藤平くんは溺愛したい!
- 著者:
- 春日部こみと
- イラスト:
- 白崎小夜
- 発売日:
- 2019年04月26日
- 定価:
- 726円(10%税込)
君は、僕のそばで息をしてくれているだけでいいのよ。
池松縄文乃は、華やかな見た目とは裏腹に運命の“理想の人”を探し求める夢見がちな乙女。そんな彼女が一目で恋に落ちたのは、オネエ口調のイケメン税理士・藤平成海だった。惹かれ合っているはずなのに、何故か文乃を拒む彼。けれど、やがて想いは伝わって……。「僕を諦めないでくれて、ありがとう」蕩けるような愛撫で何度も絶頂に追い込まれ、情熱的な一夜を過ごした文乃。だが彼には、“女の子デストロイヤー”という異名があって――!?
過保護なオカン系税理士×恋愛下手な残念美女、スパダリの重すぎる愛!
池松縄文乃(いけまつなわ・あやの)
勝負パンツを買いに行った店で藤平に一目惚れする。
藤平成海(ふじひら・なるみ)
料理が趣味のオネエ口調のイケメン税理士。次に付き合うのは結婚する相手と決めている。
「眠り姫みたいね」
囁いて、瞼を閉じた彼女の寝顔を見たまま、その唇に触れるだけのキスをした。
──ああ、柔らかい。
彼女にキスをした歓喜に胸が痺れる。
柔らかさは想像以上だ。味はどうだろうか。舐めてみてもいいだろうか。
普段ならば考えもしないような欲望がどんどん溢れてくる。自分は常識人であるという自負があったのに、その自信も怪しくなってきた。
彼女の唇の柔らかさを堪能しながら、舌を突き入れてしまいたい衝動と、眠る女性にそんなことをするべきではないという理性との葛藤に眉根を寄せた。
きっと桜子が傍にいたら、「そんなもん了承なくキスしちゃってる段階でもう遅くない? この似非紳士め!」と白い目を向けてきたに違いない。
文乃のことに関して、いろいろおかしくなっている自覚は辛うじてある。
そもそも、藤平は“運命の女神”を探し求めていたはずだ。自分が“女の子デストロイヤー”だと分かっていても、愛する人が欲しかった。自分が全身全霊で愛し抜けば、その人も嫉妬や猜疑心で心を壊したりしないだろうと、根拠のない自信すらあった。
だが実際に、“運命の女神”──文乃に出会ってしまったら、そんな自信は吹き飛んでしまった。
真っ直ぐな恋慕を向けてくる文乃を見て、こんなにも純粋で美しい人を壊してしまうかもしれないと思うだけで、身が竦んだ。
歴代の元カノたちのように、文乃に『もう自分を嫌いになりたくない』と去ってしまわれたら? 想像するだけで、目の前が真っ暗になる。
それなのにこうして彼女を前にすれば、そんな恐怖を凌駕するほどの欲望と歓喜で頭の中が埋め尽くされてしまうのだ。
自分で自分をコントロールできない。こんな恋を、藤平は知らなかった。
──いけない。箍が外れる前に、離れなくては。
自分の自制心にまったく信用を置けない今、キスなんぞしている場合ではない。
そもそも眠る相手にキスをするべきではなかったし、それ以前にお持ち帰りなど言語道断だ。なんのためのオネエ口調だ。女避けどころか、自分で盛大に近づいて襲い掛かっているではないか。
とにかく彼女が目を覚ます前に、離れなければ。
頭の中で自分の理性にボロクソに詰られて、藤平はようやく唇を離そうとした──瞬間、するりとしなやかな腕が首に絡み、ぐい、と頭を引き戻された。
「──!?」
「もっと」
甘くかわいらしい囁き声がして、再び唇が重ねられる。
重ねるだけに留めていた唇が、意図を持った角度を付けて合わされて、柔らかく食まれた。その甘い感触に、藤平の背にゾクリとした快感が走る。
「っ……」
どうやら、文乃は途中から覚醒していたらしい。
藤平は今更ながら同意を得ないままキスをしたことを後悔したが、時すでに遅しだ。
これで「あなたのことは好きではないです」などという嘘は通用しないだろう。
──いや、さすがにもう、無理だって分かってたけれど。
彼女を遠ざけたままでいられるはずなどない。自分で制御できないほど惹かれているのに、どうして手を伸ばさずにいられるものか。
彼女を壊すのが怖いと思ったけれど、それがなんだというのか。
──僕はきっと、壊れた彼女も愛さずにはいられない。
文乃が嫉妬や執着心でおかしくなったとして、自分に向けられるそれらの感情を嬉しく思いこそすれ、厭うことはないだろう。
嫉妬に悩ませるつもりは毛頭ないが、嫉妬してくれる彼女を想像すると、愛しいという気持ちしか湧いてこない。
少々頭のネジが外れているなと自分でも思うが、それ故に“恋”なのかもしれないと納得もしている。
