それは恥ずかしかったけれど、嬉しくて、言えてよかったという達成感がある。
「ずっと、そういう気持ちを持つのは駄目だって自分を戒めていた。でも、もういいのかもしれないと思ったの。平和が訪れて、私の役割が終わった。ううん、そう思い込まないと、まだ怖くて……本当にいいのかしらって、迷ってしまうのだけど」
皇女としての自分と、もう楽になりたい自分、両方が心の中に存在している。
だが、そんなジークリンデの迷いを振り払うように──バルドメロが抱きしめてきた。
「え……」
突然の抱擁に驚く。ふわりと懐かしい匂いがした。
これはそう、バルドメロの匂い。戦時中、幾度も感じた匂いだ。前線で身の危険を感じた時、後ろから殺されそうになった時。いつもこの匂いがして──そのたび、ジークリンデは心から安堵した。
バルドメロが助けに来てくれた。もう大丈夫。……ありがとう。
周りでは敵も味方もどんどん倒れて、血を流して、自分だけ守ってもらえた。その罪悪感に心身が潰されそうになりながら、それでも助けられたのが嬉しかった……。
懐かしい気持ちに唇を嚙みしめる。
「俺は、あなたに、こうしても……いいのですか?」
抱きしめながら、問うてくる。身体は震えていたが、声色は喜びに変わっていた。
「いいのですかって、抱きしめてから訊ねるものなの?」
くす、とジークリンデは小さく笑う。バルドメロは一瞬慌てたように動きを止めたが、しかし腕の力は緩めず、むしろ離すまいと言わんばかりにジークリンデの頭から抱き込んだ。
「…すみません。身体が勝手に動いていました」
自分に正直なバルドメロが、とても愛おしく思える。
「ううん。いいと思うわ。これって、両思いってことだものね。恥ずかしながら、私も何が正しいのかよくわかっていないのだけど」
恋なんて、自分には関係のない感情だと思っていた。だからこそ戯曲は恋の物語が好きで、たくさん集めた。自分には得られないものを、戯曲を通して得た気分に浸りたかったのだ。
「ごめんなさいバルドメロ。私は、恋に関しては全然知らないにも等しいの。ずっと、縁遠いものだと思っていたから」
「それは俺もですよ、ジークリンデ様」
バルドメロは一層強くジークリンデを抱きしめたあと、少しだけ身体を離した。
彼の表情は今にもとろけそうなほどの喜びに満ちていて、琥珀色の瞳が濡れたように光っている。感極まって、涙が浮かんでしまったようだ。
彼の嬉しさが痛いほどに伝わって、ジークリンデもツンと鼻が痛くなる。
「まさか、受け入れてもらえるなんて思っていなかった。今だって夢みたいに思っていて……。こんなにも醒めないでほしいと願った夢は初めてです」
「夢じゃ、ないわよ」
ジークリンデがそっとバルドメロの頬に触れた。彼はその手に自分の手を合わせ、幸せそうに目を閉じる。
「本当は、俺、この気持ちが恋という言葉で言い表せるものなのかどうかも、よくわかっていないんです。もっと強くて、もっと激しくて、この身全てを投げ打つような感情に名があるのなら……まさしくそれですから」
ぐ、と再び抱きしめる。ジークリンデの柔らかさを確かめるみたいに強く、そして身体全体でジークリンデを感じたいのか、首筋に頬を寄せた。
抱擁の力が強くて、息が詰まってしまいそう。それでもジークリンデの心はじわじわと温かくなり、そして今までに感じたことのないほどの幸せを覚えた。
(ああ、私……本当は、ずっと前から、こんなふうに抱きしめてもらいたかったのかもしれない)
怖々と、自分もバルドメロの背中に手を伸ばす。彼の身体は、想像していたよりもずっと逞しい。ぎゅっと抱きしめ、目を閉じる。
「私……幸せになって、いいのかしら」
「当たり前です。あなたはそれだけのことをしてきました」
「バルドメロも幸せになってくれる?」
「はい。あなたが望むなら、俺はあらゆる努力を惜しみません」
壊れ物に触るみたいに、そっと顎に触れてくる。近づく唇。ジークリンデに、逃げる気は起きない。
満天の夜空の下、唇を重ねた。
初めての口づけは優しく、感覚は柔らかで、夜風は冷たいのに、不思議と身体が熱くなっていく。
「バルドメロ、私……こんな気持ちは、初めてだわ」
心音がいつになく速くて、身体はふわふわと軽く感じる。
「口づけを交わしたら、頭の中が幸せでいっぱいになったの。バルドメロの他に何も考えられなくなった。……怖いくらいだった」
それは生まれて初めての経験だった。ジークリンデは物心ついた頃から皇族としての自覚を持っていたから、常に帝国民のことを考えていたのだ。それなのに、幸せに満たされた瞬間、たったひとりのことしか考えられなくなった。
「これが恋なら、恐ろしいものだわ。何だか、自分が自分でなくなるみたい」
「ジークリンデ様、それは考えすぎです。あなたは恋をしようが、何者にも変わらない。なぜなら、初めて会ったあの日から、あなたの目の輝きは少しも陰っていないのですから」
募る愛おしさを伝えるように、こめかみに、鼻の頭に、頬に、バルドメロは優しく口づけの雨を降らす。
その仕草は少しぎこちなくて、慣れていない感じがした。それでも懸命に愛を主張しているのがわかってジークリンデの心が温かくなる。
「ずっと、ずっとお慕いしておりました。こんなふうに触れたいと思うことは数知れず。あなたをもっと感じたい、独占したい、いっそ俺の中に隠してしまいたいと、何度願ったかわかりません」
最後に、唇に再び口づける。先ほどとは違い、息ができないほどに深く重ねた。
「……愛しています」
胸の内をさらけ出すような告白は、泣き声まじりでかすれていた。眉を下げた表情は悲しそうにも見えたが、それはただ一心に、ジークリンデを想うがためだろう。
「あなたはこれからも、たくさんの人の平穏を願い、身を挺して守っていくのでしょう。わかっているんです。あなたは決して、俺だけのものにはなれない。たとえ皇族でなくなったったとしても、自分勝手には生きられない。そういう方だとわかっています」
「バルドメロ……」