秘された遊戯
- 著者:
- 尼野りさ
- イラスト:
- 三浦ひらく
- 発売日:
- 2013年05月02日
- 定価:
- 660円(10%税込)
これが、恋であるはずがない。
三年前、領地と家族を一度に失った青年ヴァレリーは、きっかけとなる事件を引き起こしたジャルハラール伯爵を憎み、復讐を心に誓っていた。 そんなある日、伯爵の開く仮面舞踏会に潜りこんだ彼は、男たちに襲われかけていた美しい少女を助け、心惹かれる。偶然にも彼女は伯爵の愛娘シルビアだった。 複雑な思いを抱えながらも、彼女を復讐に利用すると決めたヴァレリーは、結婚を控えた彼女に甘く淫らな誘いをかけるのだが――。
シルビア
ジャルハラール伯爵のひとり娘。仮面舞踏会で出会った男性に心惹かれるが…。
ヴァレリー
ジャルハラール伯爵を憎み、復讐を誓う青年。シルビアを復讐に利用しようとす るが…。
「あ、あの……お、お名前を、うかがっても……?」
「私の名前?」
シルビアはあえぐように問う。彼の声質はヴァレリーに似ている。だが、彼よりやや低く、なまめかしい雰囲気だ。考えるように間をあけ、彼はゆっくりと歩を進めた。
「ここは仮面舞踏会。私は名を捨てた者だ」
「では、どうお呼びすれば」
「……どうしても名が必要というのなら……そうだな、ジョーカーとでも。君は?」
「え? 私? 私は……シーアと、お呼びください」
たとえ正体がわかっていてもあえて明かさないのが仮面舞踏会の流儀だ。互いの身分を捨てて重なる縁――ゆえにシルビアも、あえて本名を名乗ることなく自らを示す。すると男――ジョーカーは、喉の奥で空気を震わせるように笑い声をあげた。
「シーア。……いい名前だ」
名を呼ばれた。たったそれだけでどっと心臓が音をたて、シルビアはまたしても狼狽える。紅潮した頬を仮面がうまく隠してくれているか気になって仕方がない。
近づいて来る足音に動転し、上着を取ろうと背を向ける。
「またこんなドレスを着て……いけない人だ」
足音が止まると同時に首筋に息がかかり、シルビアは小さく悲鳴をあげて身をすくめた。背後から、シルビアを抱きしめるようにジョーカーが腕を伸ばす。確かにシルビアのドレスは以前に着たものとデザインが似ている。胸元と背中が大胆に開いたもので、今の流行の型だ。言い換えれば誰もがこぞって着ているものでもある。
「ジョーカー様? ど、どうされたんですか……!?」
「以前に襲われたことを忘れたとでも? それとも、本当はそれが望みで、私が邪魔をしてしまっただけなのか」
彼は暴漢からシルビアを救ってくれた男だ。今もぎらつくような情欲は感じず、言葉のわりには危機感を感じない。
だから彼の考えが読めず、よけいに混乱してしまう。
「は、放してください。なにをなさるんですか!?」
訴えとは逆にジョーカーの腕に力が込められ、背中が彼の胸に密着する。布越しに触れる広くて硬い体は、シルビアのささやかな抵抗など難なく封じてしまった。
彼の髪がシルビアの頬をかすめ、首筋に柔らかいものが押しつけられる。
「ん……っ」
「ほら、体は正直だ」
唇を首筋に這わせたままジョーカーがささやく。低くかすれた声にぞくりとした。腰に回されていた彼の腕がするりと移動し、胸のすぐ下で止まる。白く染み一つない手袋をはめたその手を開けば、小ぶりなシルビアの胸など難なく包み込むことができるだろう。
「ジョーカー様……!!」
シルビアは無意識にジョーカーの手を掴む。布越しに伝わってくる熱に驚いて手を放すと、含むような笑いが首筋に落ちた。
「本当は、こうなることを望んでいたのか?」
「ち、違います! こ、こんな……っ」
恩人だと思っていた男の豹変にシルビアは混乱のまま訴えていた。体をねじり、その腕から逃れようともがく。けれど、もがけばもがくほど互いの体がぴったりと重なって、シルビアを狼狽えさせた。
「ジョーカー様!」