腹黒従者の恋の策略
- 著者:
- 春日部こみと
- イラスト:
- 芦原モカ
- 発売日:
- 2018年09月03日
- 定価:
- 726円(10%税込)
約束してください。俺を一生離さないと。
辺境伯に任ぜられた王女ミルドレッドは、王都を離れる前夜、自身の護衛騎士で騎士団長でもあるライアンの部屋へ向かう。王都に残る彼と会える最後のこの夜、酔いに任せて初恋の彼に抱いてもらうためだった。自分を抱けと命じるミルドレッドに固まるライアン。しかしすぐに、「……いいのですか」と恍惚とした表情で抱きしめてきて……。情熱的に抱かれ、切なくも幸せな一夜を過ごすミルドレッド。けれど1年後、ライアンが辺境伯領に押しかけてきて――!?
腹黒な忠犬×薄幸の女辺境伯、甘く淫らな主従関係!?
ミルドレッド
ずっとライアンに恋をしているが、辺境伯は結婚を禁じられているため、彼と離れようとしている。
ライアン
ミルドレッドの護衛騎士で騎士団長。幼い頃のとある事件の後、ミルドレッドに忠誠を誓っている。
「あの夜から、俺は、疼くのです」
「えっ……どこか痛いの!?」
怪我でもしているのだろうかと眉根を寄せれば、ライアンは首を振ってミルドレッドの頬を指でなぞる。
「俺の雄が、疼いて仕方ない。ミル様を思い浮かべるたび、あなたを抱きたくて抱きたくて、居ても立っても居られないのです」
「……っ」
ミルドレッドは息を呑んだ。つ、と優しく頬を撫でる感触に、ぞくりと背筋に慄きが走る。不快な慄きなら良かった。ミルドレッドはもうそれが快楽の兆しだと、知ってしまっている。
「ラ、ライアン……」
「ミル様……俺はあれから、ものすごく悩みました。あなたを思い浮かべるたび、瞬時にはち切れんばかりに滾ってしまうこの欲を、どうやってやり過ごせばいいのか」
愛しげにミルドレッドの顔の輪郭を撫で続けるライアンから、夥しい色香が溢れ出ている。蜂蜜のように甘くドロリとしていて、これを浴び続ければ身動きが取れなくなる。そんな気がして、逃げなければと思うのに、いつの間にか鋼鉄の枷のごとき腕に腰を抱き込まれていて、退路がない。
「ミル様……」
男らしい精悍な美貌が近づいてくる。キスをされそうになっているのだと遅ればせながら気づいたミルドレッドは、慌ててライアンの顔を手で押しのけようと突っ張る。
「ライアン、それはホラ、あなたは初めてだから、その、快楽に浮かさ」
「ミル様も初めてだった。そうでしょう?」
話の途中でそんなことを訊ねられて絶句する。するとライアンがビキリと額に青筋を立てた。
「違うのですか?」
まるで恐喝でもされているかのような恐ろしい迫力に、ミルドレッドは半泣きになりながらブンブンと首を横に振る。
「違わないっ……!」
ミルドレッドの返事に、よくできましたとでも言わんばかりに、ライアンは顔を綻ばせ、どさくさに紛れて額にキスを落とす。
「ライアン! あなた、つまり、その、性交が初めてだったから、その快楽に浮かされているだけよ! そ、その、他の女の人とかと場数を踏めば、そんなのも」
なんとか彼の意識を自分から逸らそうと、ミルドレッドは頭を必死に回転させる。ライアンが他の女性を抱くなんて想像もしたくない。だがそんなことを言っている場合ではない。
「俺が勃起するのはミル様に対してだけです」
「ぼっ……」
顔に一気に血が上った。なんてことを言うのだ、この駄犬!
パクパクと陸に上がった魚のように口を開閉させるミルドレッドに、ライアンは小さな手を退かし、まっすぐにハシバミ色の瞳を覗き込んでくる。
「ミル様にだけなんです。俺が勃起するのも、抱きたいと異常なまでの欲を抱くのも。俺は訓練された軍人です。しかもそれなりに有能な部類だと自負していました。己を律することは当たり前でした。それなのに……自分を制御できない。あの時の甘い快楽を忘れられない。あの夜以降、俺は我慢ができない。あなたを抱きたくて、抱きたくて、死にそうなのです」
ミルドレッドは息もできずに、彼の金色の瞳に見入っていた。切なげに細められた形の良い目。その金の中の荒れ狂うような情熱に呑み込まれてしまいそうだった。
「助けてください、ミル様。俺を、助けて……」
まるで縋るように両手で顔を?まれ、頭に頬擦りをされる。胸がぎゅうっと痛んだ。
これまでライアンは、いつだってミルドレッドを守ってくれていた。
同い年だけれど、ライアンはミルドレッドの兄のような存在だった。
それこそ身分も何も分からないくらい小さかった頃には、敬称なんてついていなくて、『ミル』と呼んでくれていた。何をやってもおぼつかないミルドレッドに呆れながらも、『ミルはばかだなぁ』と言って手を差し伸べてくれた。
ずっとずっと、頼るばかりだった。そんなライアンに、今は自分が頼られているのだと思うと、ミルドレッドの中に使命感のようなものが湧いてくる。
幼い頃から恐ろしく優秀で、神童とまで呼ばれたライアン。弱冠十九歳で王立騎士団長にまで昇り詰めたその突出した能力。これまで彼が何か失敗をしたなどという話は聞いたことがない。そんな完璧なライアンが、自分を律することができないというのなら狼狽してもおかしくない。
(そ、そうよ。優秀な軍人であるライアンが、初めての性交に……その快楽に浮かされて暴走していて、こんなに困っているんだもの。私にできることならしてあげるべきだわ)
そもそも、無性欲者だと自認していた彼に、無理やり自分を抱かせたのはミルドレッドだ。その責任は取るべきだろう。ミルドレッドは、意を決して彼を見つめ返す。
「分かったわ。あなたの欲は、私が責任を持って受け止める」
「……! ミル様……!」
切なげだったライアンの表情が、一気に華やいだ。その表情が主にご褒美をもらった犬そのもので、ミルドレッドは不意に泣き出したい衝動に駆られた。
これから先も、ミルドレッドはライアンに抱かれるだろう。そのたびに、彼の温もりや愛撫を、愛情ゆえのものではないと、自分を戒めていかなくてはならない。その辛さを分かっているだけに、彼の笑顔が胸に痛かった。その痛みを我慢して、彼女は笑った。
「あなたは犬ね、ライアン」
ミルドレッドの言葉に、ライアンもまた微笑んだ。
「そうです。俺は、あなたの犬です、ミル様。命をかけて、あなたのお傍に侍り続けましょう」
期待通りの言葉を返してくれるライアンに、ミルドレッドは小さく笑った。
「……では、私もあなたに誓うわ。私の犬は、あなただけ。あなた以外に誰も要らないわ」
「ミル様……!」
小さく感嘆するように言って、ライアンはおずおずとこちらに向けて腕を開く。
「……触れても?」
「いいわ」
許可を出せば、ライアンが感極まったように唸って、華奢な身体を抱き締めた。
苦しいほどに抱き竦められながらも、ミルドレッドは文句を言わず、その広い背中に腕を回して撫でた。大柄で屈強な騎士が、何の力もない小娘に撫でられ、尻尾を振らんばかりに喜んでいる。他の者が見れば異様な光景だろう。
「あなたは、私の犬よ。ライアン」
ミルドレッドはもう一度言った。
この温もりを、ひたすらに愛しいと思いながら。