ここまで開き直ってしまえば、彼女のキスを拒む理由などあるはずがない。
藤平はおもむろに舌を伸ばすと、彼女の柔らかな唇の肉を一舐めしてから歯列を割った。
すると華奢な肩がピクリと揺れる。
──ああ、そうか。まだ誰とも付き合ったことがないと言っていたな……。
自らキスをしかけてきたくせに、初心な反応を見せるのがまたかわいくて堪らない。
藤平は喉の奥で笑いながら、彼女の口内の甘い粘膜を味わった。
舌先でぐるりと上顎をなぞって、そっと小さな舌を舐める。面白いくらいに身を跳ねさせた文乃の髪を、宥めるように右手で梳いた。
「……っ、ふ、ぅ……!」
恐らくディープキスは初めてだったのだろう。もしかしたら、キスという行為自体初めてなのかもしれない。呻くような鼻声を上げながら、藤平の舌から逃げる彼女のそれが、怯えた雛を彷彿とさせた。
可哀想に、と思うくせに、もっとちょっかいを出して泣かせてやりたいという衝動も生まれてきて、藤平はひっそりと苦笑を漏らす。自分にこんな意地悪な一面があったとは。
文乃と出会ってから、自分さえ知らなかった自分の性質を発見してばかりだ。
逃げまどう小さな舌を追い回し、絡みついてその甘さに酔いしれていると、気がつけば彼女の顔が真っ赤になっていた。
──あ、呼吸、うまくできてないのか。
そんな覚束ない様子もかわいらしいと思いつつ慌てて解放すれば、文乃はゼイゼイと呼吸を繰り返す。その涙の滲む目尻を指の背で拭ってやり、藤平は眉を下げて謝った。
「ごめんなさいね、やり過ぎちゃった。君があまりにもかわいかったから……」
素直な気持ちを述べると、文乃が大きな目をまんまるに見開いた。
「えっ……」
「え?」
文乃が何にそんなに驚いているのか分からず、互いに顔を凝視しつつ、藤平は首を傾げる。その状態で数秒沈黙した後、文乃はソファに仰向けに寝そべった体勢のまま、キッとこちらを見上げた。
これは怒られるのかな、と藤平は身構える。なにしろ、泥酔した女の子を家に連れ込んで了承なくキスをしたのだから、詰られる覚えは十分にある。
だが、文乃は予想を大きく覆す言葉を発した。
「ふ……藤平さん、好きです!」
「!」
──ここで告白!?
脈絡も何もあったものじゃない。唐突過ぎる愛の告白に、藤平は呆気に取られて絶句した。藤平の表情に、文乃がくしゃりと顔を歪める。泣きそうなその顔に、自分の表情をまた曲解したのだと分かった。まずい、と誤解を解こうとした藤平は、彼女のマシンガントークに口を噤むことになった。
「お願いします。最後まで聞いてください! 藤平さんが私のことを避けていたのは、なんとなく分かっています! あれだけ誘いを断られてるんだから、多分見込みはないんだとも! で、でも、私、初めてだったんです。こんな気持ちになった男性は! あなたを見た瞬間に、あなたが、私の探し続けてきた“理想の人”だと思ったんです! あなたを見た瞬間、時間が止まったかと思った! も、妄想かもしれないし、それだったらかなり気持ち悪い女だって自分でも思うんですけど、でも、だから、簡単に諦めたくなかったんです! 告白して振られるまではって! ちゃんと想いを伝えて振られたら、もう二度とつき纏ったりしません。これが最後だから──」
「待って」
悲愴なまでの表情で自分の想いを告げる文乃に、藤平は堪らず遮った。最後まで、なんて、とても聞いていられない。
──彼女は、僕が断ったら、もう会わないつもりだった……?
それくらいの覚悟を持ってこの場に臨んでいたのか。同時に、そんな覚悟をさせるほど、煮え切らない自分の態度が彼女を追い詰めていたのだと分かり、胸が苦しくなった。
「ごめんなさい、そんなふうに思わせてしまって。僕のせいよね」
彼女の頬を撫でて謝れば、文乃はポカンとした顔になる。
「……え? だって……」
きっと振られることを想定していたのだろう。文乃は困惑したように目を泳がせた。そんな様子も可哀想で、藤平は早く誤解を解くために結論を先に告げる。
「僕も君が好きよ」
文乃の黒い目が、これ以上はないほどに見開かれた。
「……え……?」
半信半疑という眼差しだ。それはそうだろう。さんざん避けていたくせに、掌を返したように言われても信用してもらえまい。藤平はグッと腹に力を込める。
「君が好き。君を避けていた件は、完全に僕に非があるの。……君を壊したくなかったのよ」
「壊す……、って……?」
当然の疑問に、藤平は小さく首を横に振った。
「それは後で詳しく話すわ」