おじさまの悪だくみ
- 著者:
- 斉河燈
- イラスト:
- 岩崎陽子
- 発売日:
- 2015年04月03日
- 定価:
- 660円(10%税込)
俺好みの、いい女になったな。
「20歳まで独身でいたら、俺が貰い受ける」当時14歳だった咲子は22歳年上の忍介にそう言われ、恋文を突き返された。それから6年、咲子20歳の誕生日。彼は約束を果たしに来たと言い、咲子に求婚。思いが叶った喜びの中で迎えた初夜だが、終わりの見えない交わりに咲子は疲れ切ってしまう。銀行の頭取で美丈夫の彼が独身だった理由――それは、彼が絶倫すぎるからだった!? さらに、彼には他にも秘密があるようで……。
咲子(さきこ)
政治家の娘。幼い頃から忍介が好き。彼の好みにあわせようと、お転婆を封印している。
忍介(おしすけ)
銀行の頭取。22歳年下の咲子を娶る。性欲が強すぎて、女性が寄ってこないのだと言うが……。
「……もう限界だ」
独り言のように零した忍介は、膳をぶっきらぼうに左へ押し退けて咲子の前方に迫る。え、と声を上げたとき、咲子は座布団をはみ出して畳の上へ仰向けに押し倒されていた。
「あ」
強引な動作だったが、さほど衝撃はなかった。忍介が後頭部に左手を添え、さりげなく庇ってくれたからだ。
「お、忍介さま」
「旦那さま、だ。結婚は成立したんだ。俺たちは夫婦だ。そうだろう」
彼の右手を顎に添えられ、返答の声がうわずる。
「は──はい、旦那さま」
「いい子だ。……その調子でもっと俺を安心させてくれ」
安心? 訊ねようとした声は斜めに降りてきた唇に呑み込まれる。
初めての口づけだった。
「……っ、ふ……!」
肩を跳ね上げるほど驚いてしまったのは、唇を重ねられた所為だけではない。彼の舌を口内に含ませられたからだ。接吻は唇を重ねるもの──と思い込んでいた咲子は咄嗟に身を捩った。嫌ではないが、とにかく焦ってしまって他に対処のしようがなかった。
忍介はすぐさま察したらしく、唇はあっけなく離れる。
「ああ、悪い。おまえが可愛くて、つい」
「い、いえ。驚いただけですので。その、申し訳ありません、わたし」
「大丈夫だ。固くならなくていい。口づけも初めてなのだろう」
「は、はい」
宥めるように咲子の左肩をそっとさすってくれる、力強い右手が頼もしい。それから改めて与えられた口づけは、様子を見るように触れるだけで一途に優しかった。
(忍介さま……)
角度を変えて何度も重ねられる唇。思い遣りに溢れた体温に、警戒心がとろりと溶ける。
食事の最中だとか、これ以上何をするつもりなのかとか、疑問は様々ある。しかしこんなふうに心を尽くされていると、どんな言葉をかけるのも失礼にしかならない気がした。
「恥ずかしいならそのまま目を閉じていなさい」
うつ伏せに体を返されて、帯を解かれる。肩からはだけるようにして、浴衣を取り払われる。と、かんざしでひとつにまとめていた濡れ髪が顔の横へと落ちてきた。
そこから香る石鹸の匂いより強く、鼻をくすぐったのは若い藺草の香りだ。今日の日のために畳を張り替えてくれたのかもしれない。思えば披露宴の席も畳の色が青かった。
細やかな気遣いから歓迎の心が伝わってきて、胸がじんとする。
「じっとしていろ」
肌襦袢一枚になったところで、横抱きにして連れて行かれたのは隣の部屋だ。室内は同じように暖められていたが、もといた部屋とは空間の色が異なっていた。枕元に置かれた洋風の硝子ランプが、室内をぼんやりと糖蜜色にしてふたりを包み込む。
用意されていた布団の上に降ろされると、同時に確かめるように訊ねられた。
「怖いか」
ああ、と咲子は悟る。
すでに初夜が始まっていたことに。
怖くなどない、と毅然と否定したかったのだが、できなかった。
「こ……怖いのは、旦那さまをがっかりさせてしまうことです」
「俺を?」
「わたしは……年齢こそ二十歳になりましたけれど、体まで大人になったかというとそんなことはなくて。旦那さまにご満足いただけるかどうか……」
思わず零した不安は、間髪を容れず優しい笑みが拭い去ってくれる。
「いらぬ心配をするな。おまえに魅力が足りないなら、このように焦って事に及ぼうとはしない」
「……本当ですか」
「嘘を言ってどうする。咲子は誰より美しく成長した。一刻も早く自分のものにしたいと、俺の衝動を掻き立てるほどにな」
お世辞に決まっている。忍介のことだから、そう言って安心させてくれるつもりなのだ。
しかし方便だとしても嬉しくて、咲子はどうにか口角を上げた。精一杯の勇気だった。
「言っておくが、今晩俺が落胆させられるとしたら理由はたったひとつしかない。この腕の中から、おまえに逃げられることだ。結婚前に立てた『決して逃げない』という誓い、今夜こそ全うしてもらうぞ」
一晩中、俺が飽くまでな、と告げる唇にはうっすらと得体の知れない笑みが浮かんでいる。何かを企んでいるというより、これから起こるであろうことを見越しているような表情だった。咲子は背筋がほんのりと冷えるのを感じたが、恐ろしくは思わなかった。
小さく頷くと、微笑んだ唇が降りてきて口づけをくれた。穏やかながら欲の滲み出た、情熱的な口づけだった。