愛を乞う異形
- 著者:
- 山野辺りり
- イラスト:
- Ciel
- 発売日:
- 2017年12月02日
- 定価:
- 704円(10%税込)
もう私が怖くないのか?
ある日を境に人が異形に見えるようになったブランシュ。誰にも言えず、ずっと屋敷にこもっていたが、突然、結婚することに。相手は冷酷非道と噂の次期辺境伯シルヴァン。彼のことも化け物にしか見えないブランシュは、目を合わすこともできず怯えるばかり。そして迎えた初夜。苛立つシルヴァンに強引に抱かれるが、その手つきはどこか優しく情熱的で……。何度も身体を重ね、同じ時を過ごすうち、ブランシュは姿形よりも大切なものに気がついて――。
“冷酷非道”な次期辺境伯×人が化け物に見える妻、絶望からの真実の愛!
ブランシュ
ある日を境に人が異形に見えるようになる。人と会うのが怖くて屋敷に籠もっていたが、シルヴァンと結婚することに。
シルヴァン
「嫌ぁッ……」
「……っ、どうして、そこまで拒む……!? 君にとって悪い話ではないだろう。ベアトリクス子爵家にとっても……っ! それとも、このまま居場所のない家で息を凝らして生きる方がマシだと言いたいのか」
その台詞に、自分がこの家でどう扱われていたのか、シルヴァンが知っていることをブランシュは悟った。全てではなくとも、冷遇されていることは察している。その上で、婚姻を申しこんできた理由が分からないが、マリエットが言うように都合のいい玩具が欲しかっただけなのかもしれない。それとも頼る場所のない、好き勝手に扱える相手であれば、誰でも良かったのか───
「わ、私は───」
長く、人と話をすることさえ避けてきた喉と舌は、上手く回ってくれなかった。これ以上彼を刺激しないために早く答えなければならないのに、言うべき言葉が出てこない。ブランシュは無為に頭を振ることしかできなかった。
ずっと部屋に引き籠もって、家族に疎まれながら暮らしたいなどとは望んでいない。いずれは、現状を変えなければならないと覚悟はしていた。けれどそれは結婚という形ではなく、もっと様々なしがらみから解き放たれ、人々との繋がりを断つものにするつもりだったと、どう告げれば理解してもらえるだろう。
他者と言い争うことも、説得することも長らくしてこなかったブランシュには、あまりにも難易度が高い。苛立ちを募らせてゆくシルヴァンを前にしては、より一層焦りが募っていった。
「理由を言え。何が気に入らない。───私が……だからか」
「え……?」
呟くように吐かれた単語は、上手く聞き取れなかった。彼にとって口にしたくない内容なのか、言ってしまって後悔したのが伝わってくる。異形の面は、意外にも表情豊かだった。だが今、そんなことは何の救いにもならない。憤怒に駆られた様子までまざまざと見てとれてしまうからだ。
「直せることならば善処しよう。だから、私を拒絶する理由を教えてくれ」
ぐっと顔を近づけられて、ブランシュの視界はシルヴァンに埋め尽くされた。人ではあり得ない瞳孔が、獲物を定めて残忍に光っている。牙の奥に肉厚の舌が蠢き、禍々しい角は黒光りしていた。
瞬間、血の臭いを嗅いだと思ったのは、勘違いでしかない。分かっている。分かってはいるが───理屈ではないのだ。
「貴方が、恐ろしいのです……!」
「何だと……?」
漏れ出た言葉は、取り消しがきかない。しかも一度決壊した心は、胸の内に渦巻く思いを堰き止めることなどできはしなかった。溢れる勢いのまま、ブランシュは両眼を閉じて声を振り絞った。
「シルヴァン様が、私には怖くて堪らないのです……っ」
真実は語れない。けれどその場しのぎの嘘など、全てを見透かすような悪魔の瞳には、簡単に見破られてしまう気がした。彼が聡明なのは聞きかじった噂話からでも伝わってくるし、世間知らずのブランシュになど手に負える相手ではない。
だったら、歪曲した言い回しでしか本当のことは口にできなかった。偽りではないが真でもない───そんな中途半端な言い訳が、ブランシュの精一杯だった。
「……なるほど、巷に溢れる噂話を鵜呑みにしているわけか……」
ギリッと鈍い歯ぎしりの音が聞こえた。ブランシュの眼の前にある鋭い牙が、小刻みに震えている。今にも、こちらの喉笛を喰いちぎってしまいそうに。
「……くだらない。面白おかしく囁かれている馬鹿げた悪評を信じているのか。確か、気に入らない者は八つ裂きにするとか、逆らう者は皆殺しにするとかだったか。ふん、あながち全てが作り話ではないところがたちが悪い」
「……ひっ」
今度こそ、殺されると確信した。異形の獣に喰い殺され、生を終える。まさか自分の一生がそんな終わり方を迎えるとは想像もしていなかったが、案外お似合いかとも思う。
考えてみれば、これまで思い通りに事が運んだことなど一度もなかった。いつだって困難にぶち当たり、想定外の方向へ舵を切らねばならなかったのだ。最期は呪われ、悪魔に魂を喰らわれる───実際にはシルヴァンが人間であることは理解しているが、ブランシュにとっては同じだ。
冷酷無比と囁かれる彼ならば、この苦しみを終わらせてくれるかもしれない。
───だったら、もう頑張らなくてもいい……?
ブランシュは、抵抗していた身体から力を抜いた。力んでいた手足も弛緩させ、ベッドの上に投げ出す。突然大人しくなったブランシュを不審に思ったのか、シルヴァンは怪訝な色を滲ませた。毛に覆われた眉間でも、皺が寄ったことがよく分かる。こんな時だが、やはり随分彼は表情豊かだと実感した。
しかしだからこそ、ただの大きな獣ではないのだと突きつけられた。人間ではない。この世ならざる異界の生き物。たとえ、ブランシュの頭の中にだけ存在するものだとしても、自分にとってはそれが唯一の真実なのだ。
シルヴァンの大きな口が開かれ、言葉を紡ごうとして、結局何も発せずに閉じられる。ふっさりとした獣毛が彼の額部分に落ちかかり、黄金の帳の向こうに、冷酷な瞳が細められるのが見えた。
「……どちらにしても、この結婚を反故にする気はない。───諦めろ」
最終通告は、?みつくようなキスと共に贈られた。何も返事をする余地もなく、荒々しくブランシュの口内を貪るシルヴァンの舌に翻弄される。深く絡め合わされ、呼吸も奪われた。唾液を啜られ上顎を擽られると、息が苦しくて頭に霞がかかり、何も考えられなくなってしまう。滲んだ涙は、彼の親指が器用に拭っていった。
眼を閉じて、感じる感触は全て違和感のないものだ。人肌の温もりと常識的な大きさ。しかし一度視界を開けば、暗黒だけが待っていた。
───私の、眼と頭だけが壊れているのだわ……分かっている。分かっているけれど、でも……!
シルヴァンの手が剥き出しになっていた太腿を辿り、夜着がすっかり捲れ上がっていることを教えられる。そのまま躊躇なく上を目指す手つきに、ブランシュは反射的に膝を擦り合わせ戦慄いた。
「駄目……っ」
「拒む権利は、君にない。これは───妻の義務だ